King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

キリスト実在の疑問

2009年09月07日 13時11分50秒 | 日々のこと
普段何気なく使っている、今年は何年の年の
数え方ですが、これは何から数えて2009年かは
皆さんご存知ですよね。

多くの方がキリストの死んだときから今の年は
数えだしているということだと思います。

最近耳にした物や新聞の記事からこれってどうなのと
疑問を強くしました。

キリストという人物が実在の歴史上の人物であると
当然これは世界中の人が認めていることかのように
思うじゃないですか。

しかし、これは大きな問題をはらんでいて、実在だと
するとイスラエルのエルサレム支配に関係してくる大
問題に発展するのだそうです。

イエスの弟のヤコブの骨箱が発見されこれが大問題に
なり、科学的な鑑定では偽者となったらしいですが、
裁判はまだ継続中とのことです。

聖書以外の実物での生存の証拠となる初めてのものだと
いうのですが、聖書中の出来事の現物というのは結構
たくさんあり、それらは聖遺物とされ教会の秘宝となって
いたり、ある結社やら団体により長く秘められて保管されて
いたりと謎な部分と世紀末に発表された死海文書などにより
より注目されました。

ちょっと前では、NHKの番組で聖骸布に関する番組で、聖骸布
に移ったイエスの顔からイエスの肖像を作るという番組があり
ました。それによるとイエスの顔は多くの宗教画のようなひげと
長髪ではなく、ひげもなく短髪で血液型がAB型で身長181㎝
年齢30-45と推定されるというのです。

しかし、これも真贋について決着はついておらず、この聖骸布の
存在自体19世紀に明らかになり、アロエに浸された布がネガ像を
作るというのも19世紀になって明らかになった技術であること
など後から作られた奇跡の感じも受けます。

これら一般に明らかにされたものですが、まだまだ秘密の
証拠は世の中にあるのでしょう。公にされたものが捏造され
た物が多く、本物は今も静かに世の諍いに関係なく存在し
信じるものだけに引き継がれているのではないでしょうか。

面白いのは、実在した人物かどうかあやしいとか実在の
年とはづれているという事です。
聖書の中では364日をもって一年とするという記述がある
ことからそれで数えるとあっているのかもしれません。

もともと暦が正確に必要になったのは19世紀の文明が
大きく変わり科学の進歩と国家意識が強まってからの
ことです。今までは、その時の支配者により、適当に
どの国でも元号があり、その時その時の支配法に従って
国家運営がされていたのですが、ヨーロッパ列強の
海外支配が進み世界共通の数え方が各国に入り込んで
きただけで、もともとキリストの実在とその生死の
存在など誰も気にしてなくて使っていたのです。

2000年の時には聖書の記述などから世の終わりとする
人々や世紀末思想などが重なり、終末が訪れると
かなり話題になりましたが、もう普通の年が重ねられ
やはり、宗教上の話だったのかという現実に引き戻され、
地球温暖化などの環境問題の話題にとって変わられました。

その温暖化も人が作り出したもののようになっていますが、
これは人ならぬものの手によるもので人が生活できるのも
人が住め食料を得られるのも天の恵みと最初は信じられて
いたのです。

それが人の定住と情報の交流により、いつのまにか天変地異
も人が作り出していることになってしまいました。
人々が誤りを繰り返し、天の創造のありがたさを忘れた時に
預言者が現れ、神との契約を迫ったのですが、今では
その実在が疑われる世となったのです。
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