King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

テレビの貧困

2018年02月04日 23時56分53秒 | 日々のこと

skiTVの内容のすばらしさに改めて感動し、なんでスポーツ量販店に行けばスキーコーナーが現在ないような状況ながらテレビでこのようなスキーの番組ができているのかという不思議な感覚があります。それだけ内容は素晴らしくどんなものを望んでいるのかよくわかっているなと感心するのです。他のテレビでアド街ック天国という番組で以前野沢温泉を取り上げていましたが、その内容の薄さとスキー場の映像もちっとも魅力ある映像に映っていなくてただの山の中の田舎町にしか見えない全体の雰囲気でこれではだれも野沢に行きたがらないだろうという感じがしました。なぜ全員スキーをしてロッジに集まった感じのイメージにするとか現地感が出せないのでしょう。映像もやっつけで撮ってきたようなつまらない滑走シーンで魅力がパウダーということなのに映っているのは整地の滑走でとても面白そうなゲレンデには見えないのです。私は野沢は何度も行って滑っているのでゲレンデの広大さもコースの面白さも知っていますが、それを映像でどう見せればどう感じるかも解るだけに番組の質の低さにがっかりでした。この番組の唯一他の番組と違う良さは入浴シーンだけなのでした。さて、その入浴ということで私の好きな番組で清水邦明の湯の町放浪記というのがあります。もう何年も新作が出てなかったのが久しぶりに二時間スペシャルで新作をやりました。しかし、それがテーマと出演者のミスマッチを露呈して見事に番組の趣旨と製作意図の齟齬をきたしていました。出演者の知的センスというのはかねてから懸念を持っていてかつて清水邦明とゲストででた原田伸郎が温泉についての会話で原田がどこの温泉がどうだったか聞いたら清水の答えはあまりに行き過ぎてどこがどうだったか覚えてないという衝撃的内容だったのです。あんた何のために温泉放浪しているのという落魂たる元も子もない感じに陥った瞬間でした。で、今回のテーマは東北の温泉地を周るそれも雪景色の中テーマが青森が太宰治であり、岩手が宮沢賢治とベタながら正統でゆるぎないテーマなのです。この文学の人のゆかりの地を行き温泉を辿るのに一言もその文学に触れることも語ることもないというのはまったくのダメ作品であると私には受けるし、せっかくのテーマもくそもなく何のためにテーマとしたのかは有名だからというだけに過ぎないというテレビ的なミーハー趣味にがっかり以上のものを感じるのでした。出演者が皆太宰作品や宮沢賢治作品を読んでいないのは当然、興味すらないのも明らかでいつも調子で温泉に入り旅館の朝飯を食べてみせそれだけでした。私は温泉も宮沢賢治も好きですし、人間失格もつい最近読んだばかりだし、いろいろと作品に触れてほしいし、宮沢賢治が作品に込めたものを現地で考えてみるとどんな感じかというのが見てみたかっただけにもっと知的な会話があってしかるべきものがコントのようなバラエティ色しかないのは残念でした。かつて清水が東北で横笛作者とあったとき、やはりそこは元ミュージシャンらしく横笛を奏でて見せて只者でないことをさらりと示し好感を得たので、今回津軽三味線館での対談の時にもまたそんなシーンが見えるかと思いきや今回は三味線を鳴らしても素人同然のただのじじいにしか見えませんでした。製作者の意図とか知的水準とかやはりもっとこれからレベルの高いものを作らないと視聴者を馬鹿にしたようなものばかりではいけないのではないかとつくづくと考える最近のテレビ事情なのでした。

コメント
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