King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

綿の湯と本白根と

2018年02月01日 23時56分11秒 | スキー

二日目は小雪の舞う雲天に変わりました。

昨夜は月食ということでしたが、曇りがちで見るのをあきらめ早々に寝ました。

そして朝5時ごろ起きて風呂に行くといういつものパターンです。

一番で入った綿の湯も昨日と同じ青っぽいお湯で真綿に包まれる感覚ではありませんでした。

それでもがっかりという感じではなく、ああこんな感じかくらいのもので今までの過大な期待を

改めて思うのでした。でも、本白根の壁がもう滑れないというのはなんとも納得しがたく、いつまでも

ぐねぐねと考えをめぐらすのでした。

それはつまり、本白根が滑れなくても草津に来るのかということです。

人生は短いのだから同じことを繰り返している暇はないという考え方を示した人がいました。

これも至極当然であり、間違いのないことでしょう。

でもお気に入りがあり、お気に入りの場所とそこがもたらす極上の空間を持つというのも幸運な

人生のようにも思えてなりません。

今回の噴火はそんな意味でどんな意味があるのかつらつらと考えるのでした。

ここにひとつ浮かぶのが不確実性とリスクをとるとはイコールではないといいます。

今回火山学者が吐露したように今までの予測哲学が覆されたということはまさに不確実性で

起きたことであり、水蒸気噴火は予測不可能でどの火山でも何千年活動していない山でも

起きることになります。

そんなこといくら考えていても仕方ないのです。

この日ゲレンデに立ってみると昨日の堅い雪面にまたうっすらと新雪が数センチ乗る感じで

さっそく天狗の壁に行き、昨日と感触の違いを楽しみます。

下から見てみるとほとんど整地のようですが、僅かに左側に二ラインのコブのラインがあることが

解りました。

とはいえそこに踏み入れる気分になれず今回もコブ回避して整地での滑りに今までと違うものを

見出そうと模索していました。朝九時から滑り出しましたが、この日は昨日よりも人が少なく、

やがて動き出した青葉山のリフトを目指して行くと、ここも昨日同様警察車両や消防や携帯電話の会社の中継車

などがいる監視体制のままです。

山に向かうヘリなども見かけられましたが、この日は曇天でヘリで観測するなら昨日だろうと

見送りました。

昨年来より青葉山で滑るとエッジングがスムーズでより自動化して安定している感じがします。

数年前のエッジがガタガタと震えることはありません。気になったのは上体の上下動があることで、

もっと切り替え時に下半身の動きだけで切り替えて圧を加えて反発を利用する小回りの習得です。

結局これか昨年度のガーラのコブラインで感じた鋭く小さく回るにつながるのではと感じました。

とはいえ草津には練習になるコブラインもなく、天狗のものすごいコブラインでは最初から無理な

イメージでしかなく神立のようにあらゆるコブがあるところで練習をはじめたいところです。

そんなことを考えながら昨日よりより少なくなったゲレンデ人口の滑りを見ると相変わらず

スクールと生徒の二三人のグループは何組かいて前回来た時にもいた人もまたスクールにいます。

滑っている人が少ないので、どうしてもスクールの人の声とやっている内容が耳に入ってしまい

またここでそのレッスン内容に疑問が募るという現象が起きます。

一番下の平らなところでは外国人グループに初めて板を履くところからの教えているらしく

板を履かずにストックを付きながら歩いたり走ったりしていましたが、どうやら教師について

日本人なら真面目にすべてをまねしてやるところが外国人の面々は走るところで拒否している

ようで教師も無理強いはせず次のストレッチに移っていたり、他のグループでは夫婦の生徒にひとりの

老教師が付く形でやっている内容はちょっと滑らしては大げさにほめている言葉が聞こえてきました。

これらの様子を見るとまたいつもの疑問を思うのです。今まで私が受けてきた級を合格するための

練習や習得するためのシュチュエーション練習も同じで本当に上達させるなんてものよりただ、

時間を経過するだけなんじゃないかという疑念です。私も過去受けてよかったというスクールは

あるもののおおむねこのように褒められて終わりの様なスクールも多かったのです。すでに確たる目的

でもないとスクールもサービス産業化して技術の伝達や進歩のためのものではなくなっている感じが

します。

コメント
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