King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

インターネット生放送

2011年02月27日 11時01分42秒 | 日々のこと
いつも習慣で土曜の朝はTBSラジオを聞いて
いました。

パソコンを使用しているとラジオは電波干渉して
雑音を出して普段はパソコンを使いながらラジオを
聞くということは余りありません。

テレビを見ながらというのも無理があります。

しかし、昨日と今日はラジオをインターネット生放送と
いうのが行われており、パソコンからラジオが聞けます。

音声は雑音もなくクリアなものがパソコンを使いながら
聞けるという環境が実現しています。

なぜかCMは無音になります。

これはいいじゃないですか。

実は音楽をかけるときも権利関係から無音になります。

昨日は、音楽はかからないでもっぱらCM中断でした。

しかし、これが結構長く無音になるので、放送が受信
不能になったのかと思って違うことに集中しだすと突如
音が出ます。

今日になり、その時の雰囲気がよかったのでまたパソコンと
ラジオを楽しんでいます。

今日は音楽で中断があり、気になりラジオを付けると
ラジオの生放送とパソコンでは若干ずれがある事に
気が付きました。

生放送というと昔の深夜放送で、ハプニングや無理やりな
感じが魅力となっていましたが、最近は全て台本があり、
生でも全て打ち合わせ済みの予定調和を常に見せられて
いる感じとなっています。

先ほどゲストのピー子が生電話で渋滞の中継をしましたが、
今の状態が繋がる臨場感がかもし出すものを感じました。

そして、思ったのはこれは今現在起こっていることだから
正しいと思い込む心理が働きますが、ピー子が自分の目で
見ているものをそのまましゃべっているとはかぎらないと
いうことです。

テレビだと何の説明もない画面でも生だと何のごまかしも
なくストレートに事実を伝えてしまいますが、言葉と音楽と
さらに字幕まで付いて画面と違うことを伝えている画面も
多々あります。

生の映像というストレートに伝わるものも日ごろから
ごまかされ続けると見る目も鈍ると言うものです。

昔の安保反対のデモの映像など見ると日本は民主化を求める
アラブの国のような群集のパワーというのはなくなって
しまったのかと思います。

改革をするとして政権交代した民主党は、いまや末期で
何も決められず、予算も通る見通しもなく、また首相だけ
交代して政権を維持する動きすら見られます。

今聞いているラジオで読んでいる葉書のネタは皆ネットで
読んだ事のあるものばかりです。

こんなマスコミに付き合うとどんどん何も言えなくて
ネットでつぶやくだけの人になっていってしまうので
しょう。

そんな事を感じました。

コメント
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