King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

楽興の時を聞く

2011年02月19日 23時01分34秒 | ライブ・コンサート・展覧会
またまた地元ピアニストのコンサートがあり、
行ってきました。

昨年の冬は幻想曲ばかりのリサイタルで前回は
ベートーヴェンのピアノトリオでした。そんな
シューベルトつながりで今回は楽興の時でした。

いつものホールなのですが、今回もピアノの
周りをいすで囲むサロン的なリサイタルでした。

それにしてもまたいすの数が少なくなっている
感じです。

前回のピアノトリオであれだけの演奏をしても
なんかピアノの先生と生徒関係の人たちしかいない
そんな感じのピアノリサイタルとは雰囲気の違う
集まりのようです。

それはとても音楽を聞きに来たと言う雰囲気の
人たちの態度とも思えない鑑賞態度であり、今回は
少ない観衆なのにマナーは最悪でした。

私の座った椅子の後ろに始まる前に椅子が足されました。

これは人が増えるのかと思いましたが、私の見える
ところから空席はいくつか空いており、なぜ椅子を
出したのか解りません。

それに加えてピアノの音までいつもより悪く感じます。

中音域で音がへたる様なところがいくつかあり、ぞっと
します。

観客だけでなくホールも異音を発てて雰囲気を悪く
します。

開始早々にはなんとありえないことに携帯の呼び出し音が
鳴り響きます。

あれほど電源は切っておけと放送しておいてもお年寄り
には効果ありません。

パンフレットをがさごそ言う音やなんとそれで顔を扇ぐ
やつまでいて、音だけでなく目にも入ってしまいとても
気分を害します。

そして、それら悪行はさらにエスカレートして、かばんを
落とす音とか咳やスタッフがカメラで撮ろうとして
赤外線のライトが照らされたり、スタッフの動きまで
あまり熱意とか熱心さが感じられない残念な雰囲気が
感じられます。

それはパンフにも現れていて、細かいミスで曲名のあとの
作品番号が間違っていたり、なんか全体的にレベルダウンした
というか、情熱が感じられないと言うか、どこかに慢心が
潜んでいるとか伝えたいという信念に揺らぎがなければ
いいがと思わずにいられません。

前回会場で買ったCDでトリオの名前がネーベンゾンネン
と言う素敵な名前であると知り、世界的な活躍に繋がる
のかと思いましたが、会場から感じるものは脇の甘さの
ようなものばかりでした。

しかし、演奏自体はどれもすばらしく、それはもう拍子
抜けするぐらいの物でした。

アンコールにスケルツォをやり、しばらくトークがあり、
トッパンホールでやると言うインプレッションの後、
せっかくですからとショパンをやるといいだし、
何がいいかと会場に問います。

何でも言えばやってくれるのだろうかと俄かに曲名を
叫んでしまいそうになりましたが、その前に本人から
ワルツですか?ノクターンですか?と問いかけがあり、
すかさずノクターンと声を出してしまいました。

しかし、私がやってほしかったのは2番の方ですが、
演奏されたのは嬰ハ短調の方です。

この曲は終わったときのポーズまで美しいのです。

一般人が弾くとくどかったり、最初の切ない感じの
旋律からのつなぎで破綻してしまったりしていて聞くに
耐えない物になるのですが、この人の場合はまるでそんな
事はなく余分な感情も余計なアクションもなく普通に
すんなりと聞くことができます。

これだけの技術と芸術性があるのだから、もっと
周りで気を使ってやらなければいけないのでは
ないでしょうか。

少なくとも観衆は近所の年寄りの寄り合いに出て来る
のではないのですから、それくらいは緊張して少しの
時間死んだように身動きも音も出さないでいてもらい
たいものです。

スタッフにももっと緊張とお持て成しの心を持って
地元に芸術をもたらす誇りと矜持を正して臨んで
もらいたいものです。
コメント
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