King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

少なくても最後まで歩かなかった

2010年04月12日 23時27分05秒 | ジョギング
『走るときについて語るときに僕の語ること』の帯にこの文句がかかれています。

走ることを趣味にしている人にはなにやら勇気を奮い起こすような、
過去の触れたくない記憶に触れるような危うい文句です。

まずは、そうなんだと言う感じです。

と言うのは走ることを趣味にした人でも、必ずいつもは
気持ちよく走り抜ける道も悪夢のようなアクシデントは
誰でも経験しており、特にレースなどに出場してそこで
予期せぬアクシデントに見舞われ走れなくなったという
経験はあるものなのです。

普通の普段走っている中でも、走れなくなって歩いたなんて
自分に対して惨めな気持ちを抱くことも一度や二度で無く
立ち止まった経験は誰でもあるはずなのです。

そして、雨の日などはいやだなあと思って走るのをよそうか
と言う気持ちが必ず起きます。

そんなときに少なくとも最後まであるかなかったなどと
いう前向きな一人事になんだよと言う反発心が起きます。

まあ、そんなことを書いているのも結局今日朝から雨で
走りに行くのをやめたからなんですが、この本の作者で
ベストセラー作家の村上春樹氏も帯に書かれているように
一度もあるかなかったのかと思われるのですが、本物の
生身の人間ならそんなことは無いのです。

本の中でもレースで足がつってあるいたり止まったりした
経験が書かれています。

日曜日は午後から雨でしたが、その前にうちのすぐ裏の
羊山公園に花見に行きました。

昨年より少し遅い桜ですが、公園一杯に見ごろを
迎えていました。お隣の準備の整った芝桜はお客は
次々に訪れているもののまだ二分咲き程度です。
満開の桜には見向きもせず、植栽地へつくとしょぼい
開花状況にがっかりしているかと

思いきやそれでもみんなうれしそうに写真を取ったりして
いました。

混み合う自動車をやめ歩いたため、降り出した雨を
理由に走るのをやめ、さらに今日の雨に走り出せずに
終わりました。

まあこんな日もあるのです。

決して最後まであるかなかったは幻想で、人生は立ち
止まったり振り返ったりぐずぐずするのよ。
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