King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

エルマー・ガントリー

2006年02月15日 23時27分41秒 | 日々のこと
今日はすごいぽかぽか陽気でした。
こんなに暑くなるなんて。車の温度計で20度になっていたので、
故障したかと思いました。昨日仕事で休みがつぶれて、結局
今日はスキーにいはいけませんでした。多分雪はぐしょぐしょで
ひどいもんだったのでは。明日はまた寒くなるので、アイスバーン
でしょう。もうフカフカの粉雪の中を滑るなんてないのかなあ。
今日は何もする気が起きなかったのですが、それでも走るだけは
走っておこうといつもの公園を2往復しました。ランニングベストも
持っていきましたが、長袖のTシャツで十分です。そして、すぐに
汗をかき心拍も160を超えてしまいました。

走り終わっても汗が止まりません。しばらく半袖のTシャツ一枚で
うろうろしていました。まだ2月中旬だというのに。
夜、オリンピックやNHK-BSの古い映画を見ました。
バートランカスターの臭い芝居とジーンシモンズが写るときには
斜がかかる絵といい古さを感じます。ただ、この映画の最初に
この映画は賛否両論があり、子供が見るのには注意が必要ですと
言うテロップにひきつけられて最後まで見てしまいました。
いつの世でも宗教にはまる人はいます。そして、それに乗じて
商売をする人。有名になろうとする人。金があっても、金がなくても
悩みを抱えている人はたくさんいて、それを救うのには気持ちを発散
させる場所が必要だということですね。それだからキリスト教でも
何でもいいわけです。

田舎で伝道活動していた宗教グループが都会の町に呼ばれて
そこで破滅する様が描かれているのですが、ゼニスというのがどこ
だか知りませんが、昔は売春しか産業がないような街だったらしいです。
いや都会だから、禁酒法時代でもバーや売春宿があったということなのか
定かではありませんが、一時はなくなった教団の威信が回復してこのまま
終わるのかと思ったら、最後に破滅があり、最終的には宗教を否定して
終わったかのように見えます。しかし、最後にバートランカスターがさって
行くのは、人は所詮学び得ないという事を言いたかったのでしょう。
全てを手に入れて、過信して滅びるというよくある人間のパターン
が所詮はすべて夢の如くで、手に入れたと思うと手からすり抜ける
霞のようなものが真理であり、それは到底理解し得ないそんな事を
いっているのです。

また大衆という視点で見ていくと違って見方もできます。大衆と
=人類で如何におろかで如何に反キリスト的か。つまり人は最初から
罪びとであり、罪を背負って生きていると。所詮罪を犯してしまう
ようにできていると言うことです。この出来事の様をシニカルに眺める
新聞記者をアーサーケネディが好演しています。こういった古い映画
をみていると今は物質的にも経済的にも豊になり文化も進みより
進歩した時点で過去をみる事ができます。しかし、何もちっとも
豊かになったり進歩していないことに気がつく人はまれです。
インターネットや自家用車がなくても昔の人たちのほうが豊だったの
ではないかと気がつく人がこの映画の意味するところに気がつきます。
すぐ宗教とか信じちゃう人には無理だろうけど。
コメント
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