King Diary

秩父で今日も季節を感じながら珈琲豆を焼いている

鴻巣で『ヴィルトゥオーゾ』を聞く

2019年08月03日 23時53分54秒 | ライブ・コンサート・展覧会

鴻巣でまた魔界のヴァイオリンを聞きました。佐藤久成のコンサートがあると聞き、

この近さならと予約したのです。会場のクレア鴻巣はかつてクリスマスに清志郎が

コンサートを行った地であり、埼玉ではここと所沢のミューズと私にとっての聖地の

ひとつです。

 

プログラムを記しておくと

モーツァルト ヴァイオリンとヴィオラの二重奏曲第一番KV423

A.ロッラ ヴァイオリンとヴィオラの二重奏曲

パガニーニ モーゼ幻想曲

休憩

西村朗 モノローグ~独奏ヴァイオリンのための

西村朗 <鳥の歌>による幻想曲~ヴィオラ独奏のための

イザイ 無伴奏ヴァイオリンソナタ第6番

シベリウス ヴァイオリンとヴィオラの二重奏曲 ハ長調

ヴィニアウスキ 華麗なるポロネーズ第1番

アンコール

ヘンデル ハルヴォルセン パッサカリア

 

佐藤久成を芸大の同級生ということで大江のぞみさんが共演を望んで実現したということで、

どんな演奏スタイルか全くの予備知識なしで行きました。会場に演奏会の看板はなく、

まったくの夏の静かな土曜日の午後の佇まいで人気はなく清志郎以来のクレア鴻巣は

あの時の記憶のままに立っていました。駐車場が無料でたっぷりとある施設で聞けるのは

とても幸運で都内なら端から車移動を諦め電車で暑い中移動しないといけません。

 

クラッシックの演奏会だから人気はそんなにないのは仕方ないのかもしれませんが、いつも

聞く地元でのコンサートと同じく人出は少なかったのですが、熱心なファンはいるようで、

開演前から入場口に行列ができていました。全席自由席だからいい席を確保しようという

表れなのでしょう。

 

ホールは映画館のような折り畳み椅子で多目的ホールらしくテーブルも引き出せるようになっていて

伝承館のように木と鉄の階段と舞台はなく平坦なアリーナ状の平坦な板張りの上に楽譜台が6台広い

V字に並んでいました。何人でやるのかと思っていると結局ヴィオラとヴァイオリンの一台づつで

主にヴィオラの大江さんがしゃべり曲の説明をして普通ならピアノとチェロとヴァイオリンのトリオを

ピアノパートなどをヴィオラに編曲してヴィオラは伴奏という形でやったもののようです。

 

しかし、シベリウスの二重奏曲では主旋律をバイオリンとヴィオラで交替したりして決して伴奏しかできない

楽器ではないんだようというのは鳥の歌でも見せました。

 

逆にヴィオラでここまで伴奏ができるんだというのもあり、ピアノの伴奏との違いで楽しむこともでき

ました。

 

聞いていてバッハのシャコンヌの事をまた思い浮かべられずには

いられませんでした。たった一台のヴァイオリンでもあの音の伽藍が構築できる荘厳な表現と目にするかのような

その構造の美しさ。なぜこうも立体的に積み重ね合わせられるのかというような視覚的な音の構造物にただ圧倒され

それでいてそこにあるものは無であるという哲学的なものを見るようです。

 

パガニーニの幻想曲は何度か超絶技巧曲として聞いていますが、本当にG線だけで弾かれるのを目の当たりにしたのは

今回初めてだったように思いました。それは伝説で楽譜すら完璧の物はなく、絵画ではG線だけを弾くパガニーニが残されて

いますが、それは虚構の上の事だと思っていました。それが現実に可能であり、曲としてこうも聞けるものとして

目にしていることにこれは奇跡なのではと思えてくるのでした。それも曲芸的に弾くのではなく普通になんともなく

曲として弾きしかも曲として表現するまさに演奏家の技であり特質なのだと。

 

世に難曲は数多くあり、あくまで人間でありながら神業的に弾ける聞かせることができると演奏されるのは

当然として、淡々と演奏するのでなく曲を完全に自分の物として読み込みまた吐き出させているのとは自ずと

聞かされる身にも当然伝わるものがあるのです。

 

今回演奏の後に佐藤久成氏と話す事が出来、ヴァイオリンでは堂々としているものの会話では挙動不審な

おじさんのようでそのギャップに驚かされました。来年の3月にまた再会できることを確認し秩父に帰りました。


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