ソラから来たよ

このブログは「地球の謎解き」(http://sora.ishikami.jp/)の情報を元に構成しています。

山彦

2007年10月30日 23時46分42秒 | Weblog
ソラ辞典より
山彦
ノアの息子とヒミコの娘の子ども。
白い木の者の始まりで海彦の兄。
君山のそばの星原に住んでいたが、ユダヤ人の風貌であったために捕らえられ殺されてしまう。

ヤマタイコク物語より
【ノアの親子と倭の国を創る】
そこにはノアの洪水でユダヤ人の親子がやはりイシカミに導かれて日本に流れ着いて、イトが生まれ変わる時ムウラも生まれ変わりました。
ムウラもチャネリングができホシノミナの所(星原)に呼ばれて行き、そこでムウラとイトは恋に落ち一緒に住むことにしました。
しばらくホシノミナの降りた所で暮らしていましたが、砂鉄を求めて由良の海岸で住む事にしましたが、子供の山彦だけはイシカミの君山と会話をしていて、そのそばに住みたいと星原に残りました。
ムウラとイトと海彦は海の側で暮らし、海の物を持って山彦に会いに来ていましたが、それがいつか市場のようになり、その地域はヤマタイコクのように和を大切にしていたので、国は栄えていき、倭の国の元となっていきました。

ノアとムウラ親子は生まれ変わっても製鉄の技術を覚えていて、鍬や斧などを作り、人々にとても喜ばれていました。
その頃は地軸が移動する前であったので、日本海側が暖かく、大陸との交流も盛んで、大陸から珍しい物も入ってきました。

一方、大国主が生まれ変わると同時に支配星ジンムも生まれ変わらせました。
ジンムはたくさんのイシカミの分身が大きな古墳となったのを利用して、ヤマトを基盤にしていましたが、又しても倭の国の繁栄をねたみ、その鉄製品を奪おうと突然ムウラとイトが築いた倭の国を攻めてきたのです。
その頃ムウラはジンムの不穏な噂を聞いていたので、イトに小刀を与え、身の守り方を教えたり、何とか身を守ろうとしていました。
ヤマトに襲われ気丈なイトは必死で抵抗をしましたが、魚の網で捕らえられてしまいました。
(アミダ如来の名前の元とされた)
そしてイトを殺すと脅かされたムウラは、自分の命と引き換えにイトの命を助けるように言いました。
無実のムウラは籠に入れられ、小船に乗せられ海に流されたのですが、夜になってムウラを慕っていた仲間にひそかに助けられ、隠まわれていました。
そして逃げていた仲間と一緒に大江山で、隠れ潜んでいましたが、ついにヤマトに見つかり、惨殺されてしまいました。
(大江山の鬼退治として、ムウラは悪者として後世に伝えられた)

みんなに慕われていた父親のノアも、追放されましたが、倭の国近辺では、お招きさんとして大切にされて、飲んだ水は言い伝えられていきました。
(それがお水取りに利用され、封印された)

けれども遠くに行くうちに乞食と間違えられ、籠に入れられ死んでしまいましたが、後から立派な人だったことがわかり、手厚く葬られました。
日本語のしゃべれないノアは、本当の名前のモーゼ(伝説のモーゼではない)と言っていたので、モーゼの墓とされました。
(金沢市にモーゼの墓がある)

【ヤマトへ連れて行かれたイト】
一方、イトは幸せな生活から一転して、ヤマトへ連れて行かれることになりました。
道中、白い藤が咲いていたので、白人のムウラを忍んで、白い藤を手折って持って行きました。

ヤマトへ連れて行かれ何重にも塀で囲まれた所(八重垣)で、幽閉生活をさせられました。
ジンムはどうしてもイトとの子供が欲しく、強引に子供を生ませましたが、その子供がニニギのミコトで、イトの乳母に育てられられました。
乳母はニニギに、イシカミの話や、ヤマタイコクや母親が由良から連れてこられた事を話したために、それを知ったジンムに股を刺されて死にました。
その事を天の橋立の股覗きで伝えているのです。

イトは子供を生む事で由良に行くことが出来ましたが、ヤマトへ戻るのが嫌で、自殺をしようとしましたが、スセリ姫が身代わりを申し出て、警備のものから逃げる事が出来ました。
そして隠岐の島に隠れていた父親の大国主と共に、その地で最後を迎えました。

【星原で大きくなった山彦も殺される】
イトとムウラの息子の山彦は、星原に残っていたので命が助かり、何度か生まれ変わりました。
そしてイシカミの助けで次々田畑を作り、星原だけでなく、山を越えたシガサトまでも広げていき、穏やかな人柄で人望を集めていました。
山彦はムウラに似て瞳が他の人と違い、大きな身体で大きくなるにつれムウラに似てきました。
その噂がヤマトに届き、ヤマトがムウラを惨殺した仕返しをするのでないかと思った推古天皇の息子の聖徳太子が、山彦を殺しに来ました。

2002年3月17日
「山彦は山と太陽の日の子供という意味でした。
山彦です。ヒミコの娘の子供でした。
何故私が星原に住んでいたかというと、キミ山とお話できたからです。
そして君山(=城山)にいつも登っていました。
そして大きくなると、ヒミコの娘の男性(ノアの息子)に似た風貌になりました。
周囲の人は気をつけるように言って来ました。
それは父親と同じ運命になるかも知れないと言われました。
そして本当に容貌が似ているというだけで殺されました。
(孤児になったので)私の子はイヌ(ヤギ)*のお乳で育ちました。
(読者の)夢で星原に茶色のヤギがいたと言うのはそれをあらわしたのです。

(*2001年3月、読者が行った事もないのに、キミ山や星原にとてもよく似た情景の夢を見たが、その時茶色のヤギがいたと知らされた)

何もかも奪われ、悲惨な暮らしでした。
そして随分と時が経ってからですが、一寸法師の話として知らされたとおりです。
一寸法師は山彦の子孫の物語なのです。

隣の村の者がこれらの出来事を小さな声で(隠れて)語り伝えました。
それでそこの村は「小呂」と言うのです。
そしてその小呂の峠を通り抜けたところが「白道路=ハソウジ」と呼ばれるのは、そこを通ってこの物語が「物部」村に伝えられたからです。
白い木の者=ノアの息子の子供が掃除された=ハクソウジ=討伐された所と伝えられた。この隣がシガサトである)

物部村から出た人が、都でホシノミナとイシカミの物語を伝えてくれたのです。
それが物部氏です」

2002年9月8日
【3柱神社遥拝所】 白道路にて。
同行者が白道路(ハソウジ)の道端に気づかないくらいの鳥居を夢で見て気になると立ち寄る。
↓はその事を知らせてくれたメールです。

『夢の中でキミ山に行く途中に、三?神社の鳥居があり、そこに入ろうとしたところで目がさめていました。
この間、綾部方面に遺跡調査に行く機会があり、夢で見た道筋をたどってみたところ、そこにはやはり神社がありました。
鳥居の額もなく、何神社か分からないくらい忘れられたものでした。
お社は稲荷神社となっていましたが、その横に立っている柱を見ると、なんと三柱神社遥拝所となっており、もともとは三柱神社だったようです。
遥拝所なので、ここからどこか別の場所をお参りするための場所だったようです。
夢の中では鳥居の額が金色に光っていて、参道の木も立派だったので、昔は大事な場所だったのかなと思います』

「こころざし半ばで散った山彦です。
ご案内しますのでお待ちしております」

「3柱神社とはヒミコの櫛を真似た鳥居なのです。 
(少し離れた若宮神社などは下半分が3本です)
それをあそこ(白道路)に作って祭っていました。
白い木の者が述べる“星述べ”を信じる者達があそこでお祭りをしていました。
けれども物部氏が滅ぼされてからは稲荷神社の形に変えられましたが、近くに観音のお蔭を説く仏教が広まり、また庚申も入り込み(石に書かれていた)忘れ去られていったのです」

ここを訪れてくれた方は2回星原の夢も見て、現実と一致していました。
キミ山の夢

2002年11月6日
「白い木の者が降りてきました。 山彦です。
イシカミの君山に呼ばれて (マナイの海辺から) 星原に来ました。
おじさんとおばさんと(星原で)一緒に暮らしました。
君山から教えてもらった事を話すと多くの人が来ました。
そして頼むといろいろな食べ物がもらえることがわかりました。
殺されたおとうさんの毛を・・・・ (字がダブっていてわからない)
ホシノミナを大切にしなければならないと皆に言いました。
そして君村(吉美村)の長(オサ)になりました。
私がヒヤソ踊りを踊るように頼んだのです。
私は戦う事が出来なくすぐに殺されました」

白樺などの木の皮が白いのは何故か? と以前聞かれていた。

「いにしえにはイシカミである山の奥深くに入って、
いろいろな物を貰っていました。
そして帰りが遅くなり道が分からなくなる時に、
白い木が道しるべになるように作られました。
白樺が寒い地方に多いのは、寒い地方では山で夜を過ごせないからです」

2003年4月1日
【柿の種】 と言って、夜中に目が覚める。

「山彦が“柿の種”と言わせたのです。
白い木の家の周りには沢山のの木がありましたが、
山彦(のイシキ)が教えていたのです。
柿がイシカミの身体をあらわすからです。
柿色と形でイシカミが作ってくれました。
(綾部の)由良川にはたくさんの魚がいました。
柿が実る頃に、大きな魚が戻って来ました。
それがうなぎです。
うなぎと柿は仲間で、共においしい食べ物です。
柿の種は長細く、落ちると尖った方が地に刺さって生えてくるからです」

(*ちなみに『猿蟹合戦』もイシカミの事をあらわしています)

2004年4月18日
「山彦が降りています」

「一度、皆に知らせようと思っていました。
私がなぜ両親について海の近くに行かなかったかというと、君山といつも話していたからです。
(小さい頃はいわば自閉症だった)
大人になってからは話すようになり、仕事もたくさんしました。
お父さんが殺された事は“ミナツキサン”で知らされました。
ホシノミナジンジャにたくさんの人が集まりました。
誉れの仕事をしたのに 殺されました」

2005年8月11日
*)ミナツキサン=綾部の祭り。倭の国の時代に、山彦と海彦が、海と山の物の物々交換をしていた時、皆が着いたよ、と知らせる言葉と伝えられた。

2005年8月14日
《掲示板より抜粋》
白川郷は2年ほど前に行き、その日に見たビジョンを思い出したのですが、鹿の顔と黒枠の行灯でした。中が桜の花びらの模様ではっきり見えました」

鹿=鹿の角=白い木=ホシノミナをあらわします。
黒い枠に桜=山彦とその仲間はジンムに狙われるので、里では集まらず、山の中の山桜の元に集まっていたそうです。
そして山彦の遺体はやはり山桜の下に埋められたそうで、白川郷に山彦の一族がたどり着いたことをあらわしたそうです。

《和歌のソラ的解釈のメールより》
「掲示板で山彦と桜の話が出ていましたが、以前に解釈した歌です。

66“もろともに あわれとおもえ やまざくら はなよりほかに しるひともなし”
 
『山の桜の花以外は誰も知らない。山桜のもとに眠っている山彦の哀しみを皆にわかってほしいのです』

今上の部分をメールにコピーしようとして歌を見て驚きました。
8/6に岩殿山に行く朝最寄の駅近くで「モロトモ」というのが浮かび口に出ました。
そのままにしてあったのですが今見て驚いていますが、タイミングを待っていたのか?
山ではけっこう山桜があるのには私には以外でした。

2005年8月24日
【百人一首】
百人で作られたのでなく、菅原道真柿ノ本人磨呂小野小町の3人で作られた和歌は、滅ぼされたヤマタイコクや倭の国の事が隠されて読まれたと伝えられました。
隠された意味がわかれば殺される、すなわち首を覚悟で読まれたということから一首と名づけられました。
その為に3人とも非業の最期を遂げ、有名歌人でありながら人麻呂も小町も権力者にとって都合が悪いので記録が残されず、謎の人となっているのです。
人麻呂と小町のことは何回かに分けて知らされてきました。
(ソラの検索参照)
権力者の名前を和歌の作者の名前とすること、風流な内容と思わせることで今まで残されてきました。
単なる色恋歌だけなら千数百年も歌い続けられません。
意味は半分チャネリングで後は一文字のカタカナの意味などでなぞ解きをするようでなかなかわかりませんが、あっていると最後に「そうです」と言葉になります。
カタカナの意味

『アリアケノ ツレナクミエシ ワカレヨリ アカツキバカリ ウキモノハナシ』

“アリの穴のような小さな罪で、殺して見せしめにして、赤土の墓(=山彦のお墓)で団結をしていたイシカミを信じる人たちを分裂させた。
ウキモノハナシ=(権力者の話は)真実を隠して上辺だけの話です”

2004年10月17日
「桃太郎とは山彦の事で、おじいさんとおばあさんは世話をしてくれた叔父さんと叔母さんの事です。
(神社の)鍋が鳴るのは、鉄を作るのを(人間に教えていた)巨人をヤマトの人が殺したからです」

2005年1月10日
「お供について来たものです。
広島のイシカミです。
私が知らせたいことは、幼い子供(巨人)が生まれたという事です。
そしてその子供が人間の為にいろいろと働いたという事です。
イシカミが山になり、巨人が川や田畑を作ったったり、食べ物を作ったりしたという事です。
けれども人間の言葉で言うと、 “宝物が欲しいオニにされた”ということです。
桃太郎の物語は、今に必ず知らせようと思っていました。
(先日岡山に行った時に誤解して解釈をした事)
お供にキジをつけたのは、桃太郎は山彦なのです。
(山彦がヤマトに襲われた時に、君山がキジを鳴かせて知らせたと以前に伝えられた)
そして犬は左側にいたと言う事です。
犬が左側にいたということは、現実生活では犬が人間を助けるという意味です。
イシキの世界では、犬は狐*なのです。
沢山の宝物を盗んだものはヤマトの人の事なのです。
イシカミのオニ*ではありません。
桃太郎のおじいさんとおばあさんは、山彦が叔父と叔母に育てられた事をあらわしています。
キビダンゴは、 《キミ・タンゴ》の言葉を残すために作られた言葉です。
山彦が“キミ(吉美村)”にいて、 “丹後”も最初は“倭の国”だったと言うことです。
なぜ岡山にこの物語が伝えられたかというと、出雲の人たちと交流をしていて、ヤマタイコクの事を知っていたからです。
そして山彦がヤマタイコクの子孫であり、ヤマトが倭の国を攻めて宝物を持って行った事も、人々は知っていたからです。
オニを悪者にする事と、サル*をお供に加える事でヤマトの目をそらしたのです。
(綾部の)君山のイシカミが知らせてくれたので判ります」

*)狐=農作物を荒らす支配星が送り込んだネズミの天敵として送り込まれた。
又、人々はヤマトが押し付けた神を祭るのを嫌がり、その神を祭るのであれば狐を祭ると稲荷神社が始まったと伝えられている。
*)オニ=角があるのは、イシカミの巨人は頭にお汁を飲む管があったのが角?と思われた事。
*)サル=朝鮮から来たジンムや蘇我氏をサルに喩えていると、猿蟹合戦のサルや、天皇稜にある猿石で伝えられている。

「君山の子供(巨人)のトヨウケです。
おとなしくしている事が出来ないイシカミの子供が地震を起しています。
仲間で悪いものはいません。
きよい星が勝っています」

ソラ・シリーズ発売中!(石と宇宙(ソラ)のお話さんより)
・『地震と雲』(目次
地震の前にあらわれる変わった形の雲を、280枚の写真で紹介します。なぜ地震が起きるかという、これまでにない情報をお知らせするために作りました。
・『ソラの人間誕生記』(目次
宇宙の成り立ちについての説明や、人類発生の理由とその過程について、それらが有史以前の遺跡や製作者の分からない多くの石像と関係していることを解き明かします。
・『ソラからの真実の歴史』(目次
宇宙や地球の成り立ち、イシカミについて、ヤマタイコク、出雲と倭の国、ヤマト、太平洋戦争までの隠された真実について解き明かします。

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以上、ソラからの伝言より。

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