ソラ画像より
・エルハズネ
この巨大な石柱、繊細な模様を人間が造ったでしょうか?
人間の大きさと見比べてください。
これだけの力作なのに、入るとがらんとした一部屋があるだけです。
学説では上から彫って下に降りてきたと伝えられていますが、隣の岩を見てもほぼ垂直です。
この部分だけ飛び出していたとしても到底岩を彫っていくのは、どれほど困難なことか、ましてや繊細な形、つるつるの円柱に彫ることができるでしょうか?
それこそ、ノミの跡をひとつも見つけることはできません。
・エルハズネの横の足跡
これは高い所から始まっていますが、羽根のあるイシジンは、このように垂直に上にあがれたということを知らせています。
決して人間はこのようには足跡をつけることは出来ないと、いわば証拠を残したのです。
イシジンは母体?に溶け込んだようになり、はっきりしません。
・大きなイシジンと小さなイシジン
恥骨の門を通り抜けてくると出てくる劇場型の前の部分です。
大きなイシジン(高い柱)が指導していたようで、その前に小さなイシジンが並んでいたようです。
柱は建物を支えるものでないことがわかります。
・リトルペトラ
エルハズネに似ていますが、下がイシジンの部屋になっています。
・リトルペトラの悔し涙
きれいな円柱です。
これを真似てペトラのイシカミがより大きなのになったそうです。
黒い水の跡は、ペトラは有名になったのに、最初になったこちらを忘れているので悔し涙だそうです。
・延々と続く石柱(以下ジェラッシュ遺跡)
はるか向こうまで巨大な石柱の列は続きます。
これらの列柱を人間が造るとしたら、どうして造ったか想像がつかないと思います。
・列柱のサークル
巨大なサークルで、その先に長い列柱が続き、さらにその先に四方に分かれた列柱が続きます。
サークル内はこのようにしっかりと大きな石が敷き詰めてあり、列柱の通りも同じように巨石が敷き詰めてあります。
本当にこれでもか、という感じで、到底端まで見に行くことはできませんでした。
柱の間に門が所々にあり、裏に小部屋の跡があり、石柱などがゴロゴロ転がっています。
・列柱
通路はこのように石が敷かれていますが、わだちが残っているのは、柔らかかったからでしょう。
所々に地下に通じるのか蓋?がしてあるのもあります。
・意味のない柱
柱は屋根を支える物と思うと、意味がないと思われますが、イシジンの形だと思うと意味が通じます。
・ペラの遺跡
荒野の谷間に突然現れる遺跡。
ローマ時代の銅貨などが見つかることで、かってはここも都だったという言われていますが、今は羊飼いが放牧しているだけで、とても都があったとは思えません。
地中海から飛んできた羽根のあるイシジンに教えられて真似して造った(身体を変化した)そうです。
極小さな劇場型などもあり、そばには貝の化石もあるのは、巨人が海の底から泥を持ってきたと伝えられました。
近くに地下墳墓も洞穴もあるようですが、急斜面になっていて行き来が大変で遠くから見ただけです。
・ペラの羊飼い
ローマの銅貨などの遺品があるのは、このような羊飼いに旅人が出会い、食べ物を分けてもらったお礼に渡した物と。
それを知らせるためにと、昔ながらのたくさんの羊があらわれました。
要するにここの人たちは大昔からこのような羊と暮らしていただけで、ローマ式の石造建築を造ったのではないということを知らせたようです。
・ウムカイス
真っ黒な石柱、自ら嫌な色になって警告してくれている柱になったイシジンたち。
・ウム・カイスの花
黒い大理石の遺跡に生えていたうつむいたシクラメン。
ここの遺跡は、イシカミの思いを思うと涙が出ます。
・エフェソス
ペトラと似ている建物で、一部屋あるだけで後ろは壁、その裏の外も何もない。
前にはイシジンが立っていたようだが、今はレプリカの石像が立っている。
山間の谷間で、周りに畑はなく、人が住むには平地の少ない。
アトランティスを真似た建物になった最初のイシカミの作品。
ギリシャはこのあとに建てたのに、ギリシャが一番古いと人間が言うので、トロイ戦争が起きた。
・エフェソスの石畳と石柱と劇場型
トルコにもローマと同じ小さな石畳の道路もあったが、一般に大きな石が並べてある。
同じくイシカミの巨人の石柱が並んでいるのは、その間を人間が歩くことで、原子が集まってできたばかりの肉体を、更にしっかりと原子が結合するためであった。
ギリシャより先にここのイシカミが造った。
・エフェソスの石柱の模様
原子が集まって細胞になることを教えている模様。
・モスクとミナレット
トルコにて。
円形の屋根が回りにたくさんあるのは、イシカミは分裂して分身が出来たことをあらわします。
ミナレットは筆をあらわし、イシカミのことを伝えています。
いずれもイシカミの原子たちが目的を持って形に残したのです。
・石柱の元(ミラノのドウモ)
バチカンの沢山の巨大な石柱にも驚かされますが、単調な円柱です。
それに対して、ここの石柱はより人間では製作不能と思わせるような凸凹とした石柱になっていますが、これで一本です。
隣の人間の大きさと比べると、土台だけでこの大きさなので、とてつもない太さ(高さ)であることもわかると思います。
・ミラノのイシジン
巨大な建物のドウモを下から見ただけでは、このように石像が乗っているとは決してわからないくらい高い塔です。
上まで登ってドウモの尖塔には全て石像(イシジン)がいたのには驚きアップで撮りました。
石像はとても大きく、重いはずですが、どこにもその謎は書いてない?
ドウモと人間の大きさを比べると、いかに人間が小さいか?
天使(イシジン)が創ったと言う伝説が事実だと言うことがわかります。
バチカンがキリスト教徒に崇められているので、それに対抗して、人間がこの建物などを造れるか?と、イシジンが尖塔の上に乗ったそうです。
この建物だけでも、生きているような石像が2400体もあり、このような高所に乗っているのです。
現代の高層のクレーンがあっても、生きているような大理石の像を作ってセメントで引っ付けても、10年もしないうちに、次々落ちる心配があるでしょうに。
これがなぜ落ちないか?
トレビの泉の石像のように、土台と同じ石でできているからだそうです。
すなわちひとつの塔が一人の?イシジンが変化して形になったからだそうです。
*)The roof of the Duomo (Cathedral) in Milan (Italy)
・バチカンの広場
巨大な石柱の上に石像が立っていているのは、石柱が巨人をあらわし、それがイシジンの形としてあらわしているようで、夜中に言葉になって
「ムレ、ムレ、・・・(人間の) 群れを見ていたものです。
誰一人、(石像を) イシジンということに気づくものはいませんでした・・・・・」
と、法王の説教には熱狂的?に迎えていた人々のことを、皮肉って伝えてきました。
広場にはタコクラゲ型の噴水があり、渦巻きと悪相に似た彫り物がありましたが、この場の意味を表しているようです。
バチカンの中は、数10年前に来た時は、貧しい信者から集めたお金でこれほど華やかな贅を凝らした教会はないと思っていましたが、今回は照明が落とされているのかその光りを感じませんでした。
ちなみに、死者との交信ができるというのでイエスは有名になったが、ここへ来て、これを大切にしなければいけないと言ったので、権力者は怒ったとも。
・法隆寺4
バチカンの石柱は半円を描いていましたが、ここでは長方形(=シリウをあらわす)の柱の回廊があります。
回廊の目的は同じで、中庭で人間が創られた後、この回廊を通る間に、柱のイシジンからエネルギーや、色々な指導を受けたそうです。
どの柱の土台も大きな自然石です。
・法隆寺2
「ボンノウ。ボウ・ノウ。ボウ・ノウ。これまでの意味と違います」
と言葉が出てきて
「棒・脳=棒にも脳がある=棒はイシジンの変化したもので、思いを持っていることを表している」
と伝えてきました。
それで柱に目があるようになっているのと、仁王の前の柵の頭が丸くなっているそうです、
・法隆寺3
仁王の前の柵の頭が丸くなっているのは、↑の意味がある。
すなわちボンノウ(煩悩)=棒・脳=棒でも脳がある=棒はイシジンであること。
庭で人間が創られたが、人間は自分で生活するためにここに戻ってきてはいけない、とイシジンが門番をしているそうです。
頭にお汁の管があり、羽衣はイシジンはソラを飛んでいたのは、ヨーロッパの絵と同じです。
・ポンペイの祭壇
このテーブルの上で人間になろうとおもうイシジンの原子が集まって人間の形になった。
それを石柱のイシジンたちがエネルギーを送っていた。
後ろにベスビオス火山が見えます。
・大理石の石柱の中身
同行者に言われて初めて気がつきました。
外側は確かに大理石の成分のようですが、中身はレンガでした。
ポンペイにあった、石の粉を造る石器もここにあり、用途を知らせてきました。
茶色のコケはイシカミの色をあらわします。
後ろの松の皮も、日本の松に比べ、ウロコのようではありません。
・張りぼて?大理石2
一部がレンガのままの部位と大理石に変わっているイシカミの原子。
それぞれ原子たちが、思いを持っていることをあらわすために、自分たちの思うままに変化した結果の石柱。
・オスティア・アンティカ遺跡
丸い卵のようなのは、トルコやヨルダンでよく見ましたが、イシカミの原子
をあらわすということでした。
そのイシカミの原子が、シリウの知恵で、長方形のレンガで表すようになったことを知らせています。
このレンガは、張りぼて大理石の中に、さらにたくさんあるようですが、これらのレンガは、人間が造る場合は1枚ずつ型にはめて、高温で焼かなければできません。
イタリアの遺跡だけでも天文学的な数のレンガを、人間はどうして造ったでしょう?
そしてレンガで大きなアーチを造るのに、何で結合させたでしょう?
長方形のレンガを高くて完璧な、無数の円柱や波状の円柱にするのに、クレーンも何もない当時にどうしてできたでしょうか?
後ろの石柱は、イシカミの原子がクラゲのように増殖をしていって高くなった、一種のイシジンで、周りを見守っていたようです。
・未完成のオベリスク
巨大なもので、人間には出来ないと思わせるために、巨大なオベリスクの形になったと以前に伝えられています。
遠くの人間を見ればいかに巨大かわかります。
そして、いかに人間が小さな存在であれるか他の石造建築を見ても歴然としています。
現代の機械をもっても建築困難なことが、石器時代の後の人間で出来ることではありませんが、人間が造ったとしか他の方法がわからないので、机上の空論ですませているのです。
想像だけで“人間が何でも出来た”と断定して傲慢になるでなく、もっと人間の限界を知り、なぜ?と言う疑問に対して謙虚にならなければならないと思います。
2007年5月22日
新型の抗うつ薬、イエメンの遺跡、涅槃仏、巾着袋地震
#)イエメンの遺跡新シルクロードはイエメンでした。
イエメンのことはほとんど知らなかったのですが、だんだん畑の農家の人たちが内戦による貧しさもあって出稼ぎに行く人が多いそうです。
初めて見る遺跡の数々はやはりイシカミを伝えていると思われましたが、上記の説明によると
「イエメンは純粋アラブ人の原型の発祥の地といわれている」
と言われているそうです。
マーリブ・ダムの遺跡は砂漠の中に埋もれていて、最近発掘されたそうで、世界のふしぎのひとつのダムと言われています。
8本の巨大な石柱が並んでいて、上空から見ると1km四方の楕円形の遺跡で、イシカミの丸をあらわしているようでした。
イエメンは岩山と砂漠が多くて、人間が住むには過酷な環境になったのと、8本の石柱は何をあらわしているのかと思って寝ました。
「イシカミが死んでしまったので食べ物がなくなったのです。
(イシカミの身体がマナ=キノコのようで食べられた=ヨルダンの岩山もそうだった)
そのマナと山羊の乳(ニュウコウという)を飲んでいます。
乳香(特殊な木の粘液の浸出液)ではありません。
山羊の乳を乳香と呼んでいたのです。
支配星が降りてきてから山羊は悪者*と言うようになったので山羊がいなくなったのです?
いろいろな顔(の石面)は、(イシカミの原始たちに)いろいろな顔の人になるように見本として残したのです。
8本の石柱は8=ヤ、高い石柱=木=キで、ヤギを大切にするように教えたのです。
山羊(の頭の彫刻)があったのも同じくヤギを大切にするように伝えたのです」
*)山羊は悪者=山羊人間は後から来た支配星の仲間のおうし座のものが、頭が山羊の動物人間を悪魔の化身として教えたのです。
壁に山羊の頭が並んでいましたが、山羊は人間が創られた時に、山羊の乳は人間の食べ物として山羊を創り出したので、8本の石柱であらわしたそうです。
マダスンサールの岩山には、ペトラのように岩山の広範囲に表面が平らになっていて、石窟が何個かありましたが、ここで創られたイシジンが働いたのでしょう。
シバの女王やソロモンの秘宝というのは、イシカミの原子が変化した宝石のことで、シバの女王もソロモン王もそれぞれイシジンだそうです。
人間であれば、砂漠の中で、王国が乳香だけで都が繁栄したというには、余りにも現実離れしていると思います。
人間が生きていくためにはまず食べ物、水がなければ人間は生活できないので、現実の今の人間生活をみれば乳香を買う人がどれほどいるか?ということです。
又、廻りは完全な砂漠で、岩がどこにもありませんが、かって岩があったとしても鉄もなかったのにその岩をどうやって、建築に用いたでしょう。(これはアフリカのメロエ遺跡も同じです)
ワディ・ダハールのロックパレスを見て、本当に人間が建てたと思えるのでしょうか?
それにしても貧しい農家のイエメンの人たちを奴隷のように扱う、サウジアラビアの富豪は、冷血人間そのもの、地球の富を他人を苦しめて得ている一族はやはり、爬虫類の星のイシキだそうです。
地球の富を爬虫類の星のイシキの人たちが、独占している現状をしっかり見ていると、宇宙のものたちはいろいろな変わった現象をあらわして警告をしてきているようです。
最近雲でよく見るのは、目そのものをあらわす形です。
地球の謎解きシリーズ発売中!
・『ソラからの伝言』
今ようやくソラのものの思いを、言葉として皆様にお伝えすることができるようになりました。人間はどこから来たか? 地球はなぜ水の惑星なのか? 恐竜はなぜいなくなったか? アトランティスとは? ヤマタイコクとは? ピラミッドの謎など。それだけではありません。人がどうして大自然や美しいものに惹かれるのか? どうして醜い戦争の歴史を繰り返してきたのか?・・・などをお知らせします。
・地震雲画像
DATE LAT LON MAG DEPTH km REGION
13-NOV-2009 09:33:45 18.09 145.90 M5.3 147.6 MARIANA ISLANDS
13-NOV-2009 07:53:11 -19.78 -70.75 M4.5 40.1 NEAR COAST OF NORTHERN CHILE
13-NOV-2009 07:27:13 -17.91 -64.09 M5.8 607.7 CENTRAL BOLIVIA
13-NOV-2009 03:05:55 -19.35 -70.25 【M6.5】 10.0 NEAR COAST OF NORTHERN CHILE
12-NOV-2009 19:39:12 -4.77 103.03 M5.4 35.0 SOUTHERN SUMATERA, INDONESIA
12-NOV-2009 12:53:06 -6.12 104.13 M5.0 56.8 SUNDA STRAIT
発生時刻 2009年11月13日21時9分頃
震源地 福島県沖(北緯37.2度 東経142.3度 深さ20km)
規模 M4.6 震度2 玉川村、田村市、葛尾村
発生時刻 2009年11月13日22時44分頃
震源地 新潟県上越地方(北緯37.1度 東経138.5度 深さ10km)
規模 M2.7 震度2 上越市、十日町市松代
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
以上、地球の謎解きより。
・エルハズネ
この巨大な石柱、繊細な模様を人間が造ったでしょうか?
人間の大きさと見比べてください。
これだけの力作なのに、入るとがらんとした一部屋があるだけです。
学説では上から彫って下に降りてきたと伝えられていますが、隣の岩を見てもほぼ垂直です。
この部分だけ飛び出していたとしても到底岩を彫っていくのは、どれほど困難なことか、ましてや繊細な形、つるつるの円柱に彫ることができるでしょうか?
それこそ、ノミの跡をひとつも見つけることはできません。
・エルハズネの横の足跡
これは高い所から始まっていますが、羽根のあるイシジンは、このように垂直に上にあがれたということを知らせています。
決して人間はこのようには足跡をつけることは出来ないと、いわば証拠を残したのです。
イシジンは母体?に溶け込んだようになり、はっきりしません。
・大きなイシジンと小さなイシジン
恥骨の門を通り抜けてくると出てくる劇場型の前の部分です。
大きなイシジン(高い柱)が指導していたようで、その前に小さなイシジンが並んでいたようです。
柱は建物を支えるものでないことがわかります。
・リトルペトラ
エルハズネに似ていますが、下がイシジンの部屋になっています。
・リトルペトラの悔し涙
きれいな円柱です。
これを真似てペトラのイシカミがより大きなのになったそうです。
黒い水の跡は、ペトラは有名になったのに、最初になったこちらを忘れているので悔し涙だそうです。
・延々と続く石柱(以下ジェラッシュ遺跡)
はるか向こうまで巨大な石柱の列は続きます。
これらの列柱を人間が造るとしたら、どうして造ったか想像がつかないと思います。
・列柱のサークル
巨大なサークルで、その先に長い列柱が続き、さらにその先に四方に分かれた列柱が続きます。
サークル内はこのようにしっかりと大きな石が敷き詰めてあり、列柱の通りも同じように巨石が敷き詰めてあります。
本当にこれでもか、という感じで、到底端まで見に行くことはできませんでした。
柱の間に門が所々にあり、裏に小部屋の跡があり、石柱などがゴロゴロ転がっています。
・列柱
通路はこのように石が敷かれていますが、わだちが残っているのは、柔らかかったからでしょう。
所々に地下に通じるのか蓋?がしてあるのもあります。
・意味のない柱
柱は屋根を支える物と思うと、意味がないと思われますが、イシジンの形だと思うと意味が通じます。
・ペラの遺跡
荒野の谷間に突然現れる遺跡。
ローマ時代の銅貨などが見つかることで、かってはここも都だったという言われていますが、今は羊飼いが放牧しているだけで、とても都があったとは思えません。
地中海から飛んできた羽根のあるイシジンに教えられて真似して造った(身体を変化した)そうです。
極小さな劇場型などもあり、そばには貝の化石もあるのは、巨人が海の底から泥を持ってきたと伝えられました。
近くに地下墳墓も洞穴もあるようですが、急斜面になっていて行き来が大変で遠くから見ただけです。
・ペラの羊飼い
ローマの銅貨などの遺品があるのは、このような羊飼いに旅人が出会い、食べ物を分けてもらったお礼に渡した物と。
それを知らせるためにと、昔ながらのたくさんの羊があらわれました。
要するにここの人たちは大昔からこのような羊と暮らしていただけで、ローマ式の石造建築を造ったのではないということを知らせたようです。
・ウムカイス
真っ黒な石柱、自ら嫌な色になって警告してくれている柱になったイシジンたち。
・ウム・カイスの花
黒い大理石の遺跡に生えていたうつむいたシクラメン。
ここの遺跡は、イシカミの思いを思うと涙が出ます。
・エフェソス
ペトラと似ている建物で、一部屋あるだけで後ろは壁、その裏の外も何もない。
前にはイシジンが立っていたようだが、今はレプリカの石像が立っている。
山間の谷間で、周りに畑はなく、人が住むには平地の少ない。
アトランティスを真似た建物になった最初のイシカミの作品。
ギリシャはこのあとに建てたのに、ギリシャが一番古いと人間が言うので、トロイ戦争が起きた。
・エフェソスの石畳と石柱と劇場型
トルコにもローマと同じ小さな石畳の道路もあったが、一般に大きな石が並べてある。
同じくイシカミの巨人の石柱が並んでいるのは、その間を人間が歩くことで、原子が集まってできたばかりの肉体を、更にしっかりと原子が結合するためであった。
ギリシャより先にここのイシカミが造った。
・エフェソスの石柱の模様
原子が集まって細胞になることを教えている模様。
・モスクとミナレット
トルコにて。
円形の屋根が回りにたくさんあるのは、イシカミは分裂して分身が出来たことをあらわします。
ミナレットは筆をあらわし、イシカミのことを伝えています。
いずれもイシカミの原子たちが目的を持って形に残したのです。
・石柱の元(ミラノのドウモ)
バチカンの沢山の巨大な石柱にも驚かされますが、単調な円柱です。
それに対して、ここの石柱はより人間では製作不能と思わせるような凸凹とした石柱になっていますが、これで一本です。
隣の人間の大きさと比べると、土台だけでこの大きさなので、とてつもない太さ(高さ)であることもわかると思います。
・ミラノのイシジン
巨大な建物のドウモを下から見ただけでは、このように石像が乗っているとは決してわからないくらい高い塔です。
上まで登ってドウモの尖塔には全て石像(イシジン)がいたのには驚きアップで撮りました。
石像はとても大きく、重いはずですが、どこにもその謎は書いてない?
ドウモと人間の大きさを比べると、いかに人間が小さいか?
天使(イシジン)が創ったと言う伝説が事実だと言うことがわかります。
バチカンがキリスト教徒に崇められているので、それに対抗して、人間がこの建物などを造れるか?と、イシジンが尖塔の上に乗ったそうです。
この建物だけでも、生きているような石像が2400体もあり、このような高所に乗っているのです。
現代の高層のクレーンがあっても、生きているような大理石の像を作ってセメントで引っ付けても、10年もしないうちに、次々落ちる心配があるでしょうに。
これがなぜ落ちないか?
トレビの泉の石像のように、土台と同じ石でできているからだそうです。
すなわちひとつの塔が一人の?イシジンが変化して形になったからだそうです。
*)The roof of the Duomo (Cathedral) in Milan (Italy)
・バチカンの広場
巨大な石柱の上に石像が立っていているのは、石柱が巨人をあらわし、それがイシジンの形としてあらわしているようで、夜中に言葉になって
「ムレ、ムレ、・・・(人間の) 群れを見ていたものです。
誰一人、(石像を) イシジンということに気づくものはいませんでした・・・・・」
と、法王の説教には熱狂的?に迎えていた人々のことを、皮肉って伝えてきました。
広場にはタコクラゲ型の噴水があり、渦巻きと悪相に似た彫り物がありましたが、この場の意味を表しているようです。
バチカンの中は、数10年前に来た時は、貧しい信者から集めたお金でこれほど華やかな贅を凝らした教会はないと思っていましたが、今回は照明が落とされているのかその光りを感じませんでした。
ちなみに、死者との交信ができるというのでイエスは有名になったが、ここへ来て、これを大切にしなければいけないと言ったので、権力者は怒ったとも。
・法隆寺4
バチカンの石柱は半円を描いていましたが、ここでは長方形(=シリウをあらわす)の柱の回廊があります。
回廊の目的は同じで、中庭で人間が創られた後、この回廊を通る間に、柱のイシジンからエネルギーや、色々な指導を受けたそうです。
どの柱の土台も大きな自然石です。
・法隆寺2
「ボンノウ。ボウ・ノウ。ボウ・ノウ。これまでの意味と違います」
と言葉が出てきて
「棒・脳=棒にも脳がある=棒はイシジンの変化したもので、思いを持っていることを表している」
と伝えてきました。
それで柱に目があるようになっているのと、仁王の前の柵の頭が丸くなっているそうです、
・法隆寺3
仁王の前の柵の頭が丸くなっているのは、↑の意味がある。
すなわちボンノウ(煩悩)=棒・脳=棒でも脳がある=棒はイシジンであること。
庭で人間が創られたが、人間は自分で生活するためにここに戻ってきてはいけない、とイシジンが門番をしているそうです。
頭にお汁の管があり、羽衣はイシジンはソラを飛んでいたのは、ヨーロッパの絵と同じです。
・ポンペイの祭壇
このテーブルの上で人間になろうとおもうイシジンの原子が集まって人間の形になった。
それを石柱のイシジンたちがエネルギーを送っていた。
後ろにベスビオス火山が見えます。
・大理石の石柱の中身
同行者に言われて初めて気がつきました。
外側は確かに大理石の成分のようですが、中身はレンガでした。
ポンペイにあった、石の粉を造る石器もここにあり、用途を知らせてきました。
茶色のコケはイシカミの色をあらわします。
後ろの松の皮も、日本の松に比べ、ウロコのようではありません。
・張りぼて?大理石2
一部がレンガのままの部位と大理石に変わっているイシカミの原子。
それぞれ原子たちが、思いを持っていることをあらわすために、自分たちの思うままに変化した結果の石柱。
・オスティア・アンティカ遺跡
丸い卵のようなのは、トルコやヨルダンでよく見ましたが、イシカミの原子
をあらわすということでした。
そのイシカミの原子が、シリウの知恵で、長方形のレンガで表すようになったことを知らせています。
このレンガは、張りぼて大理石の中に、さらにたくさんあるようですが、これらのレンガは、人間が造る場合は1枚ずつ型にはめて、高温で焼かなければできません。
イタリアの遺跡だけでも天文学的な数のレンガを、人間はどうして造ったでしょう?
そしてレンガで大きなアーチを造るのに、何で結合させたでしょう?
長方形のレンガを高くて完璧な、無数の円柱や波状の円柱にするのに、クレーンも何もない当時にどうしてできたでしょうか?
後ろの石柱は、イシカミの原子がクラゲのように増殖をしていって高くなった、一種のイシジンで、周りを見守っていたようです。
・未完成のオベリスク
巨大なもので、人間には出来ないと思わせるために、巨大なオベリスクの形になったと以前に伝えられています。
遠くの人間を見ればいかに巨大かわかります。
そして、いかに人間が小さな存在であれるか他の石造建築を見ても歴然としています。
現代の機械をもっても建築困難なことが、石器時代の後の人間で出来ることではありませんが、人間が造ったとしか他の方法がわからないので、机上の空論ですませているのです。
想像だけで“人間が何でも出来た”と断定して傲慢になるでなく、もっと人間の限界を知り、なぜ?と言う疑問に対して謙虚にならなければならないと思います。
2007年5月22日
新型の抗うつ薬、イエメンの遺跡、涅槃仏、巾着袋地震
#)イエメンの遺跡新シルクロードはイエメンでした。
イエメンのことはほとんど知らなかったのですが、だんだん畑の農家の人たちが内戦による貧しさもあって出稼ぎに行く人が多いそうです。
初めて見る遺跡の数々はやはりイシカミを伝えていると思われましたが、上記の説明によると
「イエメンは純粋アラブ人の原型の発祥の地といわれている」
と言われているそうです。
マーリブ・ダムの遺跡は砂漠の中に埋もれていて、最近発掘されたそうで、世界のふしぎのひとつのダムと言われています。
8本の巨大な石柱が並んでいて、上空から見ると1km四方の楕円形の遺跡で、イシカミの丸をあらわしているようでした。
イエメンは岩山と砂漠が多くて、人間が住むには過酷な環境になったのと、8本の石柱は何をあらわしているのかと思って寝ました。
「イシカミが死んでしまったので食べ物がなくなったのです。
(イシカミの身体がマナ=キノコのようで食べられた=ヨルダンの岩山もそうだった)
そのマナと山羊の乳(ニュウコウという)を飲んでいます。
乳香(特殊な木の粘液の浸出液)ではありません。
山羊の乳を乳香と呼んでいたのです。
支配星が降りてきてから山羊は悪者*と言うようになったので山羊がいなくなったのです?
いろいろな顔(の石面)は、(イシカミの原始たちに)いろいろな顔の人になるように見本として残したのです。
8本の石柱は8=ヤ、高い石柱=木=キで、ヤギを大切にするように教えたのです。
山羊(の頭の彫刻)があったのも同じくヤギを大切にするように伝えたのです」
*)山羊は悪者=山羊人間は後から来た支配星の仲間のおうし座のものが、頭が山羊の動物人間を悪魔の化身として教えたのです。
壁に山羊の頭が並んでいましたが、山羊は人間が創られた時に、山羊の乳は人間の食べ物として山羊を創り出したので、8本の石柱であらわしたそうです。
マダスンサールの岩山には、ペトラのように岩山の広範囲に表面が平らになっていて、石窟が何個かありましたが、ここで創られたイシジンが働いたのでしょう。
シバの女王やソロモンの秘宝というのは、イシカミの原子が変化した宝石のことで、シバの女王もソロモン王もそれぞれイシジンだそうです。
人間であれば、砂漠の中で、王国が乳香だけで都が繁栄したというには、余りにも現実離れしていると思います。
人間が生きていくためにはまず食べ物、水がなければ人間は生活できないので、現実の今の人間生活をみれば乳香を買う人がどれほどいるか?ということです。
又、廻りは完全な砂漠で、岩がどこにもありませんが、かって岩があったとしても鉄もなかったのにその岩をどうやって、建築に用いたでしょう。(これはアフリカのメロエ遺跡も同じです)
ワディ・ダハールのロックパレスを見て、本当に人間が建てたと思えるのでしょうか?
それにしても貧しい農家のイエメンの人たちを奴隷のように扱う、サウジアラビアの富豪は、冷血人間そのもの、地球の富を他人を苦しめて得ている一族はやはり、爬虫類の星のイシキだそうです。
地球の富を爬虫類の星のイシキの人たちが、独占している現状をしっかり見ていると、宇宙のものたちはいろいろな変わった現象をあらわして警告をしてきているようです。
最近雲でよく見るのは、目そのものをあらわす形です。
地球の謎解きシリーズ発売中!
・『ソラからの伝言』
今ようやくソラのものの思いを、言葉として皆様にお伝えすることができるようになりました。人間はどこから来たか? 地球はなぜ水の惑星なのか? 恐竜はなぜいなくなったか? アトランティスとは? ヤマタイコクとは? ピラミッドの謎など。それだけではありません。人がどうして大自然や美しいものに惹かれるのか? どうして醜い戦争の歴史を繰り返してきたのか?・・・などをお知らせします。
・地震雲画像
DATE LAT LON MAG DEPTH km REGION
13-NOV-2009 09:33:45 18.09 145.90 M5.3 147.6 MARIANA ISLANDS
13-NOV-2009 07:53:11 -19.78 -70.75 M4.5 40.1 NEAR COAST OF NORTHERN CHILE
13-NOV-2009 07:27:13 -17.91 -64.09 M5.8 607.7 CENTRAL BOLIVIA
13-NOV-2009 03:05:55 -19.35 -70.25 【M6.5】 10.0 NEAR COAST OF NORTHERN CHILE
12-NOV-2009 19:39:12 -4.77 103.03 M5.4 35.0 SOUTHERN SUMATERA, INDONESIA
12-NOV-2009 12:53:06 -6.12 104.13 M5.0 56.8 SUNDA STRAIT
発生時刻 2009年11月13日21時9分頃
震源地 福島県沖(北緯37.2度 東経142.3度 深さ20km)
規模 M4.6 震度2 玉川村、田村市、葛尾村
発生時刻 2009年11月13日22時44分頃
震源地 新潟県上越地方(北緯37.1度 東経138.5度 深さ10km)
規模 M2.7 震度2 上越市、十日町市松代
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以上、地球の謎解きより。