ソラから来たよ

このブログは「地球の謎解き」(http://sora.ishikami.jp/)の情報を元に構成しています。

テノミ山

2007年04月23日 23時57分17秒 | Weblog
2007年4月23日
手宮洞窟を作ったと言う、小樽のテノミ山(天狗山)に行っていました。

「天狗山と言わないで【テノミ山】と呼んでください。
近くの手宮洞窟はテノミ山の分身が作りました。
今まで眠っていました」と。

隣の山は眠っているようです。

テノミ山の画像
小樽にあり、以前天狗山という標識を見た時サインがあったので行ってきました。
天狗とは支配星につけられた名前で【テノミ山】と言ってほしいと。
余市岳の奥さん?、(塩や丸山は愛人?)
手宮洞窟の岩絵を作ったのは、このイシカミの子供と。
小樽の赤岩はこのイシカミの分身がアーチを作った?
小樽 高島岬、下赤岩山の画像

テノミ山(天狗山)から見える隣の山の画像
眠ったような雪景色ですが、イシカミは今まで寝ていましたと。

手宮洞窟について

*)テノミ山(天狗山)の麓には天狗堂?があり、天狗のお面が沢山集められています。そこに天狗の麦飯の紹介がありましたがマナと思えます。
天狗の麦飯について

2004年1月17日
手宮洞窟の岩刻を見てきましたが、榎本武揚が手宮洞窟の岩刻を学会に紹介したそうです。
その榎本を慕って集まってきた若者は、学識豊かな人達だったそうです。

「なぜこの地が好きだったかというと、かってこの地で生きていたからです。
新しい政府に参加しようと希望を持ってやって来た所だったからです。
榎本武揚でした。 多くの人に支えられたので幸せでした」

榎本武揚について

2005年6月27日
「榎本(武揚 たけあき)です。
あの五稜郭の形は、シリウスに教えてもらったのです。
私達がイシカミを守る事を決心したのです。
(榎本達を指導した)フランス人は、たくさんの巨石遺跡を知っていました」

五稜郭について

「仲間に知らせたのがいろいろな遺跡でした。
日本人が大切にしてきたのは、山やイワクラでした。
作られた神話の神や天皇を崇めるように強制する政府に反対をしたのです。
それで函館に行ったのです(戊辰戦争)」

西郷隆盛が洞窟で亡くなったのは、榎本に刺激されたからです。
土方歳三フゴッペ洞窟を(考古)学者に知らせたのも意味がありました」

地震雲写真集『地震と雲』5月発売予定
地球希望の星として創られたので思いを実現することができます。
そのことを理解できる人間を創りました
宇宙(ソラ)のもののより」

地震の前にあらわれる変わった形の雲を、280枚の写真で紹介します。
この本は地震の予知を目的に作ったのではありません。
なぜ地震が起きるかという、これまでにない情報をお知らせするために作りました。

目次
【はじめに】
【地震の前にあらわれた雲や虹や変わった現象】
【大きな地震の前にあらわれた雲】
【地震の前にあらわれた雲】
【原子とニウの物語】(地震はなぜ起きるか?)
【変わった形の地震】
【地震の前の身体の変化】
【巨大地震と巨大津波】
【自然現象のソラの解釈】
【おわりに】

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以上、ソラからの伝言より。
写真は、4月23日のソラ。

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