ソラから来たよ

このブログは「地球の謎解き」(http://sora.ishikami.jp/)の情報を元に構成しています。

ヒミコの鏡

2009年05月05日 22時51分18秒 | Weblog
ヒミコの娘=イト」、「ノアの息子=ムウラ」の続きです。

2005年11月15日
マグニチュード7.1の地震の意味、ヒミコの鏡

2005年11月15日
三陸沖でマグニチュード7.1(海外では7.2)の地震が起きました

2004年12月5日
イシカミ、日の丸の始まり、ヒミコより

2004年12月5日 明け方突然。

イシカミがうれしいと思う事は、天然(=自然に出来たと言われている不思議な形の岩など)と思われているものを、イシカミ(の巨人)が作ったと思ってくれる事です。
地震の時にそのように思ってくれる人の家は潰しません]

(このことはこれまで何度も伝えてきていますが、現実にどうかわからないので書きませんでした)

2004年3月28日
ヒミコより、ホツマツタエ、アワの歌の意味

2004年3月28日 明け方

「いつも人間が死ぬまでにいかに楽に生きていけるか、と思っていました。
それには知らされて良かった事を、みんなが知ると良いと思ったのです。
それで何とか文字を作ったのです」

ソラ辞典より
カタカナ
最初の文字(ホツマツタエ)は覚えにくいので、ヒミコと若者が考え出した文字。

「私はヒミコです。
“ワ”ということはとても大切だと思いました。
輪になって踊ったりして、お互い助け合ってヤマタイコクを作りました。
私が考えた『カタカナ』の意味をお知らせします。
“ワ”が最初の言葉でした。

『ア』=アナタのア。頭と身体。先頭に立つ。
『イ』=イノリのイ。頭を下げている姿、ノとリを合わせた。
『ウ』=ワの上の点で、輪の先頭に立ってウタウ。
『エ』=橋=エニ=川と川を結ぶ=連絡する=天と地を結ぶ。
『オ』=男のことで、付いているモノがある。

『カ』=動物の皮。力を合わせて力を入れて皮を剥ぐ。力があること。
『キ』=木の板に文字を書いて綴じた物。記録。
『ク』=苦労のク。タから点を取るとク。点は人間を表し、田に入らないと苦労するという意味。
『ケ』=毛のケ。頭の上に丸(お汁の壺)を載せていた。
『コ』=子供が産まれるところ。女性。

『サ』=(めざしを)刺す。男と女がサス。人を刺す。
『シ』=死ぬのシ。2つの点が魂と霊を現し、長い線が肉体。肉体からそれらが離れると死ぬ、死後の世界のこと。
『ス』=好きのス。これは若者が考えました。
『セ』=磯の精霊のセ。砂浜に穴を開けている貝。穴に入るということ。
『ソ』=ソのものということ。指さしてソレということ。

『タ』=高いのタ。田んぼのタ。稲を干す高い所に登った人の形。
『チ』=命の元である血。+は死。ノに散ると死。
『ツ』=罪のツ。肉体から魂と霊が離れると悪いことをする。
『テ』=身体の上に2本あるものが手。
『ト』=供という意味。自分をちょっと支えてくれる。

『ナ』=ナニの意味。ナ=+=死とはどういうものか、意味が解らなかった。
『ニ』=2本。肉体と霊だけでは死ぬということ。死ぬとはナニ。
『ヌ』=スとともに若者が考えました。
『ネ』=木の根の形。地下をあらわす。
『ノ』=野原のノ。本当は横線でした。平らな地形。

『ハ』=歯。(歯を出して)笑う。
『ヒ』=かまどから火が出ている様子。
『フ』=フーと口から息が出る様子。
『ヘ』=なだらかな土地の形。平等をあらわす。
『ホ』=死んだ後、善人は左、悪人は右と別れる死後の世界のこと。

『マ』=鉛が身体に入り、苦しむこと、身体を曲げている。魔のもの。
『ミ』=魂・霊・肉体の3つという意味。
『ム』=無理をして身体が曲がること。
『メ』=芽が出た様子。
『モ』=モノをもらう時に手を差し出す形。

『ヤ』=矢。
『ユ』=舞台の上でユーガに踊っている形。舞台の上で演説をする。
『ヨ』=たくさん食べ物が採れて、棚に並べている様子。良かったのヨ。

『ラ』=楽をすると後でフーとため息が出る様子。
『リ』=利口のリで、2通りのことを考えることができること。肉体と顕在意識のみで人間はできていると思うこと。
『ル』=礼をしている人の前に立っている人が、瑠璃(ルリ=宝石)を身に付けている様子。
『レ』=頭を下げて礼をしている様子。折れ曲がるのとは違うので、上下反対にしました。
『ロ』=家の中の炉のこと。口。

『ワ』=輪になって踊る様子。輪。
『ン』=シから点が一つなくなっている様子。魂が空に行くと、死んでも生まれ変わらなくても良いという意味」

2002年4月23日
ヒミコより、文字の始まり

2002年4月22日

「私たちが日本に来た時に、言葉はありました。
けれども、文字というものはありませんでした。
それで、お祈りをする言葉を皆に知らせることは出来ませんでした。
それで、文字を考えたのです。
多くの文字の言葉は一つにまとめて男文字(漢字)を作りました。
それで記録しておくのに紙が少なくてすみました。

私の所に大陸の人も来ていました。
大国主にお米の作り方を習いに来ていた人が、“お米の作り方を紙に書いて欲しい”と言うので書きました。
亀甲は、海辺の人が山の物と交換するために持って来ました。
それは穀物の入れ物に使い助かりました。

かえすがえすも残念だったのは、この亀甲に文字を書いて置けばよかったと思うことです。
いまだに(日本の)文字は外国から来たと教育者が教えているからです。
イシカミの教えのお祈りを、今も伝えているは...」

【ヤマタイコク物語】より
1)大昔、アトランティスの子孫である大国主は、アトランティスが滅びる時に母親の女王に云われて、宇宙の大元の分身であるホシノミナが降りた日本に行く事にしました。
大国主はアトランティスのイシジン人間の合いの子だったので、とても大きく白い色で、アトランティスで金属に変わった鎌を持っていました。
途中、ヨルダンのペトラのイシカミに、食べても減らない食べ物マナを、同じく飲んでも減らない水の入った瓶を与えてもらいました。
そして、道中で一緒になったイシジンと人間の合いの子のヒミコと共に日本に向かいましたが、途中で支配星の送り込んだ大蛇にやられて死んでしまいました。
けれどもイシキは日本へ行きたいと思っていたので、そのことをテレパシーで知った道中のイシカミの巨人達は、大国主たちのイシジンの遺体を鎌と共に手渡しで日本へ運んであげました。

大国主たちは四国の山の台地(山台国)になっているイシカミの背中で、今度は大柄な人間の体に生まれ変わりました。
そしてイシカミの身体の上で、イシカミの原子は次々と食べ物に変わったので、食べ物に困ることなく過ごせました。
そして農業も発達し豊かで、人々は自然の恵みを分け合い平和に暮らしていました。
男性と女性は別れて暮らし、男性は山や畑の仕事で女性は子供たちと一緒に川の近くで共同生活をしていました。
山になったイシカミから大国主は農業の知恵を、ヒミコは文字や衣服などの生活の知恵を授けられて、人間としての平和な暮らしをしていました。
その事は近隣は勿論、大陸にもその噂は広がり、教えを乞いに来るほどでした。

ヒミコは星延べとして、イシカミからビジョンで文字を教えられ、ホツマ文字、すなわち“ミズホのツマ”の文字として皆に教えていました。
又、コウゾの木の皮で編んだ布を洗っていて紙が出来ることに気づき、その紙に生活の知恵などを文字として書いていったのが、ホツマ伝えでした。
けれども、ホツマ文字は覚えにくかったので、ヒミコは子供たちと一緒にわかりやすいカタカナの文字を作り、まとめてあらわす簡単な漢字も作っていました。

二人の間には、女の子のイトと男の子のタケルノミコという子供がいて、それは仲良く暮らしていました。

2)【ジンムがヤマタイコクを滅ぼす】
一方、朝鮮から九州に渡来した夫婦の元に、男の子が生まれましたがリュージンのイシキが入りました。
龍神に入られた子供のジンムは成長するにつれ、他を支配しする事にたけていて、瞬く間に多くの人々を従え、次々と領土を広げていきました。
鵜戸神宮の前の巨石や、オニの洗濯岩の砂を固めた不思議な岩を見て、誰がこのようなものを作ったかと聞くと、イシカミの巨人(ウガヤノフキアエ)が作ったと、地元の人が答えたのでその巨人を自分の先祖にする事にしました。
巨人は大きな洞窟を作って、イシジンを創る場所に作っておいたのに、ジンムはウソをついて、人々をだましたのです。
そしてさらに東へ東へと、領土を広げるために侵攻していきました。

一方、ヤマタイコクでは、働くのが嫌な若者が大国主に恨みを持ち、幼いタケルノミコトを人質にとり、大国主の大切な(草刈)鎌を盗み出しヤマタイコクから逃げ出しました。
鎌は大国主がアトランティスから持ってきた、巨大な鎌でした。
そして噂に聞いた強いジンムの部下にしてもらおうと、ジンムに会い盗んできた鎌を差し出しました。
当時の日本には無かったすばらしい金属の鎌を手に入れたジンムは、ヤマタイコクを滅ぼせば沢山の刀があると思い、ヤマタイコクを攻めました。

けれども戦争をしないヤマタイコクには、兵器は何も無く、ヒミコが書いた文字の書かれた紙の束しかありませんでした。
怒ったジンムはヤマタイコクを徹底して焼き滅ぼし、大国主と8人の部下だけは出雲に追い出し、残りは奴隷としてヤマトへ連れて行くことにしました。
ヤマタイコクの人々はその時から刺青をつけられ、被差別民として差別され続けるようになったのです。

ヒミコは娘のイトをひそかに逃がしましたが、ヒミコ自身は捕まって奴隷として連れて行かれる事になり、隙をみて逃げ出し自殺をしました。
イトは乳母と共に無事に逃げ出す事が出来ましたが、星原まで行くことはできず途中で亡くなりました。
そして時を経てヒミコに言われていたホシノミナの降りた所の星原で生まれ変わりました。

(後略)

ソラ辞典より
ヒミコ
サマルカンドで大国主と一緒になり、日本に来る。
イシカミの声が聞こえ、文字を作ったり織物を織ったりして、大国主と供に四国にヤマタイコクを作る。
娘とタケルノミコトの2人の子供に恵まれ幸せに暮らしていたが、ある者に攻め滅ぼされ自殺をする。

2003年10月22日
ホツマツタエ、前方後円墳、読者の夢 

2003年10月22日 真夜中

仁徳天皇のお墓の中には女性の品物があります?
仁徳天皇陵はヒミコのお墓にしようと作ったお墓で、そこに仁徳天皇とヒミコを偲んで女性の品物(櫛?)が入っているのです。
仁徳天皇がお願いしていたのです。
(私が)亡くなったらイスキリから教えられた Ω (オーム)の形にして欲しいと。
それで仁徳天皇を慕っていた人たちが、あのような形にしたのです。
ヒミコの話は大国主を慕う人(出雲の人)たちから聞いていたのです。
仁徳天皇は一番良い天皇でした」

(足にサインがあり)

「私はお姫様に可愛いがられた一寸法師と呼ばれた者です。
(以前、一寸法師が仁徳天皇になったと知らされた)
私が知らせたことは真実の事です」

【イメージ】
“車のオートロックの情景が浮かぶ”
「車のオートロックはドアを閉めると自然にロックされますが、人間の脳も同じようにされている事が分かりました」

(この情報が受け入れられない人たち?)

「そのロックを解くのにカギが必要です。
(そのロックを解除する)鍵穴が、“仁徳天皇の前方後円墳”なのです。
仁徳天皇のお墓が、なぜ途中から“開かずのお墓”になったか、今の踏み切りで表しています。
(小金井の踏み切り?)
(仁徳天皇陵が)なぜ途中から埋め戻されて閉じられたか、宮○庁が知っています?
仁徳天皇のお墓の中が知らされないことは良くない事です。
仁徳天皇のお墓の中には、男性の品物の他に女性の品物が入っています。
その事が国民に知られると困るので、“開かずのお墓”にしたのです」

「仁徳天皇は一寸法師だったと以前にお話しました。
そして自分の祖先であるヒミコのことを出雲の人に聞きました。
それで自分が亡くなれば、ヒミコをあらわす櫛(=鳥居の原型)を一緒に入れるようにお願いしたのです。(足にとても強いサイン)
その事はイシカミのことが分かるので支配星の嫌がるものです」

(ヒミコはイシカミの言葉を聞いて文字を書いていた)

「ツマ、ツマ…(言葉がなかなか出てこず)
妻の勤めを書いた言葉=ホツマツタエのホツマ文字?カタカナ?がお墓の石に書かれているのです。
ホツマツタエはヒミコが妻としての勤めを書いたものなのに、権力者の都合のよいように書かれた物語 (古事記や日本書紀)を裏付けするように訳されました。
そしてホツマツタエはヒミコが書いた目的とは違う意味で解釈され世に出ました。
そして意味を悟られないように、現実には無いミカサフミの2、3巻を探す事に意識を向けさせたのです。
ホツマツタエがなぜ宇和島から出たかと言うと、世間に知られないように隠れて違う意味で解釈されていたのです。(強い足のサイン)
それが地球の秘密を開くカギなのです。
ホツマツタエは、イシカミのことが書かれていると受け継がれて来ました。
その意味を、神の言葉として?解釈させてきたのが神道です」

ソラ画像より
出雲大社の注連縄
巨大な注連縄ですが、これはヒミコの束ねた髪の毛をしのんで創ったと伝えられましたが、これは今でもそうですと。
ただ、鳥居は櫛と言っていましたが、以前から知らせているイシジンの一種です。

出雲大社(古代神殿心御柱)
柱が田の字型に並んでいるのは、オオクニヌシは最初に農業を教え、田(文字はヒミコが考えた)の作り方を教えたからで、初期にビジョンなどで知らせてきています。

八重垣神社の壁画
八重垣神社 板絵著色神像

この絵は二人しか描いてありませんが、原版は、左端に膝まづいた女性=イトの叔母、その右に完全に故意に消された?背の高い男性=オオクニヌシ、その隣に背の低い少年(スサノオといわれている)がタケルノミコト、その右隣の大人?の女性がイト、座って本を持っているのがヒミコと話しているのが、文字を習っていてヒミコと一緒に逃げた少女だそうです。

オオクニヌシの生まれ変わりが、オオクニヌシの家族や関係のあった人を偲んで絵にしたと伝えられましたが、全ての人の説明をすらすらとしてきましたし、これまでの情報とあっています。
特にスサノオと言われる人物は明らかに小さく少年のようで、幼くしてヤマトにさらわれたタケルノミコトをあらわしていると思えます。
絵を見ていると「描き直されました」と言葉になりましたが、明らかに目がつり目になっているそうです。
又、神魂神社のイシジンがこれらの絵になったと言ってきましたが、杉板の上に珪藻土が薄く塗ってありその上に絵が描かれたそうで、これまでの情報のイシジンが変化したというのとあっているともいえます。

白兎神社
日本の歴史のナゾを解く証拠を知らせるので来てほしいと言ってきた物がこれでした。
ヤマトの流れを汲む皇室のシンボルは菊花紋ですが、それを台にして、柱を立てているということは、ヤマトより先に日本の国を創っていたのがヤマタイコクであり、出雲であり、倭の国であったが、それを滅ぼしてヤマトが一番最初の国とうそを言っているということをあらわしたそうです。

オオクニヌシがヤマトに滅ぼされて、木星の王は巨大建築の基礎だけ残して木星に帰りましたが、ここでもしっかりと木の柱を立ててそれを知らせています。
菊花紋=花びらを密集させてその裏に、リュージンやヘビを隠していると伝えられています。

このことを知らされた後に神社の上に出てきた雲で、帯状の雲がソラをまたいで、この情報を宇宙の皆に知らせたと言っていました。

広島の葦嶽山の鏡石
後ろの鏡石が畳十帖以上の広さがあり、その前にはシリウを現す長方形の石柱があります。
かっては光り輝き、鏡のようであったのは、イシカミはやわらかかった時に何度もこすることでつるつるになったのは「泥玉」の光沢でもわかります。
かってピラミッドも光り輝いていたのは、今の頂上付近にその名残があります。
頂点はより丁寧に形を整えたので、あのようにしっかりとしているそうです。
髪の毛の薄いのも、その人のイシキがこのことを伝えようとするからだそうです。

地震雲画像

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
以上、地球の謎解きより。
写真は5月5日のソラ。