外国語学習の意味、そして母国語について考えましょう

社内公用語の英語化、小学校での英語の義務化など最近「英語」に振り回され気味ですが、何故、どの程度英語を学ぶか考えます。

3月8日(土)産経の千野境子さんの英語教育論

2014年03月09日 | 教育諭:言語から、数学、理科、歴史へ

 

3月8日(土)産経の千野境子さんの英語教育論

本田選手インタビュー

8日付けの産経に『英語教育は本田圭祐選手に学べ』という記事がありました。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/140308/trd14030812180004-n1.htm

実は、この記事を読んで、英語教育論も一歩進んだなという感がありました。しかし、どうしてそう考えたかは、複雑で、このコラムで伝えられるかどうか判り ません…。

(ところで、一方、文科省の審議会の議論(記事をお読みください)の議論が遅れているので、どうこれから英語教育論の議論が進むか心配です。)

この記事で興味深いのは、一流の新聞記者の記事でありながら、矛盾、あるいは矛盾しているという印象を与えかねない表現があることです。日本における外国 語教育の問題は根が深く、それに真摯に取り組み、それを一般に通じやすい言葉ですばやく表わすと、どうしても矛盾しているという印象を与える表現になって しまうという事情があるのでしょうか。

この記事には、思考しながら書いたために全体の仕組みの上で、矛盾しているように見える部分と、小さな部分で、矛盾していると見える部分の2点があるのですが、ここでは、後者の例だけ示しましょう。


(---) ところが驚いたのは、ネット上の感想に「本田はサムライに会ったことがないという表現に現在形を使っていたが、現在完了形が正しいのではないか」との疑問が真っ先に上がっていたことだ。受験英語の弊害の見事な見本である。

文法が枷(かせ)になってサイレント&スマイルの日本人が誕生する。これでは国際競争に勝てない。そう、死活問題だ。

 そこで「使える英語を」と、話す・聞く重視に転換して実は久しいのだが、ここにも深刻な反省が生まれている。相変わらず使えないうえに、いまや文法という唯一の取り柄まで危ういからだ。



前後をカットして引用しているので、あまりフェアではないのですが、少なくも、飛躍があって、「(英)文法」という言葉について、否定的なのか肯定的なのか、分かり にくい表現です。中ほどは、他人の意見として言ってるともとれますが、前後を見ると著者の意見のようです…。また、「深刻な反省が生まれている」と書いていますが、誰が反省しているか。著者でしょうか。(う~ん、複雑。)
この点を見ると、「逆説」的かもしれませんが、記者が、難しい問題をちゃんと考えているのだなとと、私は思います。
この件は、どうも、続きのコラムで、じっくり論じる必要がありそうです。今回はこの辺で。

 

本田選手のインタビュー:
http://www.youtube.com/watch?v=sevJvlxet08

本田選手の英語については、「シリーズ:日本人の英語」で語りましょう。



(千野さんは、実は2009年、合議制の人事官(3人)の一人に内閣から推薦されていて、参院でなぜか却下されたという経歴を持つ方です。その人事が決 まっていればこのコラムはなかったでしょう。ところで、8日、人事院総裁の人事が発表されましたが、その女性は、千野さんの代わりに就任された篠塚英子人 事官の後任です。二代続いて人事官の一人が女性ということになります。)


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