外国語学習の意味、そして母国語について考えましょう

社内公用語の英語化、小学校での英語の義務化など最近「英語」に振り回され気味ですが、何故、どの程度英語を学ぶか考えます。

2018-9冬、言葉の格闘、子供科学相談室がまた始まりました

2019年01月03日 | 教育諭:言語から、数学、理科、歴史へ

2018-9冬、言葉の格闘、子供科学相談室がまた始まりました

冬休み子供科学相談たしか、2年前からNHK AM第1『子供科学相談』は冬休みにも行われています。だいぶ人気番組になったようで、聞き逃しサービスのラジルラジルも昨年の夏は、ほかの番組より長く聴けるようになっていました。




参考:

言葉の格闘、夏休み子供科学相談室は9月まで聴けます!1/2

「Why?」の疑問に対する二種類の答え方

この番組、音声だけで、複雑なことを知識がゼロの状態の子供に理解させる、という課題が回答者の先生に課せられます。このことは、スマホやトゥイッターで瞬間的に分かった気にさせるのが流行りのこのごろ、そういう風潮に対する批判としての意味があって、とても興味深いことです。

ときおり、この説明でいいかなと疑問に思うことがありますが、それを私たちに考えさせることもこの番組の面白い点です。

夏休み子供科学スタジオ昨年の夏には、「すっきりしましたか?」というタレントさんの発言に苦言を述べました。科学の説明は宗教とちがって、常に覆される可能性があるので、あまり簡単に「すっきり」してもらっては困るのです。今回の冬も、まだ、答えを急ぐというムードが見られます。ある答えがそれでおしまいにならず、次の問へと導くような工夫があったらと思うことがよくあります。

ところで、気になる点で一番多いのは、「抽象度の高い概念で抽象度の低いことを説明しようとする」場合です。つまり、専門用語の乱用ですね。説明、言い換えると、広い意味での「定義」の原理は、

<抽象的でない、日常的な概念で説明する>

ということです。大人は、慣れで本当は分かっていない概念を不用意に使って分かった気になっているものです。そこには慣れ合いの心理が働いています。子供相手にはそういうわけにはいきません。その意味で私はこの番組を「言葉の格闘」と呼んでいます。

二つ目に「思い込み」ということがあります。私のような高齢者によくあることですが、一見論理的に詳しく滔々と述べているので、「若い者に負けませんなあ」という評価(おせじ)が下ることがありますが、それは自分の土俵のなかで記憶を引き釣り出しているだけで、実際は相手の質問をよく聴いていないという場合が少なくありません。今冬は、「地球はなぜ左回りなのですか」という問に、「見方を変えれば右回りともいえるから、どちらとも言えない」という答えが返ってきました。認識主体の姿勢でものの見方が変わるという科学の哲学地球は左回り的側面のことを述べたいのでしょう。しかし、この問は、まずは、「なぜ右回りではなく左回りなのか」という意味と考えるべきでしょう。回答者は、自分の関心事であることに捉われて、質問者の言いたいことを聴くという姿勢を失っている、ということはないでしょうか。このように気になることがあるのですが、「あらさがし」ということではありません。こうしたことは誰でも犯しがちな普遍的なエラーです。これらを見つけるということも、この番組が聴いている人に課されている課題です。ちなみに、こういう時、藤井アナウンサーなら間髪入れずに、「先生、なぜ右回りではなく左回りなのですか」と「つっこみ」を入れたことでしょう。

ところで、毎回、宇宙や恐竜の質問が多いのですが、それはなぜか。それは子ともが「哲学者」だからだと思います。宇宙も恐竜も日常生活には関係ないのになぜ質問するか、というと、その質問の本質は具体的な宇宙や恐竜のことではなく、自分の存在に対する不安からだというのが私の意見です。隣町や10年前でさえも謎に満ちた子供にとって、その何万倍も遠いことはとても恐ろしいもの、あるいはとても魅力的なことに感じられます。大人になる子供 哲学と、あるいは大人に近づくと、お金やら試験やら俗世間の不安で頭がいっぱいになりますが、子供のときは幸いそれらの問題から遠ざけられています。そのため、彼らの不安は「哲学的な不安」という実存主義の哲学者たちが述べた不安に近いものであるに違いありません。よく「子供のための哲学」というような本を見かけますが、どうも大人の視点で、いや、出版社の視点で、子供に押し付けているようなにおいを感じます。それより、この番組の方がより「哲学的」だと私には思えますが、どうでしょう。

ただし、このような質問は小学校低学年に多く、4年以上になるとより実際的な質問が多くなります。しかし、だからと言ってそれらの質問がつまらないということにはなりません。先日は、「葉っぱの気孔の裏表の数の違いを調べましたが、違いがよく取れませんでした。教科書には裏に多いと書いてありましたが...。どうしてでしょう。」という6年生の質問がありました。それに対し答えは「君の方が教科書より正しい」ということでした。厚ぼったい葉っぱ以気孔外は、多少の違いはあれ、表にも裏にも気孔があるというのが実際だそうです。その答えを聴いてスタジオの先生たちは膝を打って(かどうか知りませんが)、大喜びで、先入観なしに事実を観察したその6年生を称えていました。小学生も高学年になると、質問が「哲学的」なものから、鋭い観察眼に基づくものが多くなります。先入観でしかものを見ない大人とは違う新鮮な疑問です。そういう目を受験に追われる中等教育の波にさらわれずにも持ち続けてほしいものです。最期に、この質問者に対しては、「ミズハコベの場合はどうだか調べてみたらどうでしょう」、という次なる課題が与えられていました。好ましい展開でした。



 


最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (視野を広く)
2019-01-07 22:42:40
世俗的な問題から遠いところにいる子供
哲学者
はっとさせられました
返信する
Unknown (yo)
2019-01-07 23:41:56
以前教えていた小学校5年の子が、自分が死ぬ夢を見ると言っていたことを思い出します。
返信する

コメントを投稿