外国語学習の意味、そして母国語について考えましょう

社内公用語の英語化、小学校での英語の義務化など最近「英語」に振り回され気味ですが、何故、どの程度英語を学ぶか考えます。

アクティブ ラーニングへの疑念、再び

2021年01月16日 | 教育諭:言語から、数学、理科、歴史へ

アクティブ ラーニングへの疑念、再び

2016年に「アクティブ ラーニング」に対する石井昌浩さんの批判を取り上げましたが、最近、ロシア政治、歴史の専門家、袴田茂さんがアクティブ ラーニングを批判している記事を見つけました。どちらも充実した内容なので、読者の注意を促したいので二つとも触れておきましょう。ぜひこのページの下のURLから記事をご覧ください。

教育に限らず、鳴り物入りで新しい「方法」が導入されるとき、その否定的な面は論じられることはありません。宣伝ですからある程度仕方ないことなのですが、それをどうどうと、大規模に実施に移した場合の反作用は取返しのつかないことになることが多いのは否定できません。

石井さんの評論はこのような構造的な面から、目新しさにひかれて改革に走る態度を批判したものです。

「アクティブ・ラーニングは、能動的な学習、課題解決型学習として、これまでも実践されている。ことさら外国語に言い換えて、従来行われてきた授業を意図的に「受動的な学習」と印象づけるようなやり方を、私は疑問に思う。

「改革を論じる場は例外なく、家庭や学校が置かれた現実と遠く離れたレベルの大所高所の教育論を述べ合う優雅なサロンだったからだ。」

この批判は推進側が抱いている無意識な前提を対象としているだけに、聴いても耳に入らない人が大半かもしれません。それゆえ、少しでもこの声が広く伝わるようにもう一度ここで触れておくことにしました。

袴田さんの議論は構造的議論というより、教室の現場での経験にもとづくものです。一方的な講義には反対だとしながらも、以下のように論じます。

「私のゼミなどの経験から言えることだが、討論の前には十分な基礎知識が不可欠だ。またグループ討議などでは、流行の理論も取り入れ滔々(とうとう)と論じて他を圧倒する学生もいれば、自らの拙(つたな)い考えを訥々(とつとつ)としか語れない学生もいる。
 しかし長い目で見れば、拙くても自らの考えを自分の言葉で語る者の方が、後には大きな実力を発揮する。ただ、時代の常識にとらわれず、本当の意味で「自分の言葉」で語るのは至難の業である。」

袴田さんの議論の根底にあるのは徹底した経験主義です。言い換えると、一人ひとりの人間との付き合いから導き出した卓見です。世間の通念の逆の結論につながる「長い目で見れば」の一言はおろそかにできません。

ところで、この袴田さんの評論は長年にわたるロシアでの経験に基づいています。とてもユニークな議論なのでぜひ、下のURLから読んでみてください。

大学教師終え現代教育を考える 青学・新潟県立大学名誉教授・袴田茂

http://boeinews.blog2.fc2.com/blog-entry-12358.html (2021年1月17日最終閲覧:産経のサイトではありませんが)

アクティブ・ラーニングって? 「新学力観」の騒ぎと二重写し 教育評論家・石井昌浩 (2016/10/26)

https://www.sankei.com/life/news/161026/lif1610260013-n1.html


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