
琉球八社巡りの2社目は、天久宮(あめくぐう)。
ここにもウォーキングを兼ねて2度お参り。
1度目は一人で、
2度目はクニパと二人で。
は一度目の時のものです。
弁財天様があらわれて祀ったのが始まりという
天女伝説を由来に持つお宮、天久宮。
それとこちらの神社は地下2層の三階建て構造になっています。
住宅街を歩いて向かっていると⛩が見えてきますが、
⛩の先は駐車場なのです。
ご由緒等はこちら。

1465年〜1487年頃に創建されたとされていますが、
明治後期に荒廃が進み、さらに昭和19年の空襲で社殿を焼失しました。
戦後は御嶽形式により奉祀、昭和47年本殿を建立。

境内へは、⛩の横にある階段を下りて行きますよ。

地下一階に社務所と

手水舎

拝殿と本殿、その横に権現堂。


拝殿と権現堂の間にある弁財天堂。

本殿は拝殿の奥に建っています。
拝殿横の小さな階段を上がると泊龍宮神がいらっしゃいました。

奥には泊高校の校舎が見えますね。
そう天久宮は高校の真横にあるのです。
それから、ここ地下一階から更にもう一階下に降りると、

本殿の地下部分に泊ユイヤギ御嶽があります。


泊ユイヤギ御嶽は、かつて弁財天様がいた洞窟の場所だとか
黒龍がとぐろを巻いてる姿とも言われています。

それから奥には、三日月ウカー(井戸)が。


ちゃんとお供えもされていました。
水が出るところに人が集まり、神聖な場所であった訳です。
安里八幡宮にも本殿横に井戸がありましたね。
この地下2階部分の横は県立泊高校のグランドとなっています。
それから、上がって
⛩の先に行ってみると、
右奥にも貴布仁御世の御嶽拝所がありました。

最初に来た時には
地元の氏子(ユタ?ノロ?)の方がお供えをして
拝んでいらっしゃいました。

そんな何とも構造が変わった天久宮。
規模は小さな神社ですが、
しっかり地元に根付いた琉球八社の一つであることが解った神社でした。
⛩ご訪問ありがとうございます
ここにもウォーキングを兼ねて2度お参り。
1度目は一人で、
2度目はクニパと二人で。

弁財天様があらわれて祀ったのが始まりという
天女伝説を由来に持つお宮、天久宮。
それとこちらの神社は地下2層の三階建て構造になっています。
住宅街を歩いて向かっていると⛩が見えてきますが、
⛩の先は駐車場なのです。
ご由緒等はこちら。

1465年〜1487年頃に創建されたとされていますが、
明治後期に荒廃が進み、さらに昭和19年の空襲で社殿を焼失しました。
戦後は御嶽形式により奉祀、昭和47年本殿を建立。

境内へは、⛩の横にある階段を下りて行きますよ。

地下一階に社務所と

手水舎

拝殿と本殿、その横に権現堂。


拝殿と権現堂の間にある弁財天堂。

本殿は拝殿の奥に建っています。
拝殿横の小さな階段を上がると泊龍宮神がいらっしゃいました。

奥には泊高校の校舎が見えますね。
そう天久宮は高校の真横にあるのです。
それから、ここ地下一階から更にもう一階下に降りると、

本殿の地下部分に泊ユイヤギ御嶽があります。


泊ユイヤギ御嶽は、かつて弁財天様がいた洞窟の場所だとか
黒龍がとぐろを巻いてる姿とも言われています。

それから奥には、三日月ウカー(井戸)が。


ちゃんとお供えもされていました。
水が出るところに人が集まり、神聖な場所であった訳です。
安里八幡宮にも本殿横に井戸がありましたね。
この地下2階部分の横は県立泊高校のグランドとなっています。
それから、上がって
⛩の先に行ってみると、
右奥にも貴布仁御世の御嶽拝所がありました。

最初に来た時には
地元の氏子(ユタ?ノロ?)の方がお供えをして
拝んでいらっしゃいました。

そんな何とも構造が変わった天久宮。
規模は小さな神社ですが、
しっかり地元に根付いた琉球八社の一つであることが解った神社でした。
⛩ご訪問ありがとうございます