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墨汁日記

墨汁Aイッテキ!公式ブログ

自信

2007-11-19 19:04:29 | 駄目
 俺が小学5・6年生の頃に、同じクラスにいた1人のいじめられっ子と仲良くなったことがある。

 昨日、勉強したので「人格障害」的に言うと、俺のその当時の気質は「自己愛性人格障害」で、そのいじめられっ子は「回避性人格障害」だった。
(注・精神医学においては、子供はまだ人格の発育途中とみなされ、人格障害はふつう適応されません)

 ちなみに、自己愛性人格障害の特徴から、当時の俺に当てはまるもの。

『1、自分は特別重要な人間だと思っている。
 2、限りない成功、権力、才能、美しさにとらわれていて何でもできる気になっている。
 3、自分が特別であり、独特であり、一部の地位の高い人たちにしか理解されないものだと信じている。
 4、過剰な賞賛を要求する。
 5、特権意識を持っている。自分は当然優遇されるものだと信じている。
 6、他人の気持ちや欲求を理解しようとせず、気づこうともしない。
 7、尊大で傲慢な態度、行動をとり、権威をあざ笑う。』

 いじめられっ子の彼の性格に当てはまる「回避性人格障害」の特徴。

『1、他人からの批判、拒否、拒絶をあまりにも恐れるために、目上の人間との接触を避ける。
 2、好かれていると確信できなければ、人と関係を持ちたいと思わない。(逆に親しい人間には馴れ馴れしい。)
 3、社会的状況の中では、批判されはしないだろうか、拒絶されはしないだろうかと、常に心を奪われる。
 4、自分が人とうまくつきあえないと感じるため、新しい人間関係を築けない。
 5、自分は社会的に不適切な人間で、長所がなく、人より劣っていると思っている。
 6、恥ずかしいことになるかも知れないと言う理由で、何かにチャレンジしたり、新しいことをはじめたりすることに異常なほど消極的である。』

 ふつう、こういう人間同士が友達になったら、俺の方が上に立つと思うでしょ?

 でも、違うんだよなぁ。
 彼は依存心が強かったのだ。そして、俺はプライドが高かった。
 彼の依存に答える事ができないと、俺のプライドが満足しない。
 俺は何でも出来ると勘違いしているから、彼からの依存ごときは答えられて当然の人間なはずなのである。
 出来ないはずないから、依存には全て答えないといけない。
 だから、彼と俺との関係は、だいたい依存する彼に主導権があった。

 でも、彼がいじめられているのを助けた事は1度もない。
 そこらへんが、他人の気持ちや欲求を理解しようとせず、気づこうともしない俺の性質だ。
 具体的に言葉にしてくれないかぎり、俺には絶対に分からない。

 中学にあがったら、また彼と同じクラスになった。
 馴れ馴れしくつきまとう彼にうんざりしつつも、小学校とは違う殺伐とした雰囲気を中学校に俺は感じていた。
 ケンカが苦手で、男らしくないのが唯一の弱点だと自覚していたので、暴力をふるう人間を怖れていた。
 だけど、他校から寄せ集まったクラスメイトからは暴力の匂いがしてくる。
 それが怖かった。

 いままでの小学とは違い、中学には俺に暴力をふるいかねない男子がいるのが怖かった。

 小学校低学年からの顔見知りなら、どんなに乱暴な奴でも話せば分かるというかんじもするが、仲の良かった友達はみんな他の中学に通い、同じ中学に通うのは、なんだか分からない頼りない奴ばかり。

 話し方や立ち振る舞い方がひどく独特の彼は、たちまち他校からきたクラスメイトのいじめの標的になった。
 俺には関係ないやとすましていたら、いつの間にか、ある日、いじめが俺に飛び火してきた。

「ひゅーん!」

 そんな擬音を口で言う、いじめっ子の人差し指が、俺の眼球スレスレを通り過ぎた。その時に俺は理解した。
 このクラスでは、この俺とて、こんな特別な俺でさえ、いじめの標的になりかねないのだ。
 俺は特別だ。
 お前らごときの、いじめのはけ口になるような人間ではない。
(てか、暴力が怖い。
 いじめがエスカレートして殴られたりしたら嫌だし)

 指が通り過ぎた時。

 その時、瞬時に、俺は心を閉ざした。
 口も閉じた。
 
 いじめられる可能性のあるクラスメイトなんぞと、もはや口をきく価値もない。

 いじめっ子の行為をすべて無視しよう。

 クラスメイトとは口もきかない。

 俺を損なう者や損ないかねない者を無視する事で、俺の自尊心は保たれるのだ。

 そして。

 いじめても、あまりに無反応なので、いじめっ子は去った。
 誰とも口をきかないので、全てのクラスメイトも去った。

 上等だ。
 それで良い。
 俺は特別なのだ!

 中学、高校と6年間、クラスメイトと会話らしい会話をした記憶はない。

 なんとなく、1人だけなんだけど、その6年の間に、生涯の友にしていただきたいような人物(彼を独占する彼女を恨んだほどの人物)に出会えたのだけが唯一の収穫で、それ以外、本当に誰とも本気で会話しなかった。

 その間の俺の心はやはりかたくなで、自信は常になかった。
 自分のプライドを壊される事をなにより怖れていた。


人格障害(7)

2007-11-18 23:59:22 | 駄目
<4> 何が原因で人格障害になるのか?

 これについて、本書では何も語られていません。どういった人が人格障害になりやすいのかという項目をたてつつ、それについては確かな統計がないので何とも言えないという立場をとっています。
 
 まぁ、当然かなと思います。

 じっさい、障害ある人格はどのように生まれるのかと言われても困ると思いますし、そもそも、正常な人格の定義がないのです。

 例えば、俺やあなた、我々自身の性格がどのように形成されたのかと質問されたとして、あなたは自分の今の性格について、これこれこうしてああなったから、こんな性格なんだよときちんと説明できるでしょうか?
 親の教育もあるし、遺伝もあるし、文化からの影響もある。怒られた事もあるし褒められた事もある。
 複合汚染じゃないけれども、ものすごくいろんな要素が重なりあって、あなたの人格は形成されたのではないでしょうか?
 ならば、人格障害とされる人の人格だって、色んな要素で成り立ったとしか言えません。
 そのような人格について、複数の人格障害の典型例だけで、人格障害になりやすい、そんな人のそんなかんじを語っても、素人に誤解をうむだけで、語らない方がマシです。
 そもそも人格障害そのものがあやふやな定義で、確かな確証はありません。
 
 最初にも書いたように、人に迷惑をかけたり、自分が悩んだりするから、その人格が問題視されるだけで、どんななに腐った人格であろうとも、人に迷惑をかけずに堂々としていれば誰にも咎められません。

 先日、とある知人と電話をしていたら、その知人は精神障害をもつ人からひどい迷惑を受けていた人なのですが、こんなことを言ってました。

「精神障害や人格障害の人は、どの人も自信がないかんじがする」

 あっと思いました。
 たしかに自分に自信のない人の行動は奇異に見えます。

 逆に言うなら、俺みたいな人格障害一歩手前てか、精神病院に行ったら間違いなく人格障害と診断されるであろう人間から見ると、世間の人はなんであんなに自信満々なのかとムカつきます。その自信の根拠はなんなんだよと詰め寄りたい気分なのです。
 ですが、どうも、もしかしたら逆で、俺らみたいな半端者には、たんに自信が足りないだけなのかもしれないのです。自信がないから普通にふるまえないのかもしれないのかも。
 自信がないから逆に虚勢をはったり、無駄に落ち込んだり、必要以上に他人を求めたりしてしまうのではないでしょうか?

 自信とはなんでしょうか?
 明日は気が変わらなければ、そのへんのことについてタイピングしたいと思います。では、また明日。クロコダイル、いや、グッナイ!


人格障害(6)

2007-11-18 23:56:02 | 駄目
<3> 人格障害は治療できるのか?

(えー、すいません。
 いつの間にか酔っぱらって寝てました。
 目が覚めましたので続けます)

 まず、人格障害は先ほども少し触れましたが、基本的に精神病の診断基準を満たしていません。なのに、人格障害の患者さんは変な行動をおこしてまわりの人に迷惑をかけるので過去には精神科医を困らせる困った人たちとして扱われてきたようです。
 現在では、DSM-IV やその他の診断基準がつくられており、それにもとづいて人格障害の状態を分け、それぞれに治療が行われます。

 DSM-IV による診断基準によると、人格障害は3群10種類のカテゴリに分けられます。

<A群>
 精神分裂病(統合失調症)に近いとされる。精神分裂病という診断を下したいのにできない灰色の人たちも含まれる。疑り深く頑固なのが特徴である。

妄想性人格障害
分裂病質人格障害
分裂病型人格障害

<B群>
 人格障害の中核的な部分を占める。感情の混乱が激しく、演技的、感情的などの特徴をもつ。他者に依存して巻き込む事が多い。犯罪を繰り返す反社会性人格障害を含む。

境界性人格障害
演技性人格障害
自己愛性人格障害
反社会性人格障害

<C群>
 社会に対する不安や恐怖心が強く、周りの評価が気になってついには何も出来なくなるタイプと、あまりの几帳面さにまわりが迷惑するタイプに分けられる。ニートもこの群に含まれる。

回避性人格障害
依存性人格障害
強迫性人格障害

(その他にも、解離性同一障害、いわゆる多重人格者も人格障害の一種と本書ではみなしている)

 治療は、それぞれのタイプにあった医療方針がたてられ、A群では分裂病の治療にならった治療が行われ、B群・C群はカウンセリングが主となるようです。タイプによって投薬治療も行われます。
 本書では、自分の専門分野でない反社会性人格障害(犯罪精神医学の分野)以外は、全て治る可能性があるとしています。
 ただ、どの人格障害も治療にはかなり時間がかかるようで、まぁ、自分の性格を変えなきゃならないんだから時間がかかるのは当然でしょう。
 結局は、患者さん本人の、自分は自分の性格の悪い部分を改善するんだという強い意志がなければ治らないのは当たり前だろうなと思います。
 病は気からってか、気の病は気で直すってことでしょうか?


人格障害(5)

2007-11-18 17:02:08 | 駄目
<2> 人格障害と精神病の違いは何か?

「人格障害と精神病の違いを端的に言い表すならば、彼らの示す病理が、現実世界との了解関連があるかどうかという点に尽きます。
 精神病の幻覚、つまり幻聴や被害妄想は、欲望や利害といった現世的な事柄とは遠く離れています。ですから、私たちの多くは、自分が幻覚に支配されるとは思わないでしょう。
 これに対して、人格障害の人の行動は、どんなに奇異なものであっても、『ひょっとして自分がああいう状況になったらそうしてしまうかもしれない』とか『自分もまかり間違えばああいう行動を起こしてしまうかもしれない』と私たちの頭の片隅をよぎる可能性があるのです。これが現実世界との了解関連になります。
 この『ひょっとして』の有無が、人格障害と精神病を隔てていると私は考えています。そしてこの二つを隔てる壁は、低いようでも決して乗り越えることはできない壁だと私は考えているのです。」(引用)

 ようするに、精神病の患者の苦しみは、なってみないと理解できない。だけど、人格障害の患者の考えはその身になれば理解できるはずと言っています。

 さらにようするに、この文章から読み取れるのは、精神病は病気で、人格障害は変な人と割り切っているみたいというようなことが読み取れる。それは、ただの感想であり本質的な違いとは思えないけれど、臨床経験のある医者がそういう感想をもつなら、そうなのかもしれないとしか俺には言えない。
 人格障害と精神病の違いは、この本では明確には語られていない。人格障害は精神病の診断基準を満たしていないから精神病ではないという言い方をしています。

 たしかに、肺がんの人の苦しさは、健康な人間には分かりません。
 それと同じように、精神病の患者の苦しみや幻想も、実際になってみなければ分からないでしょう。
 それに比べて、人格障害の人の考えは、その身になれば理解できるような気がします。

 太平洋戦争における日本兵のバンザイ突撃やカミカゼ特攻。
 そんな攻撃を受けるアメリカ軍にしてみれば、クレイジー以外になにものでもないでしょう。
 ですが、当時の日本軍の行動理論をなんとなくでも知っている現代の日本人なら、当時の日本兵が信じていたファンタジーを、「天皇は現人神」だとか、「一億総火の玉」などのコピーもろともなんとなくは知っているので、あの時代の兵隊なら、そうしても当然だよねとなんとなく理解できます。
 なんだけど、当時のアメリカ国民の価値観に基づいて生きていたアメリカ兵にしてみたら、日本人の考え方なんか知らないから日本兵の行動はクレイジー以外のなんでもなく、理解しようにも手がかりはまるでないかんじ。

 人格障害の人の考える事は、その人の身になれば分かる。
 でも、精神病の人の苦しみはなってみないと分からない。

 そりゃそうなんだろうけど、どうも俺が知りたい根本的な精神病と人格障害の違いははっきりと書かれていないみたい。