<お詫び>
この先の記事には、附属池田小事件の被害者や遺族の方々にとり大変に不快な内容が含まれております。
申し訳ありません誠に勝手でありますが、事件の関係者にはこの先を読んでいただきたくないと願います。
死者を冒涜するのがこの記事の目的ではありません。
ですが、記事の1部には、加害者を弁護するような内容が含まれており、大変に読み苦しいと思います。
亡くなられた方々の冥福を心よりお祈りいたします。
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こういった話題は自分を消して書かねばならないのだろうけど、それが本当にマジで俺には苦しい。
苦しいのになんで書いているかと言えば、宅間守の中に、男なら誰もが持つ凶暴性を感じたからである。
かの宮崎勤や、あるいは少女を拉致監禁した佐藤宣行あたりだと、この俺であっても何だかマニアックで歪んだ狂気を感じてしまい、なかなか理解しにくい。
だが、宅間守の行動理論には極めて男らしい何かを感じる。彼はとても理解しやすい。俺には分かる。
ちなみに、佐藤宣行は1962年7月15日生まれ
ちなみに、宮崎勤は1962年8月21日生まれ。
ちなみに、宅間守は1963年11月23日生まれ。
ちなみに、俺は1969年11月13日生まれ。
おいおい、1960年代に生まれた男にろくなのはおらんな。
1960年代に生まれた男どもはまとめて死刑にしちまった方がいいんじゃないのか?
俺の中では、芸能人のヒロミと宅間守のキャラがかぶっている。
おちゃらけてんのがヒロミで、児童殺しが宅間守。
ちなみに、ヒロミは1965年2月13日生まれ。
そういや、江頭2:50は1965年7月1日生まれで、なんだか分からない長島一成は1966年1月26日生まれだな。
申し訳ないと言うか、本気で1960年代生まれの男はいない方がマシの逸材ぞろいだと思う。今のうちにまとめて死刑にしといたほうがいいかもよ。
もういっそ殺してくれ。
という、ヤケクソぎみな狂気が1960年代生まれの男の特徴だ。
破壊衝動と自己消滅を願う魂が1960年代に生まれた男の特徴。
かもしれないと思う。
1960年代生まれの男は、男として世界を支配する気もない、かといって男を捨てる事も出来ない。自分は男として恥ずかしい。
いっそ世界など壊れてしまえと願いつつ、本当の望みは自己の消滅である。
自分がともかく恥ずかしくて情けない。でも、無駄にプライドが高いから他人にあわせるのを嫌いつつ。でも、男としてというメンツを気にしながらも、最終的に自己の破滅を求める。
お願いだ、もういっその事、楽に殺してくれ!
もう疲れた。