墨汁日記

墨汁Aイッテキ!公式ブログ

まとまらない

2007-11-06 20:13:04 | 駄目
<お詫び>
 この先の記事の内容には、附属池田小事件の被害者や遺族の方々にとって大変に不快な内容が含まれております。
 申し訳ありません。
 それで、誠に勝手ではありますが、事件の関係者の方には出来ればこの先は読んでいただきたくないと思っています。
 私には死者を冒涜する気はありません。
 被害者の皆様の冥福を心より祈っております。

<警告>
 この先、附属池田小事件の加害者である宅間守について俺の思った事を書く。
 それは、多数の人々にとって不愉快な内容であろうと思われる。
 警告する。この先は読むな。読んではいけない!
 俺は読むなと警告した。
 だから、勝手に警告を無視して読んだ人間からの苦情は一切受け付けない。

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 いやぁ、なんて卑怯な出だしだと我ながら惚れ惚れする。
 もちろん、被害者や遺族の方への気持ちは本気である。
 だが、実際に事件とは関係ない人間の気持ちなんかいくらでも踏みにじってやる。何の関係もないくせに、正義漢ぶった良識ある人々の説教や、宅間守を狂信している者のうわ言なんか聞きたくもない。
 脳に酸素がゆき届いてない頭の悪い連中の言う事など聞くだけ時間の無駄である。頼むから脳に酸素を補給してからしゃべって欲しいと思う。

 宅間守は殺人鬼でも英雄でもない。
 ただの馬鹿だ。
 しかも、筋金入りの馬鹿である。

 さて、俺は本格的な馬鹿である。
 なので、馬鹿の思考方法は痛いほど良く分かる。
 
 でも、長引くと面倒なので、今夜はサクサクッといってまとめる。

 宅間守の基本は「世の中のやつ全部敵や」である。
 どうも、この基本思想に行きついた原因は、彼の父親にあったと思われる。
 たぶんなんだけど、彼は父親から、彼自身の生きる価値さえ踏みにじられるような精神的屈辱を幼少の頃に味あわされたのではないかと想像される。
 宅間守は父から、お前なんか生きる価値もないとスタンプされちゃった人間なのではないだろうか?

 宅間守には生きる価値なんかないと、父親にそうスタンプされたのかもしれない。でも、彼は自分の生存をかけ、それをくつがえそうと、戦いを挑んだのかもしれない。
 しかし、宅間守が10代の頃に凶行を犯していたなら、子供達の復讐であっただろうが、彼は復讐者としては長生きしすぎた。
 彼が事件を犯したのは37才のとき。
 そういえば今の俺は37才だったな。
 宅間守の誕生日は1963年11月23日。
 俺の誕生日は1969年11月13日。

 37才までのうのうと生き延びた人間に復讐の権利などないと思う。
 そこまで生きちゃったのなら、もはや犯した罪の方が大きい。彼に英雄の称号はふさわしくない。

 彼は本当に殺人鬼なのであろうか?
 申し訳ないが、テンぱった馬鹿が何をするかなんて分からない。
 マジに馬鹿なんだよ。馬鹿に『他人の痛み』とやらを想像する能力など無い。

 たぶん彼は、
 人の話を聞かない。てか、聞く気もない。
 だから、人の忠告を理解できないし、人の気持ちなんか理解できない。
 自分の事しか考えられないので、友人や恋人なんかは、利用できるだけ利用し尽くさないと損だと考えている。また、利用できるモノは全て利用し尽くさないと損だとも考えているので、弱者の為の行政サービスである障害者年金なんかも、自分も貰っておかないと損だと考える。
 それもこれも、人間として生きる価値もないという刻印を与えられたせいで、自分が人間だという確信がないためだろう。
 人間面して生きている人間らしい奴らは、すべて自分とは別の生き物だ。
 なにしろ、自分は人間とは認められていないのだから。

 そして、生きれば生きるほど、プライドばかりが肥大して、他人からなめられる事のみが絶対に許せなくなる。
 普通の人間なら、なめられたくないなら、他人からなめられないようなそれなりの人間になろうと努力する。だが、なにしろ、基本思想は世の中全て敵なので、自分をなめる奴が悪いと考える。なにもかも人のせい。
 だって、彼自身は、自分を人だとは基本的に思っていないからね。

 人間じゃないから人間と馴れ合う事も出来ず、馴れ合えないからテンパってテンパった末に、行く所までいっちゃって、もう死んじまおうかと思ったら、なんだかものすごく悔しくなって、ヤケクソで人間達に復讐したくなった。

 うー。
 なんかきれいにまとまんない。ねむい。
 違う方向に行きそうだ。つづきはまたあした。