<お詫び>
この先の記事の内容には、附属池田小事件の被害者や遺族の方々にとって大変に不快な内容が含まれております。
申し訳ありませんが、誠に勝手ではあると思いますが、事件の関係者の方々にはこの先は読んでいただきたくないと思います。
死者を冒涜するのがこの記事の目的ではありません。ですが、記事の1部に、加害者を弁護するような内容が含まれており、大変に読み苦しいと思います。
被害者の皆様の冥福を心より祈ります。
<警告>
この先、附属池田小事件の加害者である宅間守について俺の思った事を書く。それは、多数の人々にとって不愉快な内容であろうと思われる。
警告する。この先は読むな。読んではいけない!
俺は読むなと警告した。
だから、勝手に警告を無視して読んだ人間からの苦情は一切受け付けない。
__________________________________
(1)
本当に申し訳ないなぁと思っている。
けっして、嫌がらせのつもりではないのだけども、俺の作文ってやっぱムカつくよね。あぁーあ、みんな、馬鹿がなにを偉そうに語ってやがるんだと思ってるんだろうなぁ。
ごめんね、悪気はないんだけど、ほらやっぱり、俺ってアレだから。
そう、アレなんだよ。
本格派の馬鹿!
本格派だから、並の馬鹿とはまるで格が違う。
馬鹿のトップクラス、その馬鹿さかげんは、もはや馬鹿のサラブレット。
そこいらの、駄馬鹿になんぞ絶対に負けるはず無い。
ようするに、これからは、俺に対してはこう考えて欲しい、「馬鹿が、偉そうにしている」のでない、俺は「偉い馬鹿」なのだ!
(2)
宅間守を憎んでいる人間は多い。
とくに、お子さんをお持ちの親御さんであるなら、宅間守など地獄に堕ちろと思われている事だろう。その気持ちは想像できる。
実際の被害者の方や、遺族の方々が、宅間守を許せないのは分かる。もちろん、俺もその立場なら絶対に宅間守を許さないだろうし死ぬまで憎むだろう。
なんだけど、宅間守から直接に被害を受けていない人間が宅間守を憎む気持ちは、想像だけはつくんだけど、馬鹿じゃねぇのと思う。
昨日も、少し書いたけど、彼から直接に被害も受けていないくせに宅間守を憎むなんてのは、世の中のやつは全部敵やと勝手に思い込んでいた宅間守と、同レベルの頭の内容だ。勝手に敵をつくって勝手に憎んでいる。
たぶん、こういう人たちは、宅間守と同レベルの馬鹿なんだろう。
宅間を憎んでも、なんにもならない。
むしろ、世の中を硬直させて、宅間守の予備軍を刺激するだけ。
宅間守を理解しろ。
そうしないかぎり、何度でも事件は起こる。
(3)
と、
ここまで書いても、直接的な被害者でもないくせに、まだ宅間守を憎んでいる奴はいるのだろう。
馬鹿は簡単に納得しないからなぁ。どうして、人殺しの宅間守を憎んじゃいけないんだという声がここまで聞こえてきそうだ。
(4)
しょうがねぇ。
お約束でもしよう。
protozoa 七つの誓いだ!
ひとつ。
人間に対して、
なになにだから、なになにしていい。
などと絶対に言わない。
ようするに、他人に対して、「こいつは人殺しだから、殺しても良い」などと言うのはやめましょう。考えてもいけません。
憎しみは感情だから、もう許す。
憎む事は、もうとめない。
だが、なになにだから殺しても良いとか言うのや考えるのはもうやめましょう。
protozoa からのお願いだよ!
あとの6コは、まだ考えていないが、忘れなければそのうちヒマな時にでも考える予定だ。
(5)
なんで人を殺してはいけないのか?
という問いはめんどくさい問いだ。そういう問いには道徳か宗教でも持ち出さなければ回答できない。
なんで、普通の人は、あんまり人殺しをしないの?
この程度の質問なら、常識の範疇で答えられる。そんなのもちろん、みんな人殺しをしてはいけないと思っているからだ。
(6)
人殺しをしてはいけないという思いは、人前でウンコをしてはいけないという思い込みよりも強い。
人前でウンコをしようが、誰を殺そうが、自分の生き死ににはもちろん関係ない。したいのなら、殺したい奴を殺し、どこでもウンコすれば良いのだ。
仲間を殺してはいけないと本能に刷り込まれている動物がいるようだ。
だが、人間は本能を見失った動物で、本能より理性や思い込みの方が強い。
人前だろうがなんだろうが、どこでクソしようと自分の生死に関係ない。そんなのただの思い込みであり、社会生活から抜けたなら、どうでも良い事だ。だから、思い込みを無くした人の為に成人用おむつとかも必要になる。
人を殺してはいけないという思い込みさえ無くせば、人殺しに抵抗はなくなる。
(7)
だが、人殺しは世間的に最も迷惑だ。
共同体にとっては、人殺しこそ忌み嫌う行為である。
共同体の望みは、共存関係の存続と維持。
血みどろの憎しみあい殺しあいだけはさけたい。互いに殺しあう事こそ共同体の存続にとって悪というか、下手すると殺しあいでそのものがつぶれかねない。
そうゆう共同体にとって、人殺しはもちろん悪だけど、結局は、人殺しを殺せという連中も秩序を乱す人間なのである。下手すると、殺しあいの火種になりかねない。だから、汝の敵を愛せよ、罪を憎んで人を憎まず、などの名言も生まれる。
(8)
共同体を維持する事でもっとも救われるのは誰であろうか?
最も強い者と、最も弱い者である。
残念な事だが、革命を起こす者は、理想の為に平気で体制に依存した強者を、多数の弱者もろともに切り捨てる。
どんな共同体であろうとも、必ず、最も弱い弱者の保護をそれなりではあろう
けど、たぶん無意識的なのであろうが、必ず行っている。
だが、たいていの革命者は体制の庇護にある弱者を、強者と共に切り捨て、新しい弱者をつくる。
(9)
結局は、今ある共同体の秩序の維持こそが、今いる弱者の保護につながる。
そして、人殺しは秩序への反逆者であるが、人殺しを人殺しだからと憎む連中も、無意識なのであろうが秩序の破壊者なのである。
現体制の秩序に守られている弱者の身を思うなら、秩序を乱してはいけない。
(0)
革命でなく、ゆったりとした変化が望ましい。