<お詫び>
この先の記事には、附属池田小事件の被害者ならびに遺族の方々にとって大変に不快な内容が含まれております。
申し訳ありません。誠に勝手ではありますが、事件の関係者にはこの先を読んでいただきたくないと願います。死者を冒涜するのがこの記事の目的ではありません。ですが、記事の1部に、加害者を弁護するような内容が含まれており、大変に読み苦しいと思います。
亡くなられた方々の冥福を心よりお祈りいたします。
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やっと、考えがまとまった。
今まで宅間守を、「虚栄心」と「自信」だけで語ろうと考えていたが、それだけでは、どうも上手く説明がつかないと苦悩していた。
宅間守は、虚栄心は高いが自信のない、虚勢をはっているだけの全く典型的な「チンピラ」である。
だが、読者はそんな説明では納得しないだろう。
だって、普通のチンピラは、幼児を殺したりしないからね。
たいていのチンピラはヤクザのルールにのっとって活動する。
宅間もチンピラも、精神レベルはほとんど一緒なんだけど、行動理論が違う。
チンピラは上位組織の行動理論に従うが、宅間は宅間のみの行動理論に従って幼児を殺した。
虚栄心と自信だけで宅間を語ろうとすると、宅間とチンピラはほぼ同じとなる。
精神内容や、普段の行動の理不尽さでは、宅間とチンピラはだいたい同等であり、幼児さえ殺さなければ宅間守もただのチンピラで終わっただろう。
だが、宅間をチンピラと一緒とすると、幼児を殺した事の説明ができない。
無理に説明しようとすると、キンピラゴボウに、キンピラとゴボウがはいってないみたいなかんじになる。
そこで、新しい概念を導入してみる事にした。
それは自己愛である。
「自己愛」「虚栄心」「自信」。
あぁ、抜けていたピースがそろったかんじだ。
宅間守は、自己愛が異常に高く、虚栄心も高く、自信は異常に低かった。
これで、宅間守の独自性について語るキーワードが全部そろった。
あとは説明するだけなのだが、今日はもう眠いので明日説明しよう。