墨汁日記

墨汁Aイッテキ!公式ブログ

みんな好き

2007-11-24 19:04:33 | 駄目
 愛にもいろいろある。

 仏教ならば、愛とはすなわち煩悩で、他人を求める欲望である。
 だから愛情が強い女性は低く見られた。

 キリストや神の愛は、本当なら「慈悲」と訳されるべきものである。

 男を愛するのは神である。
 女を愛するのは神と男である。
 子を愛するのは神と男と女である。

 キリスト教の語る「愛」は全て上からの一方通行で、下からの「愛」は許されていない。それは忠誠とか呼ばれるものである。
 そもそも、女子供は低い位置に置かれている。

 仏教は愛を煩悩とし、キリスト教は愛を上から与える慈悲と考えた。

 だが、ここに女から「みんな好きー」という全肯定の言葉があらわれた。
 そんなことなんか、男は考えた事もなかっただろう。
 
 だってまさか、みんな好きなんてありえない。
 だって、だってさ。

 男は口ごもる。

 あなたもわたしもおなじくらい好き。
 だって同じじゃない?
 わたしもあなたも生きてるんだもん!


自己愛

2007-11-24 18:41:11 | 駄目

<お詫び>

 この先の記事には、附属池田小事件の被害者ならびに遺族の方々にとって大変に不快な内容が含まれております。
 申し訳ありません。誠に勝手ではありますが、事件の関係者にはこの先を読んでいただきたくないと願います。死者を冒涜するのがこの記事の目的ではありません。ですが、記事の1部に、加害者を弁護するような内容が含まれており、大変に読み苦しいと思います。
 亡くなられた方々の冥福を心よりお祈りいたします。

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 やっと、考えがまとまった。

 今まで宅間守を、「虚栄心」と「自信」だけで語ろうと考えていたが、それだけでは、どうも上手く説明がつかないと苦悩していた。

 宅間守は、虚栄心は高いが自信のない、虚勢をはっているだけの全く典型的な「チンピラ」である。
 だが、読者はそんな説明では納得しないだろう。
 だって、普通のチンピラは、幼児を殺したりしないからね。

 たいていのチンピラはヤクザのルールにのっとって活動する。

 宅間もチンピラも、精神レベルはほとんど一緒なんだけど、行動理論が違う。

 チンピラは上位組織の行動理論に従うが、宅間は宅間のみの行動理論に従って幼児を殺した。

 虚栄心と自信だけで宅間を語ろうとすると、宅間とチンピラはほぼ同じとなる。
 精神内容や、普段の行動の理不尽さでは、宅間とチンピラはだいたい同等であり、幼児さえ殺さなければ宅間守もただのチンピラで終わっただろう。
 だが、宅間をチンピラと一緒とすると、幼児を殺した事の説明ができない。
 無理に説明しようとすると、キンピラゴボウに、キンピラとゴボウがはいってないみたいなかんじになる。

 そこで、新しい概念を導入してみる事にした。

 それは自己愛である。

「自己愛」「虚栄心」「自信」。

 あぁ、抜けていたピースがそろったかんじだ。

 宅間守は、自己愛が異常に高く、虚栄心も高く、自信は異常に低かった。
 これで、宅間守の独自性について語るキーワードが全部そろった。

 あとは説明するだけなのだが、今日はもう眠いので明日説明しよう。