墨汁日記

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自信がない

2007-11-17 19:36:08 | 駄目
<お詫び>

 この先の記事には、附属池田小事件の被害者や遺族の方々にとり大変に不快な内容が含まれております。
 申し訳ありません。誠に勝手であると思いますが、事件の関係者にはこの先を読んでいただきたくないと願います。
 死者を冒涜するのがこの記事の目的ではありません。
 ですが、記事の1部には、加害者を弁護するような内容が含まれており、大変に読み苦しいと思います。
 亡くなられた方々の冥福を心よりお祈りいたします。

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 俺には、自信がない。

 なんてっのかな、自分が生きいても良いなと思うくらいの自信はあるよ。
 衝動的に死んだらどうなるんだろうか、みたいなさ、電車にフト飛び込んでみたいなと思う事ぐらい、そのくらいはもちろんあるけど、自殺を本気で計画した事はない。むしろ、死ぬのは怖いし、死にたくない。

 これは、生物として、もっとも当たり前の自信で、普通に育てられたら、誰もが身につける自信だ。自分が生きている事を疑問視するのは、生物としてそもそもおかしいこと。
 だが、人間は言葉を話すことや理性で行動を制御する能力を得たおかげで、本能が働きにくい生物だ。
 巨大化した脳のおかげで、本能よりも頭で考えた言葉や思考、理性などを優先させる事が出来る。

 なもんだから、ついつい自分に生きる価値がないと思えば、本気でそう思いこんでしまったりするが、生きる事に価値なんか特にない。

 生きる事に意味や価値など少しも全くない。
 あえて言うなら、死ぬまで生きる事が生物としての目標である。
 どうせ、最期は誰もが死ぬのに、わざわざ自分から死ぬなんて最もアホらしい。誰もがやがて必ず死ぬのだ。最期まで生きても今死んでも、死ぬという結果は同じだ。死にたいならどうぞとも思うが、わざわざ死を選ばずとも絶対に最期はみんな死ぬ。死なない人間は絶対にいない。

 それでも、死にたいなら今すぐにでも死ねばいいと思う。
 だが、あたまよすぎて本能が壊れてるだけかもよと思う。

 なんだけど、自分が生きていても良いという自信を得られなかった人間は簡単に死を選ぶ。
 そんなもの他者からの影響で、思い込みで、本能が壊れているだけなんだけれど、生きている価値や意味もないと自ら死ぬ事を選ぶ。
 なんで、飛び降り自殺する人間は靴を脱いで飛び降りるのだろうか?
 靴なんか履いてようが脱いでようが、死は自己の意識の消失である。身体の消滅である。
 新しい世界にお邪魔するわけではない。死後の世界はたぶんないし、死んだらなにもかもそれであなたは終わりだ。
 あなたの完全消滅が死である。
 死にたいならどうぞ。止めはしない。

 生きていてもいいという自信が身に付いたら、次は自分が自分であるという自信を身につけないといけない。
 自分は自分で、誰になんと言われようとも、関係もないし恥ずかしくも悔しくもないという自信。
 この自信はなかなか身につけにくい。モノに出来ない。
 
 俺は俺だ、誰になんと言われようと関係なく俺なのだ!
 という自信が、次に身につけなければならない自信なんだけど、それが俺にはなかなか身につかない。ついつい弱気になってウジウジと自己嫌悪して、こんな自分なんてみんなに馬鹿にされて当然だよねとシクシク悲しくなる。
 頑張ってがんばって、俺は俺だよって自信を身につけようと努力はしているけど、いまだに他人から馬鹿だとかいいかげんだとか学歴がないだとか思われているはずなんだと勝手に自己嫌悪して、想像して、ボロボロと涙で枕を濡らしてしまう。いつも、強がりを言ってるけど、だって男の子だもん。涙がでちゃう。
 せめて、コートの中では泣かないようにしたい。
 
 自分と世間の評判は何も関係ない。
 無視しても問題はない。
 なんと言われようと思われようが、それだけでは死にはしないはず。

 なのに、対人関係で傷つくぐらいならと、他人との関係を極力さけて孤立する。一匹狼を気取りながらも、俺は本当はとても弱い人間だ。

 自分が生きている事を疑問視しない自信。
 他人がなんと言おうと、俺は俺だという自信。

 この、ふたつの自信が、ある程度でもそろってない人間は他人から見ると変な人に見える。