何事も、古き世のみぞ慕はしき。今様は、無下にいやしくこそなりゆくめれ。かの木の道の匠の造れる、うつくしき器物も、古代の姿こそをかしと見ゆれ。
文の詞などぞ、昔の反古どもはいみじき。ただ言ふ言葉も、口をしうこそなりもてゆくなれ。古は、「車もたげよ」、「火かかげよ」とこそ言ひしを、今様の人は、「もてあげよ」、「かきあげよ」と言ふ。「主殿寮人数立て」と言ふべきを、「たちあかししろくせよ」と言ひ、最勝請の御聴聞所なるをば「御請の廬」とこそ言ふを、「講廬」と言ふ。口をしとぞ、古き人は仰せられし。
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<口語訳>
何事も、古き世のみが慕わしかった。今様は、無下にいやしくこそなって行くようだ。かの木の道の匠の造る、うつくしき器物も、古代の姿こそ風情あると見える。
文の詞などだぞ、昔の反古共はすごかった。ただ言う言葉も、口おしくこそ成り持って行くのだ。古は、「車もたげよ」、「火かかげよ」とこそ言ったのを、今様の人は、「もてあげよ」、「かきあげよ」と言う。「主殿寮人数立て」と言うべきを、「たちあかししろくせよ」と言い、最勝請の御聴聞所になるのをだよ「御請の廬」とこそ言うのを、「講廬」と言う。口おしいぞと、古き人は仰られた。
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<意訳>
何事でも、古い世は慕わしい。
最近は、無駄に下品になっていくように見える。
木の匠が造った美しい器も、古風な姿に趣がある。
文章も、昔の人の文は、書き損じですらすごい。
朝廷で使う言葉も、無様に成り果てていく。
古くは、「車もたげよ」、「火かかげよ」と言った。
今の人は、「もてあげよ」、「かきあげよ」と言う。
「主殿寮人数立て(主殿を守る者よ数たてよ!)」と言うべきを、
「たちあかししろくせよ(松明を白くせよ!)」と言う。
僧を集め、天下太平を祈る「最勝請」の儀式の時、天皇の御座席は「御請の廬」と言うはずであったが、今では「講廬」と言っている。
情けないことだと、古老は仰られた。
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<本人による感想>
や、どもっ。俺が吉田兼好です。
って、自分で自分を吉田兼好と認めてどうするw
てなわけで、俺は、京都「吉田神社」の神祇官一族の出身ではあるんだけどさ、吉田家の一員だったんだけどね、でも、吉田家が吉田って改名したのは、南北朝の争いが済んだ後の、俺がとっくに死んだ後なのさ。
俺は、吉田神社の神祇官一族の吉田家が、吉田に改名する前の、まだ卜部家と名乗っていた頃に分家をした祖父の孫だから、あくまで俺は「卜部 兼好」なんだよ。だから、他人から吉田呼ばわりされるいわれは一つもないし、だいたい俺は牛丼一筋かっての。あー、それは「吉野家」か。
ところで、みんなついてきてるかな?
今夜はビンビン飛ばすよ。ビュンビュンと!
でさ、俺は坊主だからさ、世も捨てちゃってるから、出家した時に名字もすてちゃった。当時は、健康保険証も住民票も戸籍もないからさ、名字なんて、なくてもなんともなかった。
で、俺の坊主のハンドルネームが、「兼好(けんこう)」なわけよ。
なんだよ名前そのまんまかい!
みたいな、しかるべきツッコミもあろうかとも思うが、そこはそこ、あそこはあそこで、ここはここ。
実は俺って「かねよし」だったのよ。「卜部兼好(うらべ かねよし)」が出家前の名前で、字だけ同じで読み方のみ変えて出家した。だから、坊主である俺にゃ名字はない。捨てたからね。ぜひ、「けんこう」と気楽に呼んでくれたまえ。照れくさかったら「兼好法師」と呼んでもいいし、なんだったら「吉田兼好」でも許す。
さて、今日は、自分で自分の文章を解説でもしてみようかな。
本人だから鋭いよ。えぐっちゃうよグリグリ。
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<本人による解説>
まぁ俺は昔っから、レトロがマイブームだったわけ。
ちゅーか、古きにあこがれてた。
そんでもって、当時の朝廷の格式や風俗なんて嫌いだった。
だってだって、世は、お侍の時代なんだもん。鎌倉末期ですから!
当時の京都朝廷の下級貴族なんて、侍から木の端ぐらいに思われていたんだよ。まだ、かろうじて文化の中心は京都にあったけど、すでに朝廷や天皇は鎌倉幕府の傀儡にすぎなかった。
憧れるのは平安京の時代。
俺は神社の子だからさ、純粋に天皇だけは尊敬していた。
嫌いなのは、すでに朝廷なんて木の端なのに、それを理解せずに朝廷にしがみつく連中や、その連中のやることなすこと。
すでに昔の優雅な物腰も言葉遣いも忘れ果て、何の実権もないくせに、貴族でございますみたいな顔してノホホンとしている連中は、許しがたいほどの馬鹿に見えた。
「かの木の道の匠が造れる、うつくしき器物も、古代の姿こそをかしと見ゆれ」
と、この段にゃ書いてあるんだけど、これってどういう意味なんだっけ?
俺さ、一応本人なんだけどさ、なにぶんにも700年前のことなんで、どんなつもりで書いたのかもう忘れちゃったよ。
今になって読み返すと、かの木の匠って、どの木の匠だよと思うな。かの木の匠がどの匠なのか正確に思い出せないので、美しき器物がなんであったのかも、まったく思い出せない。我ながら謎の多い文章だ。
この段の後半は、俺が朝廷に仕えていた頃に、古老から聞いたむかし話を書いてある。
昔はこんな言いまわしをしたんだ。やっぱり昔はいいよね。という感動を、古老から聞いた話を思いだしながら書いたんだっけ。
まぁ、昔はいーよ。本当に優雅で。平安京に生まれていたら、絶対に人生変わっていたと若い頃は真剣に思っていた。