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徒然草 第二十二段 何事

2006-06-23 20:48:13 | 新訳 徒然草

 何事も、古き世のみぞ慕はしき。今様は、無下にいやしくこそなりゆくめれ。かの木の道の匠の造れる、うつくしき器物も、古代の姿こそをかしと見ゆれ。
 文の詞などぞ、昔の反古どもはいみじき。ただ言ふ言葉も、口をしうこそなりもてゆくなれ。古は、「車もたげよ」、「火かかげよ」とこそ言ひしを、今様の人は、「もてあげよ」、「かきあげよ」と言ふ。「主殿寮人数立て」と言ふべきを、「たちあかししろくせよ」と言ひ、最勝請の御聴聞所なるをば「御請の廬」とこそ言ふを、「講廬」と言ふ。口をしとぞ、古き人は仰せられし。

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<口語訳>

 何事も、古き世のみが慕わしかった。今様は、無下にいやしくこそなって行くようだ。かの木の道の匠の造る、うつくしき器物も、古代の姿こそ風情あると見える。
 文の詞などだぞ、昔の反古共はすごかった。ただ言う言葉も、口おしくこそ成り持って行くのだ。古は、「車もたげよ」、「火かかげよ」とこそ言ったのを、今様の人は、「もてあげよ」、「かきあげよ」と言う。「主殿寮人数立て」と言うべきを、「たちあかししろくせよ」と言い、最勝請の御聴聞所になるのをだよ「御請の廬」とこそ言うのを、「講廬」と言う。口おしいぞと、古き人は仰られた。

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<意訳>

 何事でも、古い世は慕わしい。
 最近は、無駄に下品になっていくように見える。
 木の匠が造った美しい器も、古風な姿に趣がある。

 文章も、昔の人の文は、書き損じですらすごい。

 朝廷で使う言葉も、無様に成り果てていく。

 古くは、「車もたげよ」、「火かかげよ」と言った。
 今の人は、「もてあげよ」、「かきあげよ」と言う。

「主殿寮人数立て(主殿を守る者よ数たてよ!)」と言うべきを、
「たちあかししろくせよ(松明を白くせよ!)」と言う。

 僧を集め、天下太平を祈る「最勝請」の儀式の時、天皇の御座席は「御請の廬」と言うはずであったが、今では「講廬」と言っている。
 情けないことだと、古老は仰られた。

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<本人による感想>

 や、どもっ。俺が吉田兼好です。
 って、自分で自分を吉田兼好と認めてどうするw

 てなわけで、俺は、京都「吉田神社」の神祇官一族の出身ではあるんだけどさ、吉田家の一員だったんだけどね、でも、吉田家が吉田って改名したのは、南北朝の争いが済んだ後の、俺がとっくに死んだ後なのさ。
 俺は、吉田神社の神祇官一族の吉田家が、吉田に改名する前の、まだ卜部家と名乗っていた頃に分家をした祖父の孫だから、あくまで俺は「卜部 兼好」なんだよ。だから、他人から吉田呼ばわりされるいわれは一つもないし、だいたい俺は牛丼一筋かっての。あー、それは「吉野家」か。

 ところで、みんなついてきてるかな?
  今夜はビンビン飛ばすよ。ビュンビュンと!

 でさ、俺は坊主だからさ、世も捨てちゃってるから、出家した時に名字もすてちゃった。当時は、健康保険証も住民票も戸籍もないからさ、名字なんて、なくてもなんともなかった。
 で、俺の坊主のハンドルネームが、「兼好(けんこう)」なわけよ。
 なんだよ名前そのまんまかい!
 みたいな、しかるべきツッコミもあろうかとも思うが、そこはそこ、あそこはあそこで、ここはここ。

 実は俺って「かねよし」だったのよ。「卜部兼好(うらべ かねよし)」が出家前の名前で、字だけ同じで読み方のみ変えて出家した。だから、坊主である俺にゃ名字はない。捨てたからね。ぜひ、「けんこう」と気楽に呼んでくれたまえ。照れくさかったら「兼好法師」と呼んでもいいし、なんだったら「吉田兼好」でも許す。

 さて、今日は、自分で自分の文章を解説でもしてみようかな。
 本人だから鋭いよ。えぐっちゃうよグリグリ。

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<本人による解説>

 まぁ俺は昔っから、レトロがマイブームだったわけ。
 ちゅーか、古きにあこがれてた。
 そんでもって、当時の朝廷の格式や風俗なんて嫌いだった。
 だってだって、世は、お侍の時代なんだもん。鎌倉末期ですから!
 当時の京都朝廷の下級貴族なんて、侍から木の端ぐらいに思われていたんだよ。まだ、かろうじて文化の中心は京都にあったけど、すでに朝廷や天皇は鎌倉幕府の傀儡にすぎなかった。

 憧れるのは平安京の時代。
 俺は神社の子だからさ、純粋に天皇だけは尊敬していた。
 嫌いなのは、すでに朝廷なんて木の端なのに、それを理解せずに朝廷にしがみつく連中や、その連中のやることなすこと。
 すでに昔の優雅な物腰も言葉遣いも忘れ果て、何の実権もないくせに、貴族でございますみたいな顔してノホホンとしている連中は、許しがたいほどの馬鹿に見えた。

「かの木の道の匠が造れる、うつくしき器物も、古代の姿こそをかしと見ゆれ」
 と、この段にゃ書いてあるんだけど、これってどういう意味なんだっけ?
 俺さ、一応本人なんだけどさ、なにぶんにも700年前のことなんで、どんなつもりで書いたのかもう忘れちゃったよ。
 今になって読み返すと、かの木の匠って、どの木の匠だよと思うな。かの木の匠がどの匠なのか正確に思い出せないので、美しき器物がなんであったのかも、まったく思い出せない。我ながら謎の多い文章だ。

 この段の後半は、俺が朝廷に仕えていた頃に、古老から聞いたむかし話を書いてある。
 昔はこんな言いまわしをしたんだ。やっぱり昔はいいよね。という感動を、古老から聞いた話を思いだしながら書いたんだっけ。

 まぁ、昔はいーよ。本当に優雅で。平安京に生まれていたら、絶対に人生変わっていたと若い頃は真剣に思っていた。


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