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★「ポツダム宣言様ありがとう」の自由社版教科書-扶桑社版からの改悪<7>

扶桑社から絶縁された「新しい歴史教科書をつくる会」が自由社という出版社から出した教科書が、扶桑社版を大部分コピーしつつ、コピーしなかった部分で自虐的に改悪している―という連載は、読者の皆様からの情報提供が多いため、なかなか終わりません。ありがとうございます。
 
「5章のまとめ」というページです。

<自由社版>ポツダム宣言 1945年 日本に降伏の機会を与えるため、米英中(後にソ連も加わる)の降伏条件を示す宣言として出された。これによって日本の本土決戦が回避され、日本の分断国家化は防がれた。(p228)
<扶桑社版>(なし)

 
これを読んで、ほとんどの人が「冗談じゃない! 本土決戦が回避されたのは昭和天皇のご聖断のおかげだ」と叫んだと思います。ポツダム宣言の用語説明なのに、宣言の中身を書かずに「日本に降伏の機会を与えるため」「これによって日本の本土決戦が回避され、日本の分断国家化は防がれた」と感謝しています。これが「自国の敗戦の語り方」でしょうか。
 
本土決戦や分断国家化が避けられたことには、さまざまな要因があります。何よりルーズベルトが死んでいたという幸運がありました。扶桑社版や自由社版が書いているように、ジョセフ・グルーという知日派の尽力があったことも事実です。しかし自由社版の書き方を突き詰めていくと「降伏の機会を与えてもらったのに、すぐに受諾しないから広島・長崎に原爆が落とされた」「アメリカが核兵器の威力を見せつけたから本土決戦もソ連軍の本土占領もなかったのだ」と原爆投下を正当化することになるでしょう。
 
現に自由社版の監修者で「つくる会」副会長の杉原誠四郎という人(現在は事実上無職のようです)は『教科書が教えない歴史』で、グルーの功績を書いた後で「残念ながらポツダム宣言が出たとき日本はすぐには受諾しませんでしたので、原爆が落ち、ソ連参戦となりました」と、ポツダム宣言を出してくれたのにモタモタしているから原爆が落ちた(この人の書き方は「落とされた」ではありません)と指摘しています。
 
要するに、自由社版の「自国の敗戦の語り方」はアメリカ人から見た歴史です。小山常実という「つくる会」理事の著書『歴史教科書が隠してきたもの』の言い方を借りるなら「米国善玉史観という巨大な影がある」のです。扶桑社版を書き換えたり書き足した自由社版の執筆者には、日本人が身命を賭して戦って敗れたことを、日本人の問題として、自らの問題として考え、そして子供たちにどう教えるかという心構えがないのです。
 
日本を本土決戦や分断国家化から救ったのは、硫黄島や沖縄で戦った幾万の英霊の自己犠牲の死であり、祖国日本の将来を信じ、自分の身はどうなってもいいからと、堪え難きを堪えてポツダム宣言を受け入れられた先帝陛下のご聖断です。自由社版の執筆者が本当に保守なら「ポツダム宣言のおかげ」などとは間違っても書きません。
 
教員グループが作成したとみられる「内部研究資料 比較検討 平成22年度版中学校歴史教科書」というカラーのPDF資料を送ってくださった方がいます。その中から、自由社版の大東亜戦争への道から終戦までの主な記述(扶桑社版にはないもの)をまとめた表を紹介します。

ご覧の通り、自由社版が扶桑社版を書き換えたり書き足した部分は7種類の自虐教科書のトーンとほとんど変わりません。このほかに、連載の3回目で紹介した、大東亜戦争を太平洋戦争と表記したり、特攻隊を「自殺攻撃」と貶めている問題もあります。
 
宮崎正弘なるKYな評論家は、自由社版について「敗戦後の日本の精神を萎縮させてきた、自虐的姿勢が払拭されている」と評していますが、どこを見て言っているのでしょうか。それに、彼が褒めている部分はほとんど扶桑社版を複製した記述です。
 
「戦艦大和」や「昭和天皇のお言葉」に誤魔化されてはいけません。論評するならきちんと精査しましょう・・・表紙から。
 
(つづく)

連載一覧
★安重根を取り上げ志士と称える自由社版教科書-扶桑社版からの改悪<上>
★自由社版教科書で菅原道真も乃木希典も消えた-扶桑社版からの改悪<中>
★特攻隊を「自殺攻撃」と貶める自由社版教科書-扶桑社版からの改悪<下>
★進化論から始まり部落史を詳述する自由社版教科書-扶桑社版からの改悪<4>
★自由社版 そんなに支那が 好きですか-扶桑社版からの改悪<5>
★スクープ!『日本人の歴史教科書』表紙はタイのガラクタ-扶桑社版からの改悪<6>
★「ポツダム宣言様ありがとう」の自由社版教科書-扶桑社版からの改悪<7>
★悪党のくせに(笑)悪党を書かない自由社版教科書-扶桑社版からの改悪<8>
★藤岡信勝会長、独禁法に違反してませんか?-扶桑社版からの改悪<9>
★乃木大将削除を開き直る「つくる会」理事-扶桑社版からの改悪<10>
★秀吉の朝鮮出兵を「侵略」と書く自由社版-扶桑社版からの改悪<11>
★自由社版「ラスコーの壁画」はニセ写真だ-扶桑社版からの改悪<12>
★みんなニコニコ古墳を造ったと描く自由社版-扶桑社版からの改悪<13>
★錦の御旗で威圧したと書く自由社版-扶桑社版からの改悪<14>
★ナチスのユダヤ人迫害を消した自由社版-扶桑社版からの改悪<15>
★編集趣意書から「太平洋戦争」史観の自由社版-扶桑社版からの改悪<16>
★石原慎太郎を載せても都教委は採択しないぞ自由社版-扶桑社版からの改悪<17>
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★スクープ!『日本人の歴史教科書』表紙はタイのガラクタ-扶桑社版からの改悪<6>

扶桑社から絶縁された「新しい歴史教科書をつくる会」が自由社という出版社から出した教科書が、扶桑社版を大部分コピーしつつ、コピーしなかった部分で自虐的に改悪している―という連載をお届けしてきました。
自由社版教科書は、寄稿文を付けて『日本人の歴史教科書』というタイトルで書店で市販されています。読者の皆さんはこの表紙をどう思いますか?

仏像のようなものの左手が写っていますが、これを見て「日本の文化は素晴らしい。さすが『つくる会』だ」と思った人は、失礼ながら馬鹿だと思います。普通の日本人の感覚なら、日本の文化財、美術品とは感じません。
 
そこでこの写真の出典を探してみました。簡単に見つかりました。

アマナイメージズという写真素材業者のサイトに元の写真クリックがあります。
つまり、自由社は『日本人の歴史教科書』の表紙の写真をインターネットで1万2075円(2MBの場合)で買ったのです。
作品タイトルは「Hand」。ただの「手」です。仏像かどうか分かりません。歴史教科書に載っている出所不明の写真を批判してきた「つくる会」が、出所不明の写真を市販本の表紙に堂々と使っているのです。
クレジットの欄に「(c)Ken Seet/Corbis/amanaimages」とありますので、Corbis(コービス)のサイトを見てみましょう。
 
コービスジャパン←クリック  米コービス←クリック

同じ写真が載っています。
 
「コービスのキーワード」というところをクリックすると、「ムードラ」とか「瞑想」というキーワードがあります。ムードラ(ムドラー)とは印相(仏像の手の形)ですが、主にヨガの手の動きという意味で使われます。
 
ここでも売っています。←クリック ここにアップしている人もいます。←クリック

撮影者のKen Seet(ケン・シート)とは、どんな人でしょう。
http://www.mindef.gov.sg/art/defenceart_abtKen.htm←クリック
東南アジアで仕事をしているシンガポールの商業カメラマンです。
 
ということは、この「手」は東南アジアのものではないでしょうか。だいたい、日本の仏像にはワイシャツのような袖は普通ありません。指の形も違います。よく見ると、手のひらの中央に模様があります。

仏像の足の裏に刻まれる千輻輪(せんぷくりん)に似ていますが、手のひらの千輻輪は日本ではあまりありません。
 

な、な、なんと、『日本人の歴史教科書』の表紙の写真は、すでにタイの旅行ガイド←クリックに使われていました! ケン・シートさんはタイの風土をイメージする商業写真としてこれを撮影したのです。
 
普通、仏像の左手をこの角度から撮影した場合、胴体が写ります。これは仏像ではなく、手だけの「作品」ではないでしょうか。
 
あります、あります。類似品がたくさん見つかりました。やはり手だけのオブジェです。

このアジアン雑貨店のサイト←クリックによると5600円。Sサイズは3000円です。
このお店←クリックでは9600円、在庫切れです。
これらはブッダハンド(仏陀の手)と呼ばれるタイのオブジェで、バンコクのチャルンラート通りの雑貨屋などで売られています。日本のアジアン雑貨店でも扱っていて、タイ式マッサージの店に飾ってあったりもします。
「ブッダハンド」「buddha hand」「仏陀の手」などで画像検索してみてください。
 
自由社版教科書の市販本『日本人の歴史教科書』(1500円)の表紙の写真の正体は→①インターネットで買った出所不明の写真②その被写体は日本の仏像ではない③自由社が好きな支那や朝鮮のものでもない④そもそも仏像ではなく、手しか存在しない⑤タイのオブジェであり、「日本人の歴史」とは何の関係もない
 
「これが『日本人の歴史教科書』だ」「子供たちに日本人としての誇りを教えるのだ」「大人も有り難く読め」という本の表紙は、タイのガラクタなのです。読者や「つくる会」会員をこれほど馬鹿にした話はありません。
 
自由社にお尋ねします。
この表紙が
「タイのオブジェではない。奈良の○○寺の○○という仏像だ。ケン・シートが撮りにきたのだ」
「われわれの大好きな韓国の○○博物館にある○○という文化財だ」
あるいは
「日本の仏像だとはどこにも書いていない。だから、読者を欺いてはいない」
「アジアは一つだ。タイのオブジェで何が悪い」
などの反論がありましたら是非お聞かせください。
 
project-justice@mail.goo.ne.jp
 
私たちはまだまだ材料を持っていますので、大いに議論しましょう。
 
普通の企業なら、商品を回収して、原因究明と再発防止のために調査委員会を作るような不祥事だと思いますが、違いますかねえ。

(つづく)

連載一覧
★安重根を取り上げ志士と称える自由社版教科書-扶桑社版からの改悪<上>
★自由社版教科書で菅原道真も乃木希典も消えた-扶桑社版からの改悪<中>
★特攻隊を「自殺攻撃」と貶める自由社版教科書-扶桑社版からの改悪<下>
★進化論から始まり部落史を詳述する自由社版教科書-扶桑社版からの改悪<4>
★自由社版 そんなに支那が 好きですか-扶桑社版からの改悪<5>
★スクープ!『日本人の歴史教科書』表紙はタイのガラクタ-扶桑社版からの改悪<6>
★「ポツダム宣言様ありがとう」の自由社版教科書-扶桑社版からの改悪<7>
★悪党のくせに(笑)悪党を書かない自由社版教科書-扶桑社版からの改悪<8>
★藤岡信勝会長、独禁法に違反してませんか?-扶桑社版からの改悪<9>
★乃木大将削除を開き直る「つくる会」理事-扶桑社版からの改悪<10>
★秀吉の朝鮮出兵を「侵略」と書く自由社版-扶桑社版からの改悪<11>
★自由社版「ラスコーの壁画」はニセ写真だ-扶桑社版からの改悪<12>
★みんなニコニコ古墳を造ったと描く自由社版-扶桑社版からの改悪<13>
★錦の御旗で威圧したと書く自由社版-扶桑社版からの改悪<14>
★ナチスのユダヤ人迫害を消した自由社版-扶桑社版からの改悪<15>
★編集趣意書から「太平洋戦争」史観の自由社版-扶桑社版からの改悪<16>
★石原慎太郎を載せても都教委は採択しないぞ自由社版-扶桑社版からの改悪<17>
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★自由社版 そんなに支那が 好きですか-扶桑社版からの改悪<5>

扶桑社から絶縁された「新しい歴史教科書をつくる会」が自由社という出版社から出した教科書が、扶桑社版を大部分コピーしつつ、コピーしなかった部分で自虐的に改悪している―という連載をお届けしています。
 
連載の2回目でお伝えしましたが、自由社版は文化史の部分を全面的に書き直していて、そこがかなりおかしな記述になっています。文部科学省が公表した「著作編修関係者名簿」によると、文化史の部分を執筆したのは松本謙一という人です。

扶桑社の教科書は「日本の文化や美術が中国や朝鮮半島とは違う独自の文明圏をつくってきたことを初めて書いた」というのが特徴でした。しかし「つくる会」の藤岡信勝会長は会報「史」の5月号で「扶桑社版の美術史に偏った巻頭グラビアをやめ」と「日本文化の独自性」路線からの転換ととれることを書いています。その中身を具体的に見てみましょう。
 
典型的なものはこれです。

自由社版の「シルクロードと仏教美術」(p52)にある廣隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像の写真です。序文の扉(p8)にも同じ写真がページ全体に載っています。
 
廣隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像の写真は歴史教科書の定番ですが。扶桑社版は初版本も改訂版もあえて載せていません。この仏像は自由社版に書いてある通り、「朝鮮からもたらされた」あるいは「日本でおそらく帰化人の家系から出た仏師によってつくられた」、つまり朝鮮の仏像です。扶桑社版が載せていないのは、もっと載せるべき日本独自の芸術があるという「こだわり」だと思います。
 
自由社版はそんなことはどうでもいいのです。だから「シルクロード」なのです。

<自由社版>金堂や五重塔を取り巻いて(なぜか1字空き)一周している回廊の柱は皆、中央がやわらかくふくらんでいる。この様式をエンタシスといい、ギリシャ建築の神殿の柱などにつながるものではないか、といわれている。(p52)
<扶桑社版>(なし)

 
伊東忠太の「法隆寺のエンタシスのギリシャ起源論」です。今これを支持する建築史の研究者はまずいません。「日本はシルクロードの終着点」と強調したいのでしょうが、素人が書くからこういうことになるのです。
 
次に、連載の2回目で触れた、自由社版が菅原道真の名前を削った部分をもう少し詳しく見てみます。

<自由社版>894(寛平6)年に遣唐使が廃止された。その後は中国文化の強い影響を受けながらも日本の風土や習慣にも合わせた文化が育まれた。これを国風文化という(p56)
<扶桑社版>9世紀に入ると唐がおとろえたため、894(寛平6)年、菅原道真の意見を取り入れ、朝廷は遣唐使を廃止した。その後、日本の風土や生活に合った、優美で繊細な貴族文化が発達した。これを国風文化とよぶ。(p56)
 
自由社版は、国風文化を説明するのに「中国文化の強い影響を受けながら」とか、日本の風土や習慣「にも」合わせたと、独自性を否定しています。扶桑社版は非常に適切な記述です。
 
他の7種類の教科書も見てみましょう。
 
<日本書籍新社>遣唐使をやめた9世紀末ごろから、こうした唐風文化にかわって、日本の自然と生活にあった文化(国風文化)がおこった。
<旧大阪書籍>唐がおとろえ、遣唐使を停止した9世紀の終わりごろから、貴族のあいだでは、日本の風土や生活にかなった文化が生まれました。この時代の文化を国風文化といいます。
<清水書院>10世紀のはじめに唐がほろびると、日本では、唐の文化から離れた独自の政治や文化のあゆみがはじまった。貴族のあいだでは、日本の自然や生活にあった文化が生まれた。これを国風文化という。

 
以下は自由社版に若干近い記述です。
<帝国書院>摂関政治のころには、唐風の文化を日本の人々の生活や好みに合わせていこうとする考え方やくふうがなされ、独自の文化がみられるようになりました(国風文化)。
日本文教出版>9世紀の末になると、遣唐使は送られなくなった。このころから、貴族は唐風の文化を消化して、日本の風土や生活にあった国風の文化を生み出し、文化のようすは大きく変わった。
<東京書籍>平安時代半ばの貴族たちは、唐風の文化をふまえながらも、日本の風土や生活、日本人の感情に合った文化を生み出していきました。これを国風文化といい、摂関政治のころに最も栄えました。
<教育出版>9世紀の終わりごろ、唐がおとろえると、朝廷は遣唐使を取りやめました。このころから、貴族は、中国の文化をもとにしながら、日本の風土や生活にそった文化を発達させました(国風文化)。
 
中国文化の強い影響を受けながらとか、日本の風土や習慣「にも」合わせたと書いている教科書はありません。菅原道真の名前を削ったのが、うっかりミスではなく、かなり意図的であることが分かります。何より、自由社版だけが国風文化を太字(ゴチック体)にしていません。重要な用語として子供たちに教える気がないのです。
 
次は鎌倉文化。

<自由社版>鎌倉時代には、華美を押さえて洗練を好む宋の文化に影響され、簡素ななかにたくましさがあふれる寺院建築がもてはやされた。屋根や軒のささえに力強さをたたえる東大寺の南大門や京都・蓮華王院の三十三間堂は、その気風を今日に伝える代表的な例である、(p72~73)
<扶桑社版>(なし)
 
「押さえて」は「抑えて」の誤記です。「宋の文化に影響され」として、南大門と三十三間堂を同列に扱っていますが、南大門は宋の影響を受けた「大仏様」(だいぶつよう)という様式ですが、三十三間堂は「和様」(わよう)です。対比させるならともかく、「宋の文化に影響され」と一緒くたにするとは、どういう了見でしょう。だから素人は駄目なんです。ここで一句、
 
自由社版 そんなに支那が 好きですか
 
決定版は自由社版の市販本『日本人の歴史教科書』の表紙です。

読者の皆さんは、これを見て日本の文化を感じますか?
こんな仏像、日本で見たことありますか?
 
次回はこの「手」の驚くべき正体を詳しく報告します。
お楽しみに。
 
(つづく)

連載一覧
★安重根を取り上げ志士と称える自由社版教科書-扶桑社版からの改悪<上>
★自由社版教科書で菅原道真も乃木希典も消えた-扶桑社版からの改悪<中>
★特攻隊を「自殺攻撃」と貶める自由社版教科書-扶桑社版からの改悪<下>
★進化論から始まり部落史を詳述する自由社版教科書-扶桑社版からの改悪<4>
★自由社版 そんなに支那が 好きですか-扶桑社版からの改悪<5>
★スクープ!『日本人の歴史教科書』表紙はタイのガラクタ-扶桑社版からの改悪<6>
★「ポツダム宣言様ありがとう」の自由社版教科書-扶桑社版からの改悪<7>
★悪党のくせに(笑)悪党を書かない自由社版教科書-扶桑社版からの改悪<8>
★藤岡信勝会長、独禁法に違反してませんか?-扶桑社版からの改悪<9>
★乃木大将削除を開き直る「つくる会」理事-扶桑社版からの改悪<10>
★秀吉の朝鮮出兵を「侵略」と書く自由社版-扶桑社版からの改悪<11>
★自由社版「ラスコーの壁画」はニセ写真だ-扶桑社版からの改悪<12>
★みんなニコニコ古墳を造ったと描く自由社版-扶桑社版からの改悪<13>
★錦の御旗で威圧したと書く自由社版-扶桑社版からの改悪<14>
★ナチスのユダヤ人迫害を消した自由社版-扶桑社版からの改悪<15>
★編集趣意書から「太平洋戦争」史観の自由社版-扶桑社版からの改悪<16>
★石原慎太郎を載せても都教委は採択しないぞ自由社版-扶桑社版からの改悪<17>
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★進化論から始まり部落史を詳述する自由社版教科書-扶桑社版からの改悪<4>

扶桑社から絶縁された「新しい歴史教科書をつくる会」が自由社という出版社から出したコピー教科書が、コピーじゃない部分でことごとく扶桑社版を改悪しているという連載を3回お届けしました。
 
★安重根を取り上げ志士と称える自由社版教科書-扶桑社版からの改悪<上>
★自由社版教科書で菅原道真も乃木希典も消えた-扶桑社版からの改悪<中>
★特攻隊を「自殺攻撃」と貶める自由社版教科書-扶桑社版からの改悪<下>

 
それに対し、読者の皆様から整理しきれないほどのたくさんの情報提供をいただいています。中にはカラー刷りの詳細なレポートを送ってくださった方もいます。ありがとうございます。それらを参考に当分連載を続けます。
 
中学校の歴史教科書は、巻頭の特集などの後、本文が始まるわけですが、通常は人類の登場から書き出します。
 
ところが…。

<自由社版>太陽系に浮かぶ一つの星、地球。その誕生は46億年前のころである。ここにやがて生命がめばえ、次第に複雑な構造を持つ生物に進化し、ついに人類が出現した。(p12)
<扶桑社版>ユーラシア大陸の東の果ての海上に、弓状に連なる美しい緑の島々がある。それが、これから学習する歴史の舞台となる日本列島である。この列島に最初に住み着いた私たち日本人の祖先は、いったいどこから、どのようにしてやって来たのだろうか。(p16)

 
地球の誕生、そして単純な生物が人間に進化したというところから書き出しているのは、今夏の採択の対象となる中学校歴史教科書9冊では自由社だけです。私たち「神社右翼」としては高天原から書き始めてほしいのですが、学習指導要領がありますから、そうもいきません。その指導要領は「人類が出現し、やがて世界の古代文明が生まれたこと」から書くよう求めています。進化論は理科の時間です。
 
このことは3月3日のエントリーで触れましたが、自由社は扶桑社版の全82単元を踏襲しつつ、「01 人類の進化と祖先の登場」「83 戦前・戦後の昭和の文化」を加えて84単元にしています。単元構成をまねながら、あえて冒頭に進化の単元を加えたことに「進化論から書くぞ」という並々ならぬ決意を感じます。
 
しかし、進化論から書き始めるのは歴史教育に対する考え方が根本的に間違っていますし、「つくる会」を支持してきた宗教団体の理解も得られないでしょう。以前は進化論を取り上げる歴史教科書があって、小林よしのりさんが「新ゴーマニズム宣言」で「ダーウィンの進化論がマルクス主義、共産主義の進歩史観を子供に植えつけるのにぜひ必要だという教科書執筆者の下心がよくわかる」と批判しました。「つくる会」はこの漫画を抜き刷りにして配っていたのに、一体どうなってしまったのでしょう。
 
その3ページ後に…。

<自由社版>アメリカ先住民の祖先は、日本人の祖先が日本列島にやってきたように、同じシベリア地方南部から陸続きだったベーリング海峡を通って北米大陸に移住したと考えられている。近年の遺伝子の研究からも、アメリカ先住民の遺伝子が日本人をふくむ東北アジアの人々に非常に近いことがわかってきた。(p15)
<扶桑社版>(なし)

 
日本人とアメリカインディアンの祖先が同じだと強調することに、どんな教育上の狙いがあるのでしょう。
 
さて、問題です。

<自由社版>鎌倉幕府の滅亡から南北朝の争いにかけて、京都のまわりを戦場とした戦いがくりかえされたので、多くの人びとが難民となり、日雇いの仕事などが発生する京都の町に流れてきて、鴨川などの河原に住みつくようになった。こうした漂流者たちは放置された死体の埋葬や墓の造成、芸能などで暮らしを立てていた。京の町の人びとはこのような人たちを「」とよんでさげすんだが、その中から芸能の名手や石組みの名人などが現れるようになった。公家や上流武家のあいだにも、こうした人びとの能力は高く評価され、庭造りの名人、善阿弥のように歴史に名が記録される人物も出た。【の側注】河原は当時、けがれを捨てる場所と考えられていた。【善阿弥の側注】この当時、浄土宗、浄土真宗、時宗といった浄土教を信仰する人びと、特に技工や芸能で生活する人たちは、しばしば「阿弥」という名を用いた。(p82)
<扶桑社版>【枯山水の側注】庭づくりにはとよばれ差別されていた人々が力を発揮した。(p82)

 
これは、かなり驚きました。9種類の中学歴史教科書のうち、についてこれだけの分量で記述しているのは自由社だけです。について記述しない教科書(日本文教出版)もあるくらいですから、自由社の取り上げ方は「画期的」です。善阿弥の名前を書いているのは帝国書院と自由社だけです。
 
「つくる会」は「団体が裏検定を行って、採択に圧力をかけている」と批判してきました。その「裏検定」のチェック基準の9番目に「民衆文化(芸能、造園など)が、身分の低いとされてきた、散 所、のあいだからおこったことが記述されているか」というのがあります(つくる会HPより←クリック)。クリアしてます。おめでとうございます。
 
続いて江戸時代の「えた・」に関する記述です。

<自由社版>【きびしい差別の側注】差別の理由の一つは「死」に関する不吉なイメージや仏教思想の「殺生の禁」にあったといわれる。いずれにしても現代にあっては、まったくの迷信である。(p108)
<扶桑社版>(なし)

 
の側注にもありましたが、いわゆる「ケガレ意識」論です。差別の根底が「ケガレ意識」かどうかは部落史の研究者の間で議論があるようで、自由社以外では帝国書院と日本文教出版(旧大阪書籍)しか触れていません。「つくる会」が、というか中学校の歴史教科書がなぜここに深入りするのかは不明です。
 
少し専門的になりますが、被差別の起源はかつては「近世政治起源説」が主流でした。「江戸幕府が農民や町民の不満をそらすために、より低い身分を作った」という説明でしたが、今ではあまり言われなくなっています。扶桑社版は江戸時代のところで、 えた・とよばれる身分が「置かれた」と書いているため、「近世政治起源説」だとして部落史の研究者から批判を受けています。自由社版はその部分の記述は同じなのですが、「近世政治起源説」を薄めるため、近世のの前提として中世から被差別身分があったということを強調したのでしょうか…。まあ、そこまで深く考えているとも思えませんが。
 
関係で付け加えると、大正時代の宣言の一部抜粋(p187)で冒瀆が「冒涜」になっています(扶桑社版は「冒瀆」です)。これは連載の<中>で紹介した森鷗外が「森鴎外」になっているのと同様、非常に違和感があります。
 
団体が裏検定を行っていると言っていた「つくる会」が、なぜ部落史の記述を大幅に増やしたのか、「裏検定」を意識しているのか…真相は分かりません。
 
(つづく)

連載一覧
★安重根を取り上げ志士と称える自由社版教科書-扶桑社版からの改悪<上>
★自由社版教科書で菅原道真も乃木希典も消えた-扶桑社版からの改悪<中>
★特攻隊を「自殺攻撃」と貶める自由社版教科書-扶桑社版からの改悪<下>
★進化論から始まり部落史を詳述する自由社版教科書-扶桑社版からの改悪<4>
★自由社版 そんなに支那が 好きですか-扶桑社版からの改悪<5>
★スクープ!『日本人の歴史教科書』表紙はタイのガラクタ-扶桑社版からの改悪<6>
★「ポツダム宣言様ありがとう」の自由社版教科書-扶桑社版からの改悪<7>
★悪党のくせに(笑)悪党を書かない自由社版教科書-扶桑社版からの改悪<8>
★藤岡信勝会長、独禁法に違反してませんか?-扶桑社版からの改悪<9>
★乃木大将削除を開き直る「つくる会」理事-扶桑社版からの改悪<10>
★秀吉の朝鮮出兵を「侵略」と書く自由社版-扶桑社版からの改悪<11>
★自由社版「ラスコーの壁画」はニセ写真だ-扶桑社版からの改悪<12>
★みんなニコニコ古墳を造ったと描く自由社版-扶桑社版からの改悪<13>
★錦の御旗で威圧したと書く自由社版-扶桑社版からの改悪<14>
★ナチスのユダヤ人迫害を消した自由社版-扶桑社版からの改悪<15>
★編集趣意書から「太平洋戦争」史観の自由社版-扶桑社版からの改悪<16>
★石原慎太郎を載せても都教委は採択しないぞ自由社版-扶桑社版からの改悪<17>
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★特攻隊を「自殺攻撃」と貶める自由社版教科書-扶桑社版からの改悪<下>

前々回前回にたくさんの反響ありがとうございます。扶桑社から絶縁された「新しい歴史教科書をつくる会」が自由社という出版社から出したコピー教科書の、コピーじゃない部分を検証する連載の最終回です。今回は満州事変以降を取り上げます。
 

<自由社版>「満州、漢、朝鮮、日本、モンゴルの5つの民族が共存共栄する土地である」という意味。しかし、日本人は、そのリーダーが日本であるのは当然だと勝手に決めていた。日本との関係ばかりでなく各民族間の利害も対立することが多く、現実は理想にほど遠かった。(p197)
<扶桑社版>(なし)

 
満州事変のところの「五族協和」の側注です。1回目で紹介した三・一独立運動の記述に続いて、自虐ぶりに驚かされます。五族協和なんて理想にすぎなかったとわざわざ書いているのです。ここの執筆者に黄文雄さんの『満洲国は日本の植民地ではなかった』(ワック出版)を読むようお薦めします。あれ、黄文雄さんって、この自由社版教科書の市販本に寄稿してるじゃないですか。そこには満州国は「王道楽土」だったと書いてますよ。こっちを中学生に教えるべきじゃないでしょうか。
 

<自由社版>(鈴木貫太郎は)のちに首相となって太平洋戦争を終戦に導いた。(p198)
<扶桑社版>(なし)
 
<自由社版>太平洋戦争は最初どのように戦われたか?(p205)
<扶桑社版>(なし)
 
<自由社版>太平洋戦争(年表6)
<扶桑社版>大東亜(太平洋)戦争(年表5)

 
昭和16年12月12日の閣議決定通りの「大東亜戦争」または「大東亜戦争(太平洋戦争)」と表記しているのが扶桑社版の特徴ですが、自由社版では新たに書き加えた部分で「太平洋戦争」のみの表記とし、歴史年表も「太平洋戦争」に変えてしまいました。活字が小さく目立ちませんが、根本的な歴史認識にかかわる改悪です。
 

<自由社版>日本軍も、戦争中に侵攻した地域で、捕虜となった敵国の兵士や非武装の民間人に対しての不当な殺害や虐待をおこなって多大な惨禍をのこしている。(p214)
<扶桑社版>日本軍も、戦争中に侵攻した地域で、捕虜となった敵国の兵士や非武装の民間人に対して、不当な殺害や虐待を行った。(p214)

 
ここは4月15日のエントリーでも書きましたが、検定の結果、扶桑社版になかった「多大な惨禍をのこしている」を自由社が加えました。「多大な惨禍」とは普通、広島・長崎への原爆投下など何万人も犠牲者が出た出来事に使う言葉です。「捕虜となった敵国の兵士や非武装の民間人に対しての不当な殺害や虐待」で「多大な惨禍」はあり得るのでしょうか…。賢明な読者の皆さんはお分かりと思います。この記述からは「南京大虐殺」という言葉が透けて見える仕組みになっているのです。「のこしている」と現在進行形になっているのも「謝罪と補償」を求める口実になってしまいます。
 

<自由社版>4月、アメリカ軍は沖縄本島に上陸し、ついに陸上の戦いも日本の国土に及んだ。(p209)
<扶桑社版>4月、米軍は沖縄本島に上陸し、(p209)

 
「ついに陸上の戦いも日本の国土に及んだ」を加えたために基本的な史実を間違っています。大東亜戦争で日本の国土で最初に地上戦が行われたのは、言うまでもなく昭和20年2月16日に始まった硫黄島の戦いです。硫黄島は日本です。なぜ検定を通ったのでしょう。天皇皇后両陛下は平成6年、慰霊のため硫黄島を行幸啓遊ばされました。東京都も毎年、現地で戦没者追悼式を行っています。硫黄島を無視するようでは、東京都立の学校では採択されないのではないでしょうか。
 
島ついでに、千島列島最北端の占守(しゅむしゅ)島に関するミスを指摘します。大東亜戦争が終わった後の昭和20年8月18日にソ連軍が占守島に侵攻した「占守島の戦い」がありました。占守島を守っていた第5方面軍の司令官は、自由社版にも登場する樋口季一郎中将です。その占守島がp150の「樺太・千島交換条約」の地図に出てきます。

この地図で占守島と書いてあるところは幌筵(ぱらむしる)島です。扶桑社版はきちんと表示しています。「全千島返還」を訴える日本共産党に所属していた人が代表執筆者を務める教科書がこれでは困ります。
 

<自由社版>アメリカの軍艦に体当たりする特別攻撃機 1944年10月以降、追いつめられた日本軍は世界に例がなかった作戦を実行するようになった。爆弾を積んだ飛行機を乗員ごと敵の艦船に突入させる自殺攻撃で、「特別攻撃隊」(特攻)と名づけた。(p209)
<扶桑社版>出撃する特攻隊 戦場でも追いつめられた日本は、飛行機や潜航艇で敵艦に死を覚悟して体当たり攻撃を行う特別攻撃隊(特攻)をつくった。(p209)

 
なんと特攻隊を「自殺攻撃」と表現しています。「自殺攻撃」というのは英語の「suicide attack」の訳語であって、米軍が特攻隊のことを名付けた言葉です。アメリカ人は9・11のときも特攻隊にたとえましたし、イスラム過激派の自爆テロに対しても同じようなことを言っています。つまり「自殺攻撃」とはテロのことなのです。
 
自由社版教科書は、特攻隊員にこのような冷たい言葉を浴びせておいて、何が「日本人の誇り」なのでしょうか。
 
※「上・中・下」の予定でお送りしましたが、情報が相次いでいますので4回目以降を続行します。
情報募集メールアドレス
project-justice@mail.goo.ne.jp

連載一覧
★安重根を取り上げ志士と称える自由社版教科書-扶桑社版からの改悪<上>
★自由社版教科書で菅原道真も乃木希典も消えた-扶桑社版からの改悪<中>
★特攻隊を「自殺攻撃」と貶める自由社版教科書-扶桑社版からの改悪<下>
★進化論から始まり部落史を詳述する自由社版教科書-扶桑社版からの改悪<4>
★自由社版 そんなに支那が 好きですか-扶桑社版からの改悪<5>
★スクープ!『日本人の歴史教科書』表紙はタイのガラクタ-扶桑社版からの改悪<6>
★「ポツダム宣言様ありがとう」の自由社版教科書-扶桑社版からの改悪<7>
★悪党のくせに(笑)悪党を書かない自由社版教科書-扶桑社版からの改悪<8>
★藤岡信勝会長、独禁法に違反してませんか?-扶桑社版からの改悪<9>
★乃木大将削除を開き直る「つくる会」理事-扶桑社版からの改悪<10>
★秀吉の朝鮮出兵を「侵略」と書く自由社版-扶桑社版からの改悪<11>
★自由社版「ラスコーの壁画」はニセ写真だ-扶桑社版からの改悪<12>
★みんなニコニコ古墳を造ったと描く自由社版-扶桑社版からの改悪<13>
★錦の御旗で威圧したと書く自由社版-扶桑社版からの改悪<14>
★ナチスのユダヤ人迫害を消した自由社版-扶桑社版からの改悪<15>
★編集趣意書から「太平洋戦争」史観の自由社版-扶桑社版からの改悪<16>
★石原慎太郎を載せても都教委は採択しないぞ自由社版-扶桑社版からの改悪<17>
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★自由社版教科書で菅原道真も乃木希典も消えた-扶桑社版からの改悪<中>

扶桑社から絶縁された「新しい歴史教科書をつくる会」が自由社という出版社から出したコピー教科書の、コピーじゃない部分を検証する連載の2回目です。前回、自由社版が扶桑社版になかった安重根や李参平のような朝鮮人の名前を登場させていると紹介しましたが、一方で、扶桑社版に出ていた日本の大事な歴史上の人物を何人も削除しています。
 
扶桑社版が2度目の検定に合格した平成17年、読売新聞は5月26日付社説でこう書いて扶桑社を援護射撃しました。「現行の8社の中学歴史教科書のうち、扶桑社以外の7社の教科書には菅原道真、二宮尊徳、東郷平八郎といった人物についての記述がない」。扶桑社版だけに菅原道真の名前があることは初版本以来の「つくる会」のセールスポイントでした。
 
ところが…。

<自由社版>894(寛平6)年に遣唐使が廃止された。(p56)
<扶桑社版>9世紀に入ると唐がおとろえたため、894(寛平6)年、菅原道真の意見を取り入れ、朝廷は遣唐使を廃止した。(p56)

 
自由社版はあっさり菅原道真の名前を削ってしまいました。“支那から学ぶものなどもうありません”という進言が日本独自の文化を発展させたんじゃなかったのでしょうか。
 
それから、同じく扶桑社版にある阿倍仲麻呂(p48)、岡倉天心(p175)も自由社版では消されています。岡倉天心の名前が出てこないのは中学歴史教科書9冊中、自由社だけです。繰り返します。自由社版には、あの岡倉天心が載っていません。
 
岡倉天心が載るべき自由社版の「明治の文化の花開く」の単元(p175)には「大和田建樹が作詞した『鉄道唱歌』は」云々の記述があります。岡倉天心が載っていないのに、なぜ大和田建樹なのか…。文科省が公表した「著作編修関係者名簿」によると、自由社版の文化史の部分を執筆したのは松本謙一という人だそうです。どういう人か調べてみると、自由社の教科書編集室長だったそうです。学者でも教員でもなく、鉄道オタク雑誌の編集を長年やっていました。それで「鉄道唱歌」なのです。どうしても大和田建樹を載せるなら、「天に代りて不義を討つ…」の「日本陸軍」や「吉野を出でてうち向ふ…」の「四条畷」の作詞者だと書いてほしいです。「神社右翼」の私たちとしては。でもその前に岡倉天心だと思います。
 

<自由社版>森鴎外、島崎藤村らの文筆家はつぎつぎに作品を発表した。(p175)
<扶桑社版>また森鷗外は、ヨーロッパ文学を紹介し、(p174)

 
同じく松本謙一氏執筆の「明治の文化の花開く」の単元です。森鷗外をあえて「森鴎外」と表記しています。写真説明と「明治時代の文学者と代表作品」の表、歴史年表、さくいんも「森鴎外」になっています。かつてはJIS漢字に「鴎」しかなかったため、パソコンで打つと「森鴎外」になってしまうと、論議になっていましたが、活字媒体でわざわざ「森鴎外」にしているということは、何か特別な意味があるのでしょう。扶桑社も含めて中学校の歴史教科書で森鷗外を「森鴎外」と表記しているのは自由社だけです。おそらく、小学校や高校、国語なども含めても自由社だけでしょう。子供たちに「森鴎外」で覚えろというわけです。自由社が日本語をどう考えているかがよく分かります。
  
前回、自由社版の活字が小さくて読みづらいと書きましたが、「つくる会」の会報「史」5月号に松本謙一氏がその理由を書いていました。活字を小さくしても行間を開けたほうが乱視の子供も読みやすいと言っています。どう見ても読みづらいですが…。文化史担当ということは、阿倍仲麻呂が載るべき飛鳥・白鳳・天平文化のページ(p48)も菅原道真が載るべき国風文化のページ(p56)も松本謙一氏の執筆なのでしょうか。いずれにせよ、自由社版教科書が成功するか失敗するかのキーパーソンはこの松本謙一という人のようです。
 

<自由社版>女子英語塾(現在の津田塾大学)(p176)
<扶桑社版>女子英学塾(現在の津田塾大学)(p176)

 
津田梅子のコラムです。自由社教科書編集室長だった松本謙一さんにお尋ねしたいのですが、津田塾大学の前身が「女子英語塾」となっています。このページはここ以外そっくり扶桑社版をコピーしていますが、扶桑社版の「女子英学塾」をわざわざ「女子英語塾」に変更したのはなぜでしょうか? 津田塾大学のホームページでは「女子英学塾」になっていますが…。
 

<自由社版>世界の海戦史上、これほど完全な勝利を収めた例はなかった。(p171)
<扶桑社版>世界の海戦史上、これほど完全な勝利を収めた例はなかった。なお、同じく日露戦争で活躍した陸軍大将の乃木希典は、戦後、敗れたロシアの将軍の助命のためにさまざまな努力をいとわなかった。明治の日本にも、敗者の名誉を重んじる武士道は生きていたのである。(p169)

 
日本海海戦のコラムの最後にあった乃木大将に関する記述をすっぽり削除したため乃木大将の名前がなくなってしまいました。日本書籍新社の教科書にさえ載っている乃木大将を消すとは、さすが、乃木愚将論の司馬史観を持ち上げる藤岡信勝先生です。やってくれます。
 
自由社版の「昭和天皇のお言葉」というコラム(p227)はとてもいいと思います。でも「天皇制度の廃棄に賛成するかもしれない」という西尾幹二先生(昨年9月28日付エントリー参照)が執筆する教科書では読みたくありません。しかも参考文献には「半藤一利」「保阪正康」の名前があるではないですか。この2人に「秦郁彦」を加えた「3H」は西尾先生がいつも批判している歴史家ですよね。
 
(つづく)

連載一覧
★安重根を取り上げ志士と称える自由社版教科書-扶桑社版からの改悪<上>
★自由社版教科書で菅原道真も乃木希典も消えた-扶桑社版からの改悪<中>
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★進化論から始まり部落史を詳述する自由社版教科書-扶桑社版からの改悪<4>
★自由社版 そんなに支那が 好きですか-扶桑社版からの改悪<5>
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★悪党のくせに(笑)悪党を書かない自由社版教科書-扶桑社版からの改悪<8>
★藤岡信勝会長、独禁法に違反してませんか?-扶桑社版からの改悪<9>
★乃木大将削除を開き直る「つくる会」理事-扶桑社版からの改悪<10>
★秀吉の朝鮮出兵を「侵略」と書く自由社版-扶桑社版からの改悪<11>
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★みんなニコニコ古墳を造ったと描く自由社版-扶桑社版からの改悪<13>
★錦の御旗で威圧したと書く自由社版-扶桑社版からの改悪<14>
★ナチスのユダヤ人迫害を消した自由社版-扶桑社版からの改悪<15>
★編集趣意書から「太平洋戦争」史観の自由社版-扶桑社版からの改悪<16>
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★安重根を取り上げ志士と称える自由社版教科書-扶桑社版からの改悪<上>

扶桑社から絶縁された「新しい歴史教科書をつくる会」が扶桑社の了解なしに自由社という出版社から出した中学校歴史教科書『新編 新しい歴史教科書』が市販されました。扶桑社版との比較検討会を行ったところ、重大な改悪が行われていることが判明しましたので中間報告を緊急連載します。
 
まず自由社版の第一印象ですが、扶桑社版より活字が小さくなり読みづらくなっています。コラムなどでカラー刷りに埋没している字はますます読めません。ルビに至っては判読不能です。
 
そして内容ですが、巻頭の特集などを変えているため扶桑社版と若干印象は違いますが、ざっと見て8割以上が扶桑社版からのコピーです。しかし扶桑社版の記述をあえて変更した部分で歴史観にかかわる改悪が行われています。コピー教科書なのにわざわざ変更している部分ですから、意図を持った記述変更です。
 

<自由社版>韓国服の伊藤博文 伊藤は首相を引退後、1906年に日韓協約による初代韓国統監として赴任した。1909年満州視察の途中、ハルビン駅で韓国独立の志士、安重根に射殺された。(p172)
<扶桑社版>韓国服の伊藤博文 伊藤博文は1906年に初代韓国統監として赴任したが、1909年ハルビンで暗殺された。(p170)

 
「扶桑社版には安重根の名前が載っていない」と左翼から批判されていましたが、なんと自由社は素直に受け入れたのです。しかも「韓国独立の志士」と説明しています。ご丁寧に「アンジュングン」と朝鮮読みのルビが振ってあります。そして、名前を載せなかった扶桑社版が「暗殺」としていたのを、わざわざ「射殺」に変えています。
 
安重根が「志士」…朝鮮人から見ればそうでしょう。でも、伊藤博文は「維新の志士」でしょ? 坂本龍馬や高杉晋作を「志士」と書かずに、安重根だけが「志士」ですか。ほう、そうですか。
 
「暗殺」か「射殺」かについては、櫻井よしこさんのブログが自虐教科書を批判した文章を引用しておきます。「まず伊藤博文が『射殺』されたという記述のおかしさに気付く。政治的立場やイデオロギーの違いによる殺害行為は『暗殺』である。射殺と書けば、犯罪者やヤクザ同士の抗争と同じような意味合いになる。伊藤博文の死の位置づけとしては、政治的意味合いをこめて暗殺と書くべきではないか」
 
前回のエントリーで、自由社の役員が安重根を持ち上げていることに触れましたが、その思想は教科書記述にしっかり反映されていたわけです。これで、今夏の採択の対象となる中学校歴史教科書9冊のうち、安重根の名前が載っていないのは東京書籍と扶桑社だけになりました。東京書籍さえ載せていない安重根を、自由社は載せているのです。
 

<自由社版>朝鮮に出兵した大名たちは優れた技術者や学者などを捕虜にしてつれかえり、自分の領国の発展に利用した。その中には陶器をつくる陶工もいく人もいて、彼らによっての朝鮮の陶器技術が指導され、その地の特産物となった。鍋島家(佐賀)がつれかえった李参平もその一人だが、(p97)
<扶桑社版>(なし)

 
時代はさかのぼって、豊臣秀吉の朝鮮出兵のところに「陶祖 李参平」というコラムが登場しました。この場所は扶桑社版では「秀吉とフェリペ2世」のコラムになっています。扶桑社版も側注の有田焼の写真説明で陶工について触れていますが李参平の名前はありません。
 
藤岡信勝会長が親しい長谷川潤さんは「正論」平成9年9月号で、大阪書籍の教科書が李参平を取り上げていることについて次のように書いていました。「『李参平』なる聞きなれない人物名を採り上げ(『東書』も同様)、『陶祖李参平』なる写真を掲載している。そして、『秀吉の朝鮮侵略のさい、多くの朝鮮人陶工が日本に連行され、李参平もその一人でした』と、大東亜戦争中のいわゆる『朝鮮人強制連行』を連想させる意図的表記を行っている。この記述は、歴史を四百年溯及し、侵略者たる日本を断罪しつつも、文化的優越国たる朝鮮が、わが国に多大な恩恵を与え給うたかを生徒に印象づける効果を狙っている」。愛国的教育者、長谷川潤先生は自由社版を見て嘆いていることでしょう。
 
李参平の名前が聞きなれないというのは言い過ぎですが、既存の自虐教科書が、李参平を取り上げることによって「日本は昔から朝鮮人を強制連行していたんだ」と子供たちに刷り込む意図を持っていることは確かです。
 
そもそも李参平は自由社版(李参平の名前を出さない扶桑社版も似たようなものですが)が書くように「捕虜にしてつれかえり」つまり強制連行なのでしょうか? 呉善花さんは『新・地球日本史1』(西尾幹二責任編集)でこう書いています。「韓国では、略奪と『強制連行』という視点からしか朝鮮陶工の渡日を見ようとはしない。地元有田の伝承では、李参平は文禄・慶長の役で鍋島勢の道案内を務め、終戦にともない配下の陶工を引き連れて、直茂に従い日本へやって来たという」。西尾幹二さんって、自由社版の執筆者ですよね。
 
李参平たちは、朝鮮出兵の終結に伴い鍋島直茂から一緒に日本に来ないかと言われて自発的にやって来た。あるいは「道案内をして敵軍に協力した以上、朝鮮に残るわけにはいかないから一緒に日本行きたい」と懇願して来日したというのが史実なのではないですか? 違いますか? 『新・地球日本史』責任編集者の西尾幹二先生。フェリペ2世のことは西尾先生が『国民の歴史』以来こだわってきたことではないですか? 藤岡信勝先生はそこを李参平のコラムに差し替えてしまったのですよ、西尾幹二先生。
 
安重根が志士であるとか、李参平が強制連行されたというのは、明らかに朝鮮の歴史観です!
 

<自由社版>平壌(現在のピョンヤン)付近を中心とした地域。(p32)
<扶桑社版>現在の平壌(ピョンヤン)付近を中心とした地域。(p32)

 
古代朝鮮の楽浪郡の側注です。平壌がピョンヤンになったんじゃなくて、平壌の朝鮮語読みがピョンヤンです。扶桑社版の正しい表記をわざわざ変えたのはなぜでしょうか? 漢字を使わない国に配慮しているのでしょうか? それならいっそのことハングル(チョソングルチャ)で평양と書いたらどうでしょうか。
 

<自由社版>最初は非暴力の集会として計画されたが次第に大規模になったため軍隊までが出動したことでかえって衝突がはじまり、民衆に多くの死傷者が出た。日本国内でも吉野作造、宮崎滔天など、「朝鮮民衆の当然の声」として、この運動に理解を示す知識人があった。(p185)
<扶桑社版>(なし)

 
三・一独立運動の側注です。目を疑いました。朝鮮総督府が武力弾圧したから被害が大きくなったという因果関係を書いている教科書は自虐教科書7冊にも見当たりません。三・一独立運動に理解を示す日本人がいたと書いているのは旧大阪書籍(日本文教出版が継承)だけです。宮崎滔天は辛亥革命を支援した立派な人物かもしれませんが、中学生に何の説明もなくここで名前を出してどうするのでしょう。吉野作造も次のページを見ないと学者だと分かりません。教材の構成としておかしいのですが、そもそも、いったいなぜ三・一独立運動にわざわざこんな説明を加える必要があるのでしょうか。
 
前回までに書いたように「つくる会」一部首脳と自由社は朝鮮半島とコネクションがあるようです。そして当然の帰結として、教科書記述でも朝鮮(韓国、北朝鮮)に配慮しているのでしょうか。
 
自由社版は安重根や李参平のような朝鮮人の名前を登場させる一方で、扶桑社版に出ていた日本の大事な歴史上の人物を何人も削除しています。次回はそれを報告します。
 
(つづく)
 
連載一覧
★安重根を取り上げ志士と称える自由社版教科書-扶桑社版からの改悪<上>
★自由社版教科書で菅原道真も乃木希典も消えた-扶桑社版からの改悪<中>
★特攻隊を「自殺攻撃」と貶める自由社版教科書-扶桑社版からの改悪<下>
★進化論から始まり部落史を詳述する自由社版教科書-扶桑社版からの改悪<4>
★自由社版 そんなに支那が 好きですか-扶桑社版からの改悪<5>
★スクープ!『日本人の歴史教科書』表紙はタイのガラクタ-扶桑社版からの改悪<6>
★「ポツダム宣言様ありがとう」の自由社版教科書-扶桑社版からの改悪<7>
★悪党のくせに(笑)悪党を書かない自由社版教科書-扶桑社版からの改悪<8>
★藤岡信勝会長、独禁法に違反してませんか?-扶桑社版からの改悪<9>
★乃木大将削除を開き直る「つくる会」理事-扶桑社版からの改悪<10>
★秀吉の朝鮮出兵を「侵略」と書く自由社版-扶桑社版からの改悪<11>
★自由社版「ラスコーの壁画」はニセ写真だ-扶桑社版からの改悪<12>
★みんなニコニコ古墳を造ったと描く自由社版-扶桑社版からの改悪<13>
★錦の御旗で威圧したと書く自由社版-扶桑社版からの改悪<14>
★ナチスのユダヤ人迫害を消した自由社版-扶桑社版からの改悪<15>
★編集趣意書から「太平洋戦争」史観の自由社版-扶桑社版からの改悪<16>
★石原慎太郎を載せても都教委は採択しないぞ自由社版-扶桑社版からの改悪<17>
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