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★つくる会発行元の本社は石原萠記社長の自宅!


「新しい歴史教科書をつくる会」の新しい発行元「自由社」(石原萠記社長)はどんな会社なのか、公表されている資料で調べようと思い、靖國神社に参拝した後、九段下の東京法務局本局を訪れました。
本局の法人登記の管轄は千代田区、中央区、文京区、小笠原村です。自由社の本社は「東京都文京区水道2-6-3日本出版協会ビル」ですから、ここに登記簿があるはずです。
 
プロジェクトJメンバー「申請書類です。よろしくお願いします」
(4分後)
法務局職員「263番の方」
プロジェクトJメンバー「はい」
法務局職員「自由社という法人はうちの管内にはありません」
プロジェクトJメンバー「そんなはずありませんわ。発行している雑誌に東京都文京区水道2-6-3日本出版協会ビルとありますから、本社は文京区です」
法務局職員「でもないんですよ。どこの区か分かればここでも調べられますけど」
プロジェクトJメンバー「まったく手がかりはありません。出直してきますわ。印紙代1000円返してくださいね」
法務局職員「換金はできません。はがしてまた使ってください」
 
というわけで、私たちは東京、神奈川の法務局出張所を手分けして訪れました。
そして3週間後のきのう。あったのです。練馬出張所に。
自由社の登記上の本店(本社)は、石原萠記社長の自宅である練馬区谷原●-●-●の2階建て住宅なのです。
 
役員は次の通りです。
 
代表取締役 石原萠記
取  締  役 有馬克彦(全国栄養士養成施設協会常務理事)
取  締  役 加瀬英明(外交評論家)
監  査  役 石原信子(石原萠記社長の妻)

 
古い登記簿も調べると、あの親ソ連の親玉で社会党衆議院議員だった松前重義先生も死去まで取締役でした。
 
実態と違う場所に登記上の本社があっても違法ではありません。例えば日産自動車の本社は東京・銀座ですが、登記上は横浜です。
 
でも
 
・社長の自宅を登記上の本社にしている
・社長の奥さんが監査役に就任している
 
こういう教科書会社はどこにも存在しません。

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★昭和天皇が戦争責任をとらない限り靖国問題は続く-byつくる会発行元


「新しい歴史教科書をつくる会」の新しい発行元「自由社」(石原萠記社長)の月刊誌「自由」の7月号の巻頭言です。巻頭言は石原萠記社長の執筆です(ついでに言うと、お年寄り言葉の「週刊誌記者匿名座談会」も石原萠記さんが1人でお書きになっているそうです)。

あっそれから、城島了(じょうじま・おえる)という人の連載が載っていますが、これは前「諸君!」編集長、仙頭寿顕君の社外アルバイト原稿です。文藝春秋社は承知しているのでしょうか?
 
石原萠記さんの天皇論、靖国論は取り上げるのが馬鹿馬鹿しくなってきましたが、記録のため引用します。石原萠記さんは先帝陛下が戦争責任をとらなかったことが、どうしても許せないのです。軍隊でよほど嫌な思いをしたのでしょうか。
 
<この政治不信を速やかに解消するには、サミット後、解散・総選挙を実施する以外ない。加えてこの際、国内はもとより諸国から疑念視されている靖国、憲法九条、天皇制度などに関し、明確な解釈を示して欲しい。特に靖国問題は、九条、天皇制度にも関わるので、明確にすべきであろう>
<日本の場合は明治以降の伝統祭祀を司ってきた名家が、政治に関与し、軍事国家の象徴として利用されたため、ぞの名家の紋章に飾られた〝社〟に参ずることが問題になっているのである。それ故に参ずる場を国立の〝社〟にする以外、誤解を円満裡に解決する道はないのではないかといわれているのである>
<天皇の神格は否定され、天皇は戦犯一号から除外され、〝象徴天皇〟と位置づけられたのであるが、戦前軍国主義の長・天皇が、戦後も天皇制度の象徴となり存在し、その方のかかわる靖国の社は、戦前と変わらぬまま、亡き軍人を祀っているため、他国の人々は変わらぬ軍国主義のシンボルと見る。このことを日本人は忘れて〝靖国〟を論じてはならない>
 
 
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★「インチキ保守」「偽装保守」を見分ける本


中西輝政さんと八木秀次さんの対談本『保守はいま何をすべきか 日本国家を回復するために』(PHP研究所)が出版されました。
 
インチキ保守を見分ける本です。内容は、國民新聞平成20年7月25日号に載った書評が分かりやすいです↓
 
 真正保守の二人の学者が「再び〝保守〟が立ち上がるために行った『作戦会議』の記録」(八木氏あとがき)である。ポイントを三点に絞ってみる。
 第一は、左翼から歴史論争を仕掛けられると、非常に過度な攻撃性を示し、一般国民に理解されにくいマニアックな反論だけに終始する態度は、保守ではなく左翼の裏返しに過ぎないという指摘だ。「本来保守というものは、ふくよかなものであるはずです」との認識で両氏は一致する。
 第二は、それらの人々の中に左翼からの転向組がいるということである。「そういう『改宗派』は、まずはじめは『ウソを教えやがって』と恨み骨髄になってルサンチマン感情のハケ口を求めてしまう」(中西氏)
 最後に最も大事な点は、それらの人々の多くは皇室や神道を語らない「自称保守」「左翼保守」であるという実態だ。
 「転向しきれていない転向組」の問題にしても「天皇抜き保守」の問題にしても、「新しい歴史教科書」騒動を想起させられる。新しい出版元「自由社」の石原萠記社長が「自由主義者」を名乗りながら、思想的にも人脈的にも社会主義者であり、「昭和天皇に戦争責任あり」との歴史認識を公言している。
 保守運動のこうした悲劇を繰り返さず、真正保守と自称保守を見分けるための必読書だといえよう。
評・徳光正(公立中学校教諭)
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★渡部昇一さんは「つくる会」ではなくフジサンケイ教科書を支持しています


扶桑社のPR誌「虹」に渡部昇一先生(教科書改善の会世話人)の巻頭言が載りました。

「虹」扶桑社通信Vol.7平成20年夏号
巻頭言 義務教育の歴史は「虹」を見せること 上智大学名誉教授 渡部昇一

「歴史というものは、虹のようなものである。それは、近くに寄って、くわしく見れば見えるというものではない。近くに寄れば、その正体は水滴にすぎない」
 これはオーウェン・バーフィールド(1898 ~1997)というイギリスの言語学者の言葉です。私はこの言葉と出合った瞬間、歴史に関して抱いていたモヤモヤが、一気に解消したのを覚えています。
 虹は、見る人から一定の距離と角度をおいたときに初めてくっきりと見ることができます。逆にいえば、その距離と角度が適当でなければ虹は見えないのです。
 この場合の水滴とは、個々の歴史資料や歴史的事実といったもので、それらは無数にあるといってもいいでしょう。でも、そうしたものをいくら集めてみても、観察者の立ち位置が悪ければ、虹は見えてこないのです。
 これを歴史教科書の役割という観点でいえば、少なくとも義務教育レベルの歴史は、きれいな虹が見える位置に子供たちを導くことが大事だといえるでしょう。
 ある歴史的事件も、国が異なれば、その虹のかかり方は変わってくるのです。
 例えば、アメリカにかかる虹とは何かと考えたとき、アメリカ人たちは、子供たちに「自由と民主主義」という虹を見せようとしているのではないでしょうか。歴史的事実の中には、インディアンの殺害やその土地の収奪、黒人奴隷の酷使というようなことも
あるのですが、そうしたことは、アメリカの義務教育の虹には入っていないのです。
 一方、イギリスはどうかといえば、「栄光ある王室と議会制民主主義」という虹を子供たちのために描いてみせるのです。植民地支配という歴史的事実の暗部はイギリスの虹の中には入っていないのです。
 なぜそうなのかといえば、国民がきれいな虹を共同のイメージとして意識し、共有することができなくなれば、国がバラバラになってしまうからです。
 戦後の日本では、そうした常識が失われてしまいました。歴史的事実という水滴を、それが空中の水滴ならまだしも、採取先もわからない泥水をさらってきて、それで日本を罵るというようなことをやってきたのです。これでは健全な子供たちが育つはずがありません。反省すべきことがあれば、虹を見てもらった後で教えていけばいいのです。
 歴史的事実と歴史は区別しなければなりません。歴史教科書はその前提のもとで作られるべきです。
育鵬社版の教科書には、ぜひそのことを期待しています。

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