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★自由社は2つある-文科省さん、類似商号にご用心


昨年7月29日のエントリーで、「新しい歴史教科書をつくる会」の新しい発行元「自由社」(石原萠記社長)の登記上の本店が石原社長の自宅(練馬区谷原●-●-●)で、監査役は石原社長の妻…そんな教科書会社どこにもない、と書きました。そのことで先日、「永田町関係者」とおっしゃる方から情報募集メールアドレスに連絡をいただきました。「ブログで指摘されたためか、あわてて9月12日に文京区水道2-6-3を本店に同じ自由社という名称の会社が設立されています。社長は加瀬英明氏」「ところが石原萠記社長の従来の自由社も解散せずに並立しています」と、登記簿が添付されていました。
 
驚いて私たちも登記簿を取ってみました。確かに 自由社(石原萠記社長)と自由社(加瀬英明社長)が両方存在しています(便宜上、前者を自由社A、後者を自由社Bと呼ぶこととします)。役員は次の通りです。
 
自由社A 登記上の本店=東京都練馬区谷原●-●-● 昭和48年10月20日設立
代表取締役 石原萠記(日本出版協会理事長、日本対外文化協会副会長)
取  締  役 有馬克彦(全国栄養士養成施設協会常務理事、日本出版協会理事)
取  締  役 加瀬英明(外交評論家、自由社B社長)
監  査  役 石原信子(石原萠記社長の妻)
 
自由社B 登記上の本店=東京都文京区水道2-6-3 平成20年9月12日設立
代表取締役 加瀬英明(外交評論家、自由社A取締役)
取  締  役 植田剛彦(著書で慰安婦強制連行説を主張する親韓派ジャーナリスト)
取  締  役 松本謙一(前「つくる会」東京支部長。シンポで小林よしのりさんに野次を飛ばした
        男)
取  締  役 石井弘子(作家の石井竜生の妻、井原まなみの本名。朝日新聞社の懸賞論文で
        準入選)
監  査  役 三堀  清(弁護士、パチンコチェーンストア協会の法律分野アドバイザー)
 
これは一体どういうことでしょうか。登記上の本店を石原社長の自宅から実態に合わせて変更するなら移転登記すればいいだけの話で、新たに会社を設立する必要はありません。自由社Aが倒産して新社を設立したのかというと、自由者Aは登記されたままです。
 
商業登記法27条は
商号の登記は、その商号が他人の既に登記した商号と同一であり、かつ、その営業所(会社にあつては、本店。以下この条において同じ。)の所在場所が当該他人の商号の登記に係る営業所の所在場所と同一であるときは、することができない。
と定めています。
 
要するに、同じ場所に同じ名前の会社を登記できないということです。自由社Aの登記上の本店は練馬区谷原の石原萠記社長の自宅ですが、石原社長の自宅はオフィスとして機能しておらず会社は文京区水道2-6-3にあるのですから、自由社Bを文京区水道2-6-3に設立するのは、違法ではないにせよ法の趣旨には反していることになります。
 
なぜ法律が同じ場所に同じ名前の会社を作ることを禁じているかというと、説明するまでもなく、その会社と取引や契約をするときに相手が確定できないからです。「永田町関係者」さんは、自由社A自由社Bの両方の役員になっている加瀬英明氏について「経営者としてのモラルを問いたくなります」と書いてこられましたが、同感です。
 
別に自由社A自由社Bの取引先のことなど私たちの知ったことではありませんが、問題は教科書検定です。つくる会Webニュースによると、自由社Aは昨年4月17日に中学校歴史教科書を検定申請しています。通常ならこの3月下旬か4月上旬に結果が発表されますから、今が大詰めの段階とみられます。
 
自由社Bは昨年9月設立ですから、検定申請したのは自由社Aなのですが、自由社Bの登記簿を見ると、目的欄に「教科書並びに教育図書の出版及び販売」とありますから、教科書を発行するのは自由社Bなのでしょうか。しかし、つくる会が平成19年9月9日に発表した「日本国民へのアピール」には「伝統ある保守系の出版社・自由社が名乗りをあげ、つくる会の教科書を発行していただけることとなりました」とありますから、教科書を出すのは昨年9月にできたばかりで伝統のない自由社Bではないはずです。
 
頭が混乱してしまいます。文部科学省は自由社A自由社Bのいったいどちらと検定のやり取りをしているのでしょうか。まさか、自由社Aからの検定申請を審議していたら、知らない間に相手が自由社Bにすり替わっていたということはないでしょうね。こんな不可解なことをしている自由社A自由社Bは教科書発行者の要件を満たしているのでしょうか…。
 
文科省だけではありません。藤岡信勝さんや西尾幹二さんたちが福本修也弁護士を代理人にして扶桑社を訴えている出版差し止め訴訟で、裁判官は自由社Bの存在を知っているのでしょうか?
 
関係者の方、どういう事情なのか、情報募集メールアドレスproject-justice@mail.goo.ne.jpにこっそり連絡してください。それから、法律や経営に詳しい方、一般論として、こういう手続きを取る奴は何を企んでいるのか、解説していただければ幸いです。「永田町関係者」さん、ありがとうございました。今後も連絡を取り合いましょう。
  
自由社Bの役員の顔ぶれを見て驚いた方も多いと思います。その素性を次回以降お伝えします。
 
※日本教育再生機構を騙って、沖縄の少女をレイプせよとか教科書関係者の身の安全を保障しないなどと脅した脅迫事件について、たくさんの情報ありがとうございます。引き続き募集しています。脅迫状を受け取った方、犯人について知っている方は情報募集メールアドレス(project-justice@mail.goo.ne.jp)にご連絡いただければ幸いです。まだ被害届や告訴状を出していない方は警視庁に提出してください。

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★日本出版協会(つくる会の移転先)の赤くてグレーな歴史


「新しい歴史教科書をつくる会」本部の移転先のことを1月27日のエントリーで「『日本出版協会』という聞いたことのない組織」と書いたところ、年配の読者の方から「日本出版協会は今でこそ胡散臭い組織に落ちぶれたが、70年安保のころは左翼系書評紙『日本読書新聞』の発行元として有名だった左翼的団体だから、全共闘世代なら名前を知っている人も多いはずだ」というお叱りのメールをいただきました。そこで今回は、読者のご協力と「公的な組織」からの情報を元に「日本出版協会の歴史」を掲載します。
 
■GHQの手先
 
日本出版協会の前身は、大東亜戦争開戦前年の昭和15年12月に発足した出版界の国家統制団体「日本出版文化協会」です。18年3月には国家総動員法に基づく出版事業令によって、権限を強めた「日本出版会」に改組されました。
 
終戦後の昭和20年10月に「日本出版協会」となり(21年5月、社団法人登記)、戦争に協力していた立場から一転して、GHQの手先となって出版界の戦争責任追及を行います。21年1月に講談社、主婦之友社、旺文社など7社を戦犯出版社として追放する決議を行いました(このあたりのことは大阪国際大学名誉教授、岡本幸治先生の『骨抜きにされた日本人―検閲、自虐、そして迎合の戦後史』PHP研究所に詳しく書かれています)。

これらの動きに反発した21社が日本出版協会を脱退して、この年の4月に「日本自由出版協会」(後の全国出版協会、日本書籍出版協会)を結成し、加盟社は増えて日本出版協会は少数派になります(看板は持っているけど少数派に転落したというのは「つくる会」と同じです)。
 
■左翼書評紙の発行
 
さて、業界団体としての実体を失った日本出版協会ですが、昭和12年創刊の「日本読書新聞」の発行は続けました。紙面は左翼的で、39年3月9日号では義宮さま(常陸宮さま)と津軽華子さんのご婚約をめぐって「この御両人、どう見ても性的発育不能者。あのほうの夜のことを心配しますね」というとんでもない不敬記事を掲載して民族派から激しい抗議を受けました。
 
そして、60年安保から70年安保にかけて左翼思想界を扇動し、新左翼(極左暴力集団)の学生から支持されます。「新聞の中の新聞、出版社の中の出版社といわれ、大学祭のスローガンか学生運動の立て看板のような見出しで、左翼学生や文学青年を魅了してきた」(佐野真一『業界紙諸君!』ちくま文庫)。70年安保前後には公称14万部発行した年もあったそうです。
 
■総会屋の介入
 
しかし連合赤軍事件以降、部数が急減。昭和50年には大物総会屋の上野国雄氏が理事長に就任します。日本出版協会と総会屋の関係は54年4月24日の衆議院法務委員会でも取り上げられ、社会党の議員が「総会屋の上野氏が占拠しているのは日本出版協会。去年、上野氏は死んだわけでありますが、総会屋がそういう公益法人に顔を出している」と政府を追及しました(国会会議録検索より)。
 
日本読書新聞は昭和59年12月で休刊となります。原因は日本出版協会事務局長による使い込みです。協会が社屋を建て替えた際(今「つくる会」が入っている建物です)、1600万円の使途不明金が発覚し、Tという事務局長が使い込んでいたことが分かったのです。横領の総額は3500万円以上でした(59年12月22日付日本経済新聞)。
 
上野氏の死後も総会屋による支配が続きます。昭和60年から1年余りの間、「日本読書新聞を発展的に継承させた」という名目で「Book World」という月刊誌が発行されましたが、その誌面は「出版社の広告は全く見当たらず、それに代わって、トヨタ、日産など、大企業の広告が随所にはさまれており、見る人が見れば、総会屋系の雑誌であることが容易に読みとれる」(『業界紙諸君!』)。この当時の日本出版協会専務理事Y氏は平成2年に大手工作機械メーカーをめぐる利益供与事件で逮捕されました。
 
冒頭の写真は「噂の真相」平成元年10月号の記事です。日本出版協会に総会屋が入り込んでいて、海部俊樹氏(後の首相)が名目上の会長になっていたが、職員はその事実を知らないし、海部事務所も困惑している―といった内容です。そのほかにもなかなか興味深いことが書いてあります(全文読みたい方は電子書籍←クリック で購入できます)。
 
■K前理事長と石原理事長
 
日本出版協会に入り込んだ闇の勢力は登記簿で簡単に確認できます。大物総会屋で左翼系雑誌「創」の最初のオーナーであるF氏の名前もありますが、一番有名なのは理事長を務めたK氏でしょう。K氏は長年ブラックジャーナリズムの世界に身を置き、「政界ジープ」という国会情報紙を経営していた昭和31年、「暴露記事を書くぞ」と言って野村証券など一流企業から計6400万円を脅し取って逮捕されています(「政界ジープ事件」)。43年に摘発された「日通事件」では日本通運側の意を受けて政治家にわいろを渡しています(同年6月25日付東京新聞には「国会に巣食うダニ」という見出しが躍っています)。53年に発覚した航空機汚職「ダグラス・グラマン事件」でも、裏金の仲介役としてマスコミや国会で名前が出ました。
 
K氏は平成11年9月に退任。所管官庁である文化庁の意向もあり、翌12年6月から今の石原萠記氏を理事長とする「新体制」になりました。しかし現在の理事のうち石原理事長を含む3人の理事就任時期は下記の通りです。
 
・石原萠記理事長(自由社社長)平成9年6月
・柳沢徳次専務理事(日朝文化交流協会副理事長)平成2年6月
・山田晃理事(株式情報誌「産業と経済」会長)平成元年6月
 
この3人は「国会に巣食うダニ」((C)東京新聞)と呼ばれたK氏と一緒に日本出版協会を運営していたわけで、完全に血が入れ替わったわけではないのです(10年間K氏と一緒だった山田晃理事が出している「産業と経済」という雑誌←クリック は「手堅く儲ける戦略株式情報誌」だそうです。今度読んでみたいと思います)。
 
「つくる会」が机を置かせてもらっている日本出版協会が以上のような歴史を持つ団体だということは、所轄の大塚警察署は当然認識しています。しかし「つくる会」は自分たちが警備されるべき対象だと勘違いし、「前の事務所は過激派に放火されて本富士署にお世話になりました。新しい事務所も警戒よろしくお願いします」と要請しているのでしょうか。警察も大変だなあと同情します。
 
大丈夫ですよ。日本出版協会の中に入っていれば、左翼も闇の勢力も襲ってきませんよ。
 
※日本教育再生機構を騙って、沖縄の少女をレイプせよとか教科書関係者の身の安全を保障しないなどと脅した脅迫事件について、たくさんの情報ありがとうございます。引き続き募集しています。脅迫状を受け取った方、犯人について知っている方は下記の情報募集メールアドレスにご連絡いただければ幸いです。まだ被害届や告訴状を出していない方は警視庁に提出してください。
project-justice@mail.goo.ne.jp

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