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★朝敵・西尾幹二「天皇の存在必要ない」


「私は日常生活のうえで、天皇の存在を必要としていません。それは普通のことだと思います。自分を陛下の臣下だと意識したこともありません」。新しい歴史教科書をつくる会の元会長で、会を離脱したと何度も表明しながら影響力を行使し続けている西尾幹二さんは、最近出した本『皇太子さまへの御忠言』(ワック)の「まえがき」をそう書き始めました。西尾さんは「撃論ムック」という雑誌の7月18日発行号でも同じようなことを書いています。
 
『皇太子さまへの御忠言』は西尾さんが月刊誌「WiLL」の5、6、8、9月号に書いた「皇太子さまに敢えて御忠言申し上げます」を収録したものです。西尾さんはその中で、皇太子妃殿下を「獅子身中の虫」「反日左翼」呼ばわりした上で「天皇制度の廃棄に賛成するかもしれない」と書いて7月号で旧宮家の竹田恒泰さんから「西尾幹二さんに敢えて注告します これでは『朝敵』といわれても…」という見出しで論破され、正統保守派から批判を浴びています。
 
皇室の「廃棄」に将来賛否を表明するという発想は、正統保守にはありません。もちろんその際には「廃棄」に賛成するかもしれないと想像することもありません。西尾さんの言葉は日本共産党綱領にある「天皇の制度は憲法上の制度であり、その存廃は、将来、情勢が熟したときに、国民の総意によって解決されるべきものである」という意向とシンクロしています。もっとも日本共産党でさえ、「天皇制の廃止」を謳ったことはありますが、ごみを連想させる「廃棄」という言葉を使ったことはありません。
 
断っておきますが、私たちは皇太子妃殿下の宮中祭祀へのお考えなど皇太子同妃両殿下をめぐる出来事には重大な懸念を抱いています。しかしながら、それを語る際には皇族への敬愛と人間としての思いやりが必要であると同時に、皇室の弥栄を祈っての議論でなくてはならないと考えます。「天皇の存在を必要としていません」とか「天皇制度の廃棄に賛成するかもしれない」と公言する左翼もどきに「御忠言」の資格はありません。
 
竹田恒泰さんと八木秀次さんの対談本『皇統保守』(PHP研究所)で八木さんはこう指摘しています。
 
<西尾氏は元々、皇室に関心のない人です。尊崇の念もほとんどない。むしろそれを誇ってさえいた。そのあたりを福田和也氏(慶應義塾大学教授、文芸評論家)から「天皇抜きのナショナリズム」と揶揄されたこともありました。にもかかわらず、今回は尊崇の念があるかのように装って書いている。しかし、その仮面の下に不敬な本音が見え隠れしている。そこを竹田さんに鋭く突かれたわけです>
 
西尾幹二さんが書いているのは、妃殿下が「反日左翼分子」であることは明白であり、その「反日左翼分子」に皇室が乗っ取られたというストーリーです。八木さんはこう言います。
 
<西尾さんの論法は、私も当事者の一人であり、言いにくいのですが、「新しい歴史教科書をつくる会」の内紛の際とまったく同じもので、その意味では私には既視観がありました。竹田さんの表現を借りれば、「妄想に始まり妄想に終わる」ということなのですが、点と点を結びつけて壮大なストーリーをつくる。それぞれの点は正しい場合もあり、そうでない場合もあるが、ストーリー全体は妄想にすぎない。「つくる会」騒動のときも、まったく同じでした。会の中に巣食ったガン細胞があり、それが「つくる会」を乗っ取ろうとした。だからそれを切除しなければならない、と。「ガン細胞」って、「八木一派」のことですが(笑)。私なども中国共産党や『朝日新聞』と通謀している反日左翼呼ばわりされました。もちろんまったく根拠のないことなのですが、西尾さんは文章がうまいので一定の説得力を持ち、困ったことに信じてしまう人が出てくる(笑)。この皇室論も、まさに同じ論法なんです。「乗っ取り」説です。だから「西尾さんが何を言おうと放っておけ、もう西尾さんにはかかわるな」というのが、(『WiLL』編集部を除く)言論界の了解事項になっているんです。触ると、すぐにひどい言葉で誹謗中傷される。事実、竹田さんは早速、“西尾応援団”から総攻撃を受けています>
 
西尾幹二さんは本の中で「天皇家の人々は天皇制度という船の乗客」「船酔いをして乗っていられない個人は下船していただく以外にないだろう」「皇太子ご夫妻に慎重さと努力が足りないことは明らかで、今のままで今後も何も変わらないとしたら、『公』は無視され、国民の心は天皇家から離れていくであろう」などと脅迫しています。
 
この言い草はどこかで見たことがあると思ったら、つくる会の新しい発行元「自由社」の石原萠記社長の文章(「自由」平成19年10月号。単行本『歌謡の変遷にみる天皇制度の変化-明治維新から昭和の終焉まで』にも収録)です。「お二人には公私を区別する心がない。全生活を日本の象徴として保証されている以上、行動に対する制約があるのは当然であり、それを人格否定、人権侵害というのであれば、その地位を辞する以外ない。生活を保証され気儘に生きられる“職”など、この世にはない」「失礼ながら、徳仁親王が“妻”を愛する思いやりは微笑ましく、それに甘えている妃の態度は、平凡な市井の主婦としては許されようが、一国の祭祀宗家を継ぐ人として国民の尊敬をうるにはふさわしくない」。自由社がつくる会の発行元に決まったのは、西尾幹二さんと石原萠記さんの「不敬つながり」の縁なのでしょうか。
 
竹田恒泰さんは『皇統保守』で、西尾幹二さんのことを次のように的確に表現しています。
 
<結局、「保守」ではない。「保守のように見える保守でない保守」なんですね>
 
つくる会の内紛とその後のストーカー行為の底流が見えてきました。西尾幹二さんは八木秀次さんや日本会議など正統保守を「宗教右翼」「神社右翼」と罵倒しましたが、「宗教右翼」「神社右翼」で何が悪いのでしょうか? 西尾さんや藤岡信勝さんら現在のつくる会首脳は「ただの反共」「天皇なき保守」ではないですか。だから、社会主義者で天皇嫌いの石原萠記さんの会社から教科書を検定申請したり天皇陛下より文鮮明を上位に置く反日・親北朝鮮集団の統一教会を保守だと勘違いして(あるいは積極的に共鳴して)世界日報に登場したり統一教会の弁護士を使って八木さんを訴えたりしているのです。
 
つくる会に残っている会員たちも、何が起きているのかそろそろ気付き始めていると思います。
 
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