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★祝 安倍晋三自民党総裁誕生

安倍晋三先生の自由民主党総裁就任を心よりお慶び申し上げます。教育再生に精通された安倍先生の総裁就任は喜ばしい限りです。「美しい国」「強い日本」のためにご尽力いただけますよう祈念いたします。


平成二十四年九月二十六日

プロジェクトJ


※写真は2月21日の『13歳からの道徳教科書』出版記念の集いであいさつする安倍晋三先生(日本教育再生機構ホームページから)

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★自由社の両社長(石原萠記、加瀬英明)こそ中共の手先

6年前の平成18年、「新しい歴史教科書をつくる会」から八木秀次氏や日本会議グループなど正統保守陣営が出て行って残された西尾幹二は、八木氏らを「公安のイヌ」「宗教右翼」と罵倒しました。ところが最近、西尾支持者は八木氏らに「中共の手先」「左翼とつながっている」と遠吠えしています。一体どっちなんでしょうか。
 
八木秀次氏らが公安当局と親密なのは事実でしょう。共産主義から日本を守るという目的では一致していますから。平成18年に中国社会科学院の蒋立峰日本研究所所長らが来日した際、わが国の外事警察(中国、朝鮮担当の警視庁公安部外事2課)は一行を行確(行動確認)していました。一行と歴史認識で激しく討論した八木秀次氏らは、外事警察と緊密に連絡をとって蒋立峰らの動向を報告していたと思われます。この問題は、ただそれだけの話です。「公安のイヌ」と呼ぶならご自由に。
 
「アベコベ史観」という言葉があります。大東亜戦争は白人による500年間の侵略の歴史に対するわが国の自存自衛の戦いであるにもかかわらず、わが国が侵略国家呼ばわりされています。それと同じ「アベコベ史観」が「新しい歴史教科書をつくる会」の一部幹部・会員の中にあります。「中共の手先」はどっちなのか…。
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当ブログは、「新しい歴史教科書をつくる会」が扶桑社から絶縁された後に教科書発行元に選ん自由社の社長、石原萠記が保守ではなく、江田三郎や松前重義ら社会党員に連なる社会主義者である―と、善良な「つくる会」一般会員の皆さんに警鐘を鳴らしてきました。「つくる会」が平成19年9月9日に発表した「日本国民へのアピール」は「伝統ある保守系の出版社・自由社が名乗りをあげ、つくる会の教科書を発行していただけることとなりました」と会員を騙しています。
 
自由社は平成15年に『日本回想―戦前、戦中、戦後想い出の記』という本を出しています。著者は張香山、監訳は自由社社長・石原萠記です。
 
張香山は1933(昭和8)年から37年に東京高等師範学校に留学。治安維持法違反で逮捕歴があります。帰国後、八路軍に入ってわが国と戦い、38年に中国共産党入党。戦後、対外工作機関である党中央対外連絡部(中連部)の副部長や中日友好協会副会長などを務め、孫平化、肖向前、王暁雲らとともに対日工作の責任者でした。2009年に死去しました。
 
張香山はどんなことをしてきたのでしょうか。1950(昭和25)年1月17日付の中国共産党機関紙「人民日報」は「日本人民解放の道」と題した社説を掲載し、「占領下平和革命」路線をとっていた野坂参三ら日本共産党「所感派」を激しく非難しました。日共に武装闘争を指示したのです。これがきっかけとなり日共は四全協、五全協で武装闘争方針を決定しました。この人民日報社説を書いたのが張香山です。
 
文化大革命が始まった60年代半ばから98年にかけて中共と日共は関係を断絶していましたが、そのころ張香山は日共から分かれた「日本共産党(左派)中央委員会」「日本労働党」「日本労働者党」など親中共系過激派を支援しました。日本労働党は連合赤軍と同根の組織です。
 
要するに張香山は、わが国に暴力革命を起こそうと北京から工作を続けた司令塔でした。そんな人間と同志的親交を深め回想録まで出版したのが自由社社長・石原萠記なのです。
 
自由社社長・石原萠記は天安門事件直後の1989(平成元)年10月、西側諸国が経済制裁する中、北京にノコノコ出かけていって、孫平化や張香山に会って感激しています。著書『戦後日本知識人の発言軌跡』でこう書いています。
和平門の料亭「北京ダック」には、張香山先生のほか、中共中央対外連絡副局長の段元培氏、中国国際交流協会副総主事の劉遅氏などが待っていた。簡単な挨拶ののち、張先生の隣で「ダック料理」に舌つづみをうつ。先生は六・四事件(引用者注:天安門事件)について、貴方のいわれるように事態は異常だったが、学生たちの民主化要求の域をこえての政権打倒の動きは行きすぎて、軍による鎮圧はやむを得なかった。しかし、不幸なことだと思うと語り、私もすでに七十路のなかばを超えた、老兵は消え去るのみと、淡々とのべる胸中には何か言うに言われぬ思いがこめられているようで、聞く者の耳をうつ。その合間に、料理を一つ一つとっては、これはこうして食べると美味しいよと説明してくださる。何とも心のやさしく美しい方だと思った。(p395)

そこから自由社社長・石原萠記と中共の対日工作の責任者・張香山の関係が始まり、昨年紹介した「愛華訪中団」につながります。
 
「愛華訪中団」とは、東京電力がカネを出し、自由社社長・石原萠記が主宰するマスコミ関係者に対する支那接待訪問団です。江田五月や日野市朗ら民主党政治家も参加しています。下記に第1回(2001年)から第8回(08年)までの参加者名簿を掲載しています。
★自由社・石原萠記-中国共産党-東京電力の赤いトライアングル←クリック 
  
自由社社長・石原萠記を迎えた中共側のカウンターパートは張香山です。そのほかに駐日大使を務めた王毅や江沢民の次男・江綿康(現・人民解放軍総政治部組織部長)の名前もあります。
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「愛華訪中団」には現「WiLL」編集長の花田紀凱が第3~6回と第8回に参加しています。このリストにはありませんが第9、10回にも参加しています。常連なのです。
 
ここでピンと来た人もいると思います。「WiLL」が八木秀次氏を攻撃する藤岡信勝の文章を掲載しているのは、花田紀凱が「愛華訪中団」=石原萠記にお世話になったことと関係しているのです。
 
さて、第10回「愛華訪中団」が北京を訪れていた昨年3月11日、東日本大震災と東京電力福島第1原発事故が起きました。東京電力の勝俣恒久会長と皷紀男副社長がこの訪中団に参加していたため、事故対応が大幅に遅れたのです。
 
一緒に北京にいた自由社社長・石原萠記と「WiLL」編集長・花田紀凱は出版人でありながら、この日の出来事を書こうとはしません。
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自由社という会社はもう一つあります。平成21年4月、初めて教科書検定に合格した自由社(石原萠記社長)は、前年9月に登記されたばかりの同名の別法人・自由社(加瀬英明社長)に版権を譲渡しました。「新しい歴史教科書をつくる会」はこの不可解な手続きについて会員に一切説明していません。加瀬は自由社(石原萠記社長)の取締役ですから、両方の自由社に関係しています。
 
加瀬英明も支那とズブズブで、人民解放軍幹部が来日した際は自宅に泊まりに来ると公言しています。自社から出版した石平氏との対談本『徹底解明!ここまで違う日本と中国―中華思想の誤解が日本を亡ぼす』でも次のように話しています。
ぼくはね、中国の人たちとお付き合いをして、共産党の幹部とか、軍の将官が多いんですけど、中国人と西洋人では、酒の飲み方がまったく同じですね。(p73)
中国では接待は、芸術です。麻布の中国大使館に、夫婦で夕食に招いてくれるんです。その時にね、他国の大使館では絶対にしないことですが、先生と親しいご夫婦の名前と住所を、4組か、5組、お教え下さいといってくるんです。
それで、大使館からみなさんに招待状が、送られてくる。皆さん、中国大使館によばれるなんて、喜びますからね。それに、中国大使館の食事って、さすがにうまいですねえ……。(p135)

ちなみにこの本で加瀬英明は、毛沢東を「毛先生」と呼んでいるほか、「江沢民先生」「胡錦濤先生」「金正日先生」などと表現しています。
 
自身のホームページのコラムにもこう書いています。
私は中国と親しくしてきた。1979年にはじめて中国に招かれた。人民大会堂で、私のために李達人民解放軍副参謀総長が歓迎晩餐会を催してくれてから、中国に10回あまり夫婦で招かれて、内モンゴル、新疆、チベットまで、軍服の高級将校が案内人としてついて旅した。
私は中国で率直に自説を述べてきた。平成4年に天皇が御訪中される前に、宮沢内閣が学識経験者14人を首相官邸に招いて、御訪中について意見を聴取した。私も1人として選ばれた。もっとも、人選は賛成派が多かったから出来レースだった。
私は加藤紘一官房長官に、「天皇が外国へ行幸されるのは、その国を祝福されるためであり、中国は国内で人権を蹂躙している全体主義国だからふさわしくない」と強く反対した。新聞が報じたから、中国も知ったはずである。
それでも、中国に招かれた。いまでも、中国と親しくしている。互いに大切な国だ。
このあいだ都内のパーティで、中国の高官と再会した。「先生は中日友好の井戸を掘って下さった1人ですから、今後も期待しています」と、褒めてくれた。(「加瀬英明のコラム」7月23日付)

加瀬英明については韓国との関係のほうが有名です。週刊新潮が「加瀬英明と同棲していた韓国人元ホステスが不審死した」と報じたことを5年前に紹介しました(加瀬は「私の仕事の手伝いをしてくれていた」と説明)。
★「不敬を正す会」も作ってください。加瀬英明さん←クリック 
 
現在も別の韓国人女性が身の回りの世話をしています。日韓親善にいそしんでいるのです。
 
善良な「新しい歴史教科書をつくる会」会員の皆さんには、「アベコベ史観」に毒されず新たな出版社を探すことをお勧めします。

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