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★南京事件への疑問を削除した自由社版教科書-記述検証〈1〉

教科書改善の会(屋山太郎代表世話人)が執筆したフジサンケイグループ育鵬社の中学校歴史・公民教科書と、「新しい歴史教科書をつくる会」(藤岡信勝会長)の自由社版中学校歴史・公民教科書がそれぞれ28日に書店で市販されました。記述の比較・検証を随時掲載していきます。
 
育鵬社の重厚さに比べ、自由社版はスカスカ感がありますが、内容的にもかなり問題がありそうです。近現代で最初に目に付いたのは「南京事件」に関する記述です。
 
自由社版歴史教科書のp225で「日本軍は国民政府の首都南京を落とせば蒋介石は降伏すると考え、12月、南京を占領した」との本文に「南京占領の際に、日本軍によって中国の軍民に多数の死傷者が出た(南京事件)」という側注が付けられています。
 
 
 
 
自由社が最初に検定に合格した現行版(平成22年度版)では「このとき、日本軍によって、中国の軍民に多数の死傷者が出た(南京事件)。なお、この事件の犠牲者数などの実態については資料の上で疑問点が出され、今日でも研究が続いている」でした。
 
今回、南京事件への疑問を削除してしまったのです。
 
扶桑社版の初版本以来の記述の変遷を見てみましょう。

  
日本軍の南京攻略についてはこの10年余りで画期的な研究の前進があり、虐殺はなかったという実態がほとんど余すところなく明らかになっています。保守派は「南京大虐殺」と言わずに「南京事件」と表記していますが、虐殺がなかったのですから本来は「事件」でも何でもないのです。
 
しかしながら文部科学省の売国検定によって、「南京事件」を書かざるを得ないため、扶桑社版は「さまざまな見解があり、今日でも論争が続いている」と付記して、諸説に虐殺ゼロも含める苦肉の記述をしてきました。
 
自由社の現行版(平成22年度版)もそれを踏襲しました。よく見ると分かりますが、扶桑社版をコピーするときに「疑問点も出され」を「疑問点が出され」に、「論争」を「研究」に微修正しています。「新しい歴史教科書をつくる会」はこれを記述の前進と自賛していました。
 
しかし今回それを放棄し、「南京占領の際に、日本軍によって中国の軍民に多数の死傷者が出た(南京事件)」だけにしてしまったのです。これでは虐殺があったと読めます。驚くべき後退です。
 
「ああ言えばこう言う」の藤岡信勝客員教授のことですから、こう反論するかもしれません。「虐殺はなかったのだから、疑問の余地はなく、もう研究することはない。だから削除した。これは画期的な記述なのだ」と。
 
それなら「南京占領の際に、日本軍によって中国の軍民に多数の死傷者が出た(南京事件)」という記述自体が不要です。
 
「新しい歴史教科書をつくる会」は近現代史教育の改革に取り組む良識派を決定的に裏切ったのです。
 
【追記】日本政策研究センターの機関誌「明日への選択」5月号の特集「歴史・公民教科書は変わったか」でこの問題が取り上げられていますので紹介します(引用の間違いは修正)。
検定のたびに話題となる南京事件についてはどうか。東書は「その過程で、女性や子どもなど一般の人々や捕虜を含む多数の中国人を殺害しました(南京事件)」と、これまでと変わらない。ただ今回は「被害者の数については、さまざまな調査や研究が行われていますが、いまだに確定していません」と側注を付けた。とはいえ、婦女子を含めた市民虐殺、住民虐殺という性格付けは変わっていない。むろん、市民虐殺は中国が主張しているだけであり、客観的な根拠のある話ではない。
一方、自由は「南京占領の際に、日本軍によって中国の軍民に多数の死傷者が出た(南京事件)」とだけ記述し、留保をつけたり疑問を呈していないのは、東書と較べても、納得がいかない。「このとき、日本軍によって、中国の軍民に多数の死傷者が出た(南京事件)。この事件の犠牲者数など実態については、さまざまな見解があり、今日でも論争が続いている」と、事件の実態に疑問を投げかける記述で検定を通過した育鵬とは対照的と言える。

自由社は東京書籍以下というわけです。

(つづく)
 
育鵬社や自由社版の記述について情報を募集します。
 project-justice@mail.goo.ne.jp
 
※自由社の現行版(平成22年度版)の記述については、こちらから順次ご覧ください。
 ★安重根を取り上げ志士と称える自由社版教科書-扶桑社版からの改悪<上>
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★拉致担当相「育鵬社よくここまで書いた。敬意を表したい」

教科書改善の会(屋山太郎代表世話人)が執筆したフジサンケイグループ育鵬社の中学校教科書『新しい日本の歴史』『新しいみんなの公民』が、全国の教育委員会や国立・私立中学校で採択が行われるのに先立って、きょう全国の書店で発売されます。
 
22日の衆議院拉致問題特別委員会で育鵬社の公民教科書の内容が取り上げられ、自民党の古屋圭司氏(日本の前途と歴史教育を考える議員の会会長)の質問に対し、中野寛成拉致問題担当大臣が「育鵬社よくここまできちっと書いていただいた」「拉致担当大臣として敬意を表したい」と答弁しました。やり取りの全文を紹介します(衆議院TVで動画が見られます)。
 
○古屋委員 (人権教育・啓発に関する基本計画の)4で「学校教育においては、児童生徒の発達段階等に応じて、拉致問題等に対する理解を深めるための取組を推進する。(文部科学省)」って書いてあるんですね。これが4月1日の閣議決定をされた追加文書の中で入っています。そこでですね、ちょっときょう私が理事会でご了解をいただいて、こういう資料を皆さんにお届けをさせていただきました。大臣、これご覧になっていただけましたか。これはですね、今年の4月に、今回の夏に採択が行われる中学校の教科書の検定に合格をした本のコピーでございます。代表例として2つ持ってきました。一つは東京書籍、もう一つは育鵬社という…。全部で7社検定に合格をいたしました。
で、この東京書籍はですね、実は採択率、公民は60%を前回超えています。だから圧倒的な多数なんですね、これは。じゃあ、まずここを見てみましょう。右ページの下。拉致問題については本文では下のほうに「日本との関係では拉致問題が残り、北朝鮮との関係はまだ好転していません」。この1行だけです。まずこれをご覧になって…。
次のページを見てください。育鵬社。同じ公民の教科書ですけど。これは、1枚めくっていただいた表紙のところにですね、横田めぐみさんと横田滋さんご夫妻の写真が載っておりまして、もう一枚めくっていただきますと、具体的に拉致問題のことが書いています。
右側のちょっと下のほうで、「このような中で、2002年9月に北朝鮮の平壌で日朝首脳会談が行われ、(北朝鮮は)拉致を認めた」と。「日本は拉致の問題が解決しなければ、北朝鮮との国交正常化はあり得ないという立場をとっいる」と。まさしく政府が言っていること、そのものを書いているわけで、加色しているわけでも何でもありません。もちろん検定に合格しているわけでありますが。その後にもですね、北朝鮮は核実験等を実行しているということが書いてあります。3ページ目。これは、主権が侵害されることとはどういうことなのか、ということを説明しているわけです。この主権侵害ということは、実は、平成22年のですね11月29日、対策本部長である菅総理がですね、「拉致問題の解決に向けて」ということで資料を出したペーパーですけど、冒頭に「我が国に対する主権侵害かつ重大な人権侵害であり、許し難い行為である」っていうところまで入れてるんですね。前はこの言葉はなかったんですよ。そこまで入れてるということは当然、こういうことを子供たちの中で勉強させるということは当たり前のことだと思います。
なおかつ、今私が指摘をした4月1日の閣議決定をして、4番に「学校教育においては、児童生徒の発達段階等に応じて、拉致問題等に対する理解を深めるための取組を推進する」。こういうことです。もちろん、拉致担当大臣は教科書の問題の担当大臣ではないということはよく承知をいたしておりますが、政府を挙げて拉致問題に取り組んでいる、なおかつ教育でですね、しっかりそれを啓蒙させるということを指摘してるわけでありますから、そういうことを考えた場合に、果たしてこの両方を見た場合に、まずどういう印象を持たれますか? これは是非ね、政治主導と主張されてる民主党さんのことですから、担当が違うから分からないとか、そういう答弁は私は一切聞きたくありませんので、是非率直なお気持ちをお聞かせいただきたいと思います。
 
○中野国務大臣 予防線を張られるというか、たがをはめられて答弁を求められましたので、少々困りますが、まあ、困るわけではないんですが…。それぞれの教科書について、おっしゃるように、公的に私がコメントするということはたぶんできないんだろうと思います、ただ一つ言えますことは、育鵬社よくここまできちっと書いていただいたなという意味では、拉致担当大臣としては敬意を表したいというふうに思います。
それから、併せて、われわれとしては、政府として作りましたアニメ「めぐみ」、映画「めぐみ」というのがございまして、アニメ「めぐみ」、20分ほどのアニメですけれど、横田めぐみさんのことについて描かれたアニメですが、これは都道府県、市町村教育委員会を通じて、全国で小学校、中学校、高校等々の教育現場で1400校を超えるところで視聴していただいております。また90分ほどの映画「めぐみ」につきましても約400校の小中学校、高校などにおいて上映をされておりますし、そのほか学校の先生方の会でも2800校で見ていただいて、教育の参考にしていただいていると、こういう努力も併せていたしております。
 
○古屋委員 今、冒頭にですね、この教科書の記述について、個人的な見解というようなことでしたけども、やはり拉致担当大臣としては育鵬社よく書いてくれた、よく書いてくれたというより、政府が主張していることを当然のように記述してる。もちろんこういう教科書がですね、中学校の生徒の皆さんに読まれることによって、国の考え方が正直言って理解できるわけでありまして、何の問題もないと私は思いますし、たぶんそういう趣旨でおっしゃたんだと私は解釈している…首を縦に振っていただいたんでそれで結構です。
特にですね、東京書籍の公民の一番下の「日本との関係では拉致問題が残り、北朝鮮との関係は好転していません」と。まあこんなしょぼい記述で終わっているだけではなくて、実は上から読んでいくとですね、線を引きましたけど、「日本が過去に植民地支配を行い、戦争で大きな被害を与え、東アジア…に与えた苦しい痛みを忘れてはいけません」…むしろこっちが主題になっててですね、前半がですね。付録で付いているということでありまして、実はこれが60%採択率であったということ自身も極めて問題だと思いますけど、そのへんについて改めて、印象で結構ですから、一言、大臣のほうから。
 
○中野国務大臣 印象と言われましたので、個人的私情になるかもしれませんけれども、先生と共通した心境を持っていることは事実でございます。


 
『新しい日本の歴史』『新しいみんなの公民』きょう発売。
粗悪な類似品にご注意ください。本物の目印は…
 

  
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★劉暁波もダライ・ラマ法王も登場―育鵬社公民教科書


育鵬社広報誌「虹」から
 
教科書改善の会(屋山太郎代表世話人)が執筆したフジサンケイグループ育鵬社の中学校歴史・公民教科書の内容が、日本教育再生機構機関誌「教育再生」や育鵬社広報誌「虹」で公開されています。
 
育鵬社の公民教科書にはチベット仏教の最高指導者で1989年にノーベル平和賞を受賞したダライ・ラマ14世や、昨年獄中でノーベル平和賞を受賞した中国の人権活動家、劉暁波氏が大きく取り上げられています。共産主義から自由を守るのが育鵬社の公民教科書です。
 
劉暁波氏へのノーベル平和賞授賞が決まったのは検定中の昨年10月ですから、育鵬社の公民教科書は先見性を持っていたのです。
 
育鵬社の公民教科書は天皇についても適切に記述。オバマ大統領が両陛下に最敬礼している写真も掲載しています。
 
▼日本教育再生機構機関誌「教育再生」から(実際の教科書はカラー)

 
もちろん、領土問題や北朝鮮による拉致事件、家族や伝統文化の大切さについても詳しく書いています。

育鵬社の歴史・公民教科書は、第26回「正論大賞」受賞者の櫻井よしこさんをはじめとして多くの文化人が推薦する待望の教科書です。

育鵬社広報誌「虹」から

 
渡部昇一氏ら執筆・監修メンバーも正式に発表されました。
 
育鵬社広報誌「虹」から

 
育鵬社の中学校歴史・公民教科書は、全国の教育委員会や国立・私立中学校で採択が行われるのに先立って、間もなく全国の書店で発売されます。

 
日本教育再生機構で予約すると、送料が無料になります。
粗悪な類似品にご注意ください。本物の目印は…



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★自由社・石原萠記-中国共産党-東京電力の赤いトライアングル


▲左から藤岡信勝、西尾幹二、石原萠記、加瀬英明(「自由」平成20年2月号から)
▼石原萠記(左)と江田三郎の関係は江田五月に引き継がれている江田五月ホームページから)
 
当ブログは、「新しい歴史教科書をつくる会」(藤岡信勝会長)が扶桑社から絶縁された後に教科書発行元に選んだ「自由社」という出版社の社長、石原萠記(いしはら・ほうき)が保守ではなく、江田三郎や松前重義ら社会党員に連なり、ソ連や中国と通じてきた社会主義者である―と、善良な「つくる会」一般会員の皆さんに警鐘を鳴らしてきました。
★「つくる会」と「自由社・石原萠記」と「ソ連」と「中国」と「社会党右派」と「創価学会」 など
 
その中で触れた自由社社長・石原萠記と東京電力のただならぬ関係が、福島第1原発事故を機にクローズアップされています。週刊文春は2号続けて石原萠記のことを取り上げています。

▼週刊文春3月31日号 東京電力の「大罪」

夜の料亭や高級クラブでの接待、原発視察を兼ねた温泉ツアーへの誘い……。大手新聞やテレビ局、小誌を含む雑誌、ミニコミ誌まで、東電のマスコミ懐柔網は編集幹部から末端の記者に至るまで縦横無尽に張り巡らされている。その象徴が、日中友好を旗印にした東電幹部とマスコミが参加する“中国ツアー”だった。
震災当日の3月11日。東電の勝俣恒久会長を団長とする約20人の「愛華訪中団」は北京にいた。6日から中国入りしていた一行は、上海、南京を経由し、12日の帰国を前に中国の要人に面会に行くバスの中で地震を知ったという。
参加者の一人が明かす。
「今回東電から参加したのは勝俣会長と副社長の鼓紀男氏ら3人でした。他には中部電力や東京・中日新聞、西日本新聞の幹部や毎日新聞の元役員、月刊誌編集長、元週刊誌編集長などがいました。このツアーはすでに十年続いており、 参加者は全額ではないにせよ、一部負担金も出しています。金額? それは勘弁して欲しい」
小誌が発見した 過去十年の参加者リストには、東電、関電、中電の錚々たる幹部のほか、現法務大臣の江田五月参議院議員ら政治家や連合元会長で現内閣特別顧問の笹森清氏、さらには大物マスコミ人がズラリと名を連ねていた。
05年と06年、08年の訪中では東京電力顧問の荒木浩氏が団長を務めており、勝俣会長も今回を除き2回団長に就くなど、一見する限り東電のアゴ足付きツアーの様相を呈している。
 
歯切れの悪い参加者
 
ツアーを主催している月刊誌「自由」の元発行人、石原萠記氏(86)はこう語る。
「私は東電の社長だった故木川田一隆先生との縁を通じて、総務担当だった平岩外四先生(元東電会長で、元経団連会長)と知り合い、以来彼が亡くなるまでの53年間、縁戚のように深い付き合いをしてきました。彼の助言で始まったのがこの訪中ツアーです。私以外の参加者の負担金は各5万円。宿泊費などは中国側が負担し、実費は東電が持つ。他の参加者の不足分は私が何とかして集めるという形でやっています」
ツアー参加者リストは、石原氏が自著『続・戦後日本知識人の発言軌跡』(自由社)の中で明らかにしていた。他にも東電、関電、中電が1年ごとの持ち回りで世話役を務める国内の発電所見学ツアーも催している。 こちらは宿泊費のみを電力会社が持ち、 参加するマスコミ関係者らの負担はタダだという。石原氏は決して接待ではないと否定するが、一方では「昭和の時代には、カネに窮して年も越せない時、東電の副社長は100万円用意してくれたなぁ」と遠い目で語るのである。

東京電力の勝俣恒久会長が震災当日、マスコミOBと日中友好ツアー「愛華訪中団」に出掛けていたため対応が遅れたと批判されていますが、そこには自由社社長・石原萠記が一緒にいたのです。かつて東電から100万円のモチ代をもらったことを恥ずかしげもなく自供しています。
 

▼週刊文春4月7日号(現在発売中)東京電力の「罪と罰」

渡部氏(引用者注・渡部恒三民主党最高顧問)は故・平岩外四氏、那須翔氏の両元会長とも親しかったが、現在の菅内閣の中にも渡部氏と同様に、東電幹部と親しい大臣がいる。
それは、江田五月法務相と、海江田万里経産相だ。彼らは東電幹部がメンバーとして参加する「十人十色の会」という会合を定期的に開いているのだ。
「雑誌『自由』の発行人だった石原萠記氏が主宰する十人ほどの懇親会です。東電の次期社長候補といわれた鼓紀男副社長、元東電労組書記長で元連合会長の笹森清氏(現内閣特別顧問)もメンバーです。2、3年くらい前から始まり、当時、江田氏が参院議長だったので公邸で集まったことも数回あります。もともと民主党に縁の薄かった東電側にとって、関係を深める良い機会になったでしょう」(同会関係者)
会の趣旨について、主宰者の石原氏はこう答える。
「別に電力の話をするわけでもないし、僕が仲のいい人を集めた単なる情報交換会です。(東電副社長の鼓氏がメンバーなのは)昔、平岩外四先生から『(東電の)経営者は社外の人と会って、見聞を広めないといけない。色んな人たちと会わせてやってよ』と頼まれていたから」

東京電力の金でマスコミ関係者を日中友好ツアー「愛華訪中団」に連れて行くだけでなく、東電と民主党を結び付ける役割を果たしたのが自由社社長・石原萠記なのです。江田五月は元社青同活動家、海江田万里は元フロント活動家。「十人十色の会」ならぬ十人赤色の会です。
 
「つくる会」が平成19年9月9日に発表した「日本国民へのアピール」には「伝統ある保守系の出版社・自由社が名乗りをあげ、つくる会の教科書を発行していただけることとなりました」とありますが、元日本共産党員・藤岡信勝は善良な会員を騙すにもほどがあります。自由社の取締役、加瀬英明は同一名称の「自由社」を設立し、伝統ある社会主義系の出版社というDNAを継承しています。
 
最後に、自由社社長・石原萠記主催の日中友好ツアー「愛華訪中団」の第1回から第8回の参加者名簿を独占掲載します。これを見ると、石原のカウンターパートが中国共産党の対日工作の責任者、張香山(2009年死去)だったことが裏付けられています。
 
それから、西尾幹二らエセ保守文化人を使い続けるWiLL編集長・花田紀凱が自由社社長・石原萠記とグルで、東京電力のお世話になっていることも分かります。


 
第1回訪中団<01年3月18~24日>
訪問地=北京、杭州、上海
団長
江田五月(参議院議員・元科技庁長官)
副団長
日野市朗(衆議院議員・元郵政相)、山本勝(東京電力副社長)
団員
星野利一(大成建設常務)、大橋博(教育財団理事長)、元木昌彦(週刊現代元編集長)、野口敞也(連合総研専務)、石原圭子(東海大学助教授)、藤井弘(日本対外文化協会常務)、江田洋一(江田事務所代表)
顧問
石原萠記(日本文化フォーラム専務、(社)日本出版協会理事長、情報化社会を考える会代表)
 
張香山(21世紀日中賢人会議代表)、陳昊蘇(中国外交学会会長、陳毅氏長男)、沈祖倫(前逝江省々長)、王国平(杭州市常任書記)の各氏、国家自然科学基金、中国学会、政界人と交流。ほかに清華大学、上海交通大学、上海総工会の代表や阿南・駐中国大使と懇談。
 
第2回訪中団<02年10月6~12日>
訪問地=秦皇島、北京、杭州、上海
団長
大森義夫(NEC専務)
副団長
大橋博(教育財団理事長)
片桐俊博(荏原製作所専務)
団員
田島克己(東京電力企画部長)、佐々木孝一(JR東日本施設部長)、松本豪郎(日立製作所電力統括部長)、元木昌彦(週刊現代元編集長)、有馬克彦(全国栄養士養成協会常務)、石原圭子(東海大学助教授)、藤井弘(日本対外文化協会専務)、江副行昭(ガラス工芸家)、江田稔(原産会議理事)、長岡正道(NEC中国担当)
顧問
江田五月(参議院議員)、石原萠記(日本出版協会理事長)、坂井隆憲(衆議院議員)、徐迪旻(亜州友好協会理事長)
 
張香山(21世紀日中賢人会議代表)、成思危(全人代副委員長)、王毅(外務省次官・駐日大使)、楊振亜(元駐日大使・21世紀委、中国側首席)、陳宝鑒(前ビルマ大使・中国人民外交学会副会長)、王国平(杭州市常任書記)、王建忠(秦皇島市書記)、菅瑞亭(秦皇島市長)。上海・市政府関係者ほかと交流。
 
第3回訪中団<03年11月2~8日>
訪問地=呉江、北京、上海、杭州
団長
大森義夫(NEC専務)
副団長
水谷克己(東京電力常務)
森本正(中部電力常務)
団員
生駒昌夫(関西電力支配人)、長岡正道(NEC中国担当)、石原圭子(東海大学助教授)、野口敞也(連合総研専務)、元木昌彦(週刊現代元編集長)、花田紀凱(週刊文春元編集長)、赤塚一(週刊新潮元編集次長)、有馬克彦(全国栄養士養成協会常務)、高橋透(ラストリゾート代表)
顧問
石原萠記(日本出版協会理事長)、徐迪旻(亜州友好協会理事長)
 
張香山(21世紀日中賢人会議代表)、呉江市長、趙凱(文匯新報グループ社長)、黄誠毅(国家電力代表)、江綿康(上海市プランナー・江沢民氏次男)、王国平(杭州市常任書記)ほか。趙凱(上海文江新報集団社長)。精華大科技センターで討議。
 
第4回訪中団<04年8月13~20日>
訪問地=瀋陽、北京、上海、杭州
団長
勝俣恒久(東京電力社長・日本経団連副会長)
副団長
水谷克己(東京電力常務)
越智洋(中部電力常務)
団員
濱田康男(関西電力取締役)、田中豊蔵(財務省財政制度等審議会委員・元朝日新聞論説主幹)、大林主一(中日新聞常務)、石原圭子(東海大学助教授・お茶の水大学講師)、元木昌彦(講談社社長室付・週刊現代元編集長)、花田紀凱(宣伝会議常務・週刊文春元編集長)、大河原正太郎(勝俣社長秘書)、江田洋一(江田議員秘書)
事務局長・有馬克彦(全国栄養士養成施設協会常務理事・自由社取締役)
顧問
江田五月(参議院議員・民主党副代表・参議院議員会長・元科学技術庁長官)
石原萠記(日本出版協会理事長・日本対外文化協会副会長)
徐迪旻(NPO法人亜州(アジア)友好協会理事長・「愛華」編集長)
 
何魯麗(全人代副委員長)、李道豫(元駐米大使・国際公共協会々長)、沈国放(外交部副部長)、王国平(杭州市常任書記>、国家電力公司総裁、藩陽市長、上海テレビ局。在日中国人留学生との会合。資生堂工場、同済大幹部と交流。
 
第5回訪中団<05年8月28~9月3日>
訪問地=深圳、広州、杭州、上海
団長
荒木浩(東京電力顧問・元社長)
副団長
大林主一(東京・中日新聞・相談役)
団員
和田馨(関西電力・秘書室長)、高木洋隆(中部電力・工務部長)、増田祐治(東京電力・総務部長代理)、恒川昌久(“信毎”東京支社長)、石原圭子(東海大学助教授)、秋山実(ラストリゾート常任監査)、花田紀凱(元・週刊文春編集長)、福住一彦(創志グループ部長)、神尾正充(「連合」組織拡大センター次長)、大嶋敬史(東京電力秘書部副長)、藤井弘(情報化社会を考える会・事務長)
顧問
石原萠記(代表・日本出版協会理事長、日本対文協副会長)、徐迪旻(NPO法人亜州友好協会理事長)
 
陳文江(深圳市人民政府副秘書長)、蕭錦哲(広東省人民政府外事弁公室局長)、夏林泉(大亜湾核電送・副総経理)、肖耀堂(広東省公共関係協会会長)、徐尚武(広東省人民政府秘書長)、夏林楽(広東原子力発電所)、田蕪軍(粤電集団・党委書記)、王国平(杭州市委書記・浙江省委常委)、單人(杭州市電力局長)、薛沛建(上海メディア・グループ総裁)、陳梁(東方衛視総編輯兼総経理)ほか。中山記念堂、西冷印社など見学。
 
第6回訪中団<06年8月28~9月3日>
訪問地=西安、紹興、杭州、上海
団長
荒木浩(東京電力顧問・元社長)
副団長
笹森清(“連合”前会長)
団員
坂上要一(関西電力・監査役室長)、岩堀剛士(中部電力・秘書部長)、増田祐治(東京電力・総務部長代理)、大林主一(東京・中日相談役)、田中豊蔵(元・朝日論説主幹)、石原圭子(東海大学助教授)、元木昌彦(元・「週刊現代」編集長)、花田紀凱(元・「週刊文春」編集長)、有馬克彦(全国栄養士養成施設協会・常任理事)、佐藤淳(東京電力秘書部副長)、藤井弘(情報化社会を考える会・事務長)
顧問
石原萠記(日本出版協会理事長、考える会代表)、 徐迪旻(NPO法人・亜州友好協会理事長)
 
王成文(西安市人民政府副書記)、王忠徳(西安市長)、成麗娟(西安人民対外友好協会会長)、陳洪涛(西安開発区管理委副主任)、池芳(開発委副局長)、王国平(杭州常任書記)、金勝山(杭州副市長)、薛沛建(上海メディア・グループ総裁)ほか。西安の華清池、兵馬俑、大雁塔、乾陵、ハイテク開発区など見学。
 
第7回訪中団<07年8月13~18日>
訪問地=南京、姜堰、無錫、蘇州、上海
団長
笹森清(労働者福祉中央協議会会長。“連合”前会長)
団員
半谷栄寿(東京電力・事業開発部長)、竹田芳弘(関西電力・購買部長)、西村文宏(中部電力・用地部長)、田中豊蔵(元・朝日論説主幹)、加藤順一(元・毎日中部本社編集局長)、淡川邦良(北海道テレビ・常務)、野口敞也(前連合総研専務)、元木昌彦(元「週刊現代」編集長)、赤塚一(元・「週刊新潮」編集次長)、鈴木隆一(ワック・マガジン社長)、石原圭子(東海大学准教授)、大橋英夫(創志学園グループ・専務)、永川祐三(AVプロジェクト社長)、藤井弘(情報化社会を考える会・事務長)
顧問
石原萠記(代表・日本出版協会理事長)、徐迪旻(NPO法人・亜州友好協会理事長)
 
叶晧(南京市委・常務委員・宣伝部長)、孫文学(南京人民対外友好協会副会長)、南京電力局幹部と意見交換(三電力団員)。王嵬(市政府宣伝部副部長)、呉静(南京人民政府新聞弁公室処長)、高紀明(泰州市常務委員)、徐志良(姜堰市副市長)、王仁政(姜堰市市長)、繆鴻(経済開発区管理委主任)、沈亮(蘇州国家高新区管理委副局長)、王平(蘇州高新区日本事務所長)、王葛先(蘇州高新区管理委副主任)、薛沛建(上海メディア・グループ総裁)ほか。霊山(禅寺)、寒山寺、南京中山陵などを見学。
 
第8回訪中団<08年8月31~9月6日>
訪問地=上海、武漢、杭州
団長
荒木浩(東京電力顧問)
副団長
笹森清(“連合”前会長)
鼓紀男(東京電力副社長)
団員
鷲尾潤三(関西電力・法務部長)、服部邦男(中部電力・国際事業部長)、平野裕(元毎日新聞専務・評論家>、大林圭一(東京・中日新聞相談役)、石原圭子(東海大学教授)、花田紀凱(「ウィル」編集長・元週刊文春編集長)、元木昌彦(編集者学校校長・もと週刊現代編集長)、赤塚一(評論家・元週刊新潮編集次長)、久保田司(“安全輸送”社長)、佐藤淳(東京電力・秘書部副長)、永川祐三(ミクル・プランニング代表)、 藤井弘(情報化社会を考える会・事務長)
顧問
石原萠記(代表・日本出版協会理事長)、徐迪旻(NPO法人・亜州友好協会理事長)
 
武漢の黄鶴楼上より六十有余年前、この地に在りし日を偲ぶ。かつての面影や全くなし。蛇山公園の緑園に歴史の興亡を偲びつつ、行き交う老若男女の嬉々とした語り声に、日々の平安を思い、頭を垂れる。
 
薛沛建(上海メディアグループ総裁)、吉村明朗(上海環境球金融センター公司総経理)、辺玲(武漢人民政府友好協会会長)、李運霊(武漢供電公司総経理、党委副書記)、藩堂林(長江報業集団社長・党委書記)、雷騰芳(武漢総工会副主席)、袁善謄(武漢市副市長)、周嵐(阿里巴巴総監)、蔡奇(杭州市市長)、佟桂荊(杭州市副市長)、柴尭迅(上海楊浦区副区長)
 
上海森ビル展望台、武漢・黄鶴楼、杭州・雷峰塔などを見学する。
 
※石原萠記著『続・戦後日本知識人の発言軌跡』(自由社)から作成
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