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★自由社版 そんなに支那が 好きですか-扶桑社版からの改悪<5>

扶桑社から絶縁された「新しい歴史教科書をつくる会」が自由社という出版社から出した教科書が、扶桑社版を大部分コピーしつつ、コピーしなかった部分で自虐的に改悪している―という連載をお届けしています。
 
連載の2回目でお伝えしましたが、自由社版は文化史の部分を全面的に書き直していて、そこがかなりおかしな記述になっています。文部科学省が公表した「著作編修関係者名簿」によると、文化史の部分を執筆したのは松本謙一という人です。

扶桑社の教科書は「日本の文化や美術が中国や朝鮮半島とは違う独自の文明圏をつくってきたことを初めて書いた」というのが特徴でした。しかし「つくる会」の藤岡信勝会長は会報「史」の5月号で「扶桑社版の美術史に偏った巻頭グラビアをやめ」と「日本文化の独自性」路線からの転換ととれることを書いています。その中身を具体的に見てみましょう。
 
典型的なものはこれです。

自由社版の「シルクロードと仏教美術」(p52)にある廣隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像の写真です。序文の扉(p8)にも同じ写真がページ全体に載っています。
 
廣隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像の写真は歴史教科書の定番ですが。扶桑社版は初版本も改訂版もあえて載せていません。この仏像は自由社版に書いてある通り、「朝鮮からもたらされた」あるいは「日本でおそらく帰化人の家系から出た仏師によってつくられた」、つまり朝鮮の仏像です。扶桑社版が載せていないのは、もっと載せるべき日本独自の芸術があるという「こだわり」だと思います。
 
自由社版はそんなことはどうでもいいのです。だから「シルクロード」なのです。

<自由社版>金堂や五重塔を取り巻いて(なぜか1字空き)一周している回廊の柱は皆、中央がやわらかくふくらんでいる。この様式をエンタシスといい、ギリシャ建築の神殿の柱などにつながるものではないか、といわれている。(p52)
<扶桑社版>(なし)

 
伊東忠太の「法隆寺のエンタシスのギリシャ起源論」です。今これを支持する建築史の研究者はまずいません。「日本はシルクロードの終着点」と強調したいのでしょうが、素人が書くからこういうことになるのです。
 
次に、連載の2回目で触れた、自由社版が菅原道真の名前を削った部分をもう少し詳しく見てみます。

<自由社版>894(寛平6)年に遣唐使が廃止された。その後は中国文化の強い影響を受けながらも日本の風土や習慣にも合わせた文化が育まれた。これを国風文化という(p56)
<扶桑社版>9世紀に入ると唐がおとろえたため、894(寛平6)年、菅原道真の意見を取り入れ、朝廷は遣唐使を廃止した。その後、日本の風土や生活に合った、優美で繊細な貴族文化が発達した。これを国風文化とよぶ。(p56)
 
自由社版は、国風文化を説明するのに「中国文化の強い影響を受けながら」とか、日本の風土や習慣「にも」合わせたと、独自性を否定しています。扶桑社版は非常に適切な記述です。
 
他の7種類の教科書も見てみましょう。
 
<日本書籍新社>遣唐使をやめた9世紀末ごろから、こうした唐風文化にかわって、日本の自然と生活にあった文化(国風文化)がおこった。
<旧大阪書籍>唐がおとろえ、遣唐使を停止した9世紀の終わりごろから、貴族のあいだでは、日本の風土や生活にかなった文化が生まれました。この時代の文化を国風文化といいます。
<清水書院>10世紀のはじめに唐がほろびると、日本では、唐の文化から離れた独自の政治や文化のあゆみがはじまった。貴族のあいだでは、日本の自然や生活にあった文化が生まれた。これを国風文化という。

 
以下は自由社版に若干近い記述です。
<帝国書院>摂関政治のころには、唐風の文化を日本の人々の生活や好みに合わせていこうとする考え方やくふうがなされ、独自の文化がみられるようになりました(国風文化)。
日本文教出版>9世紀の末になると、遣唐使は送られなくなった。このころから、貴族は唐風の文化を消化して、日本の風土や生活にあった国風の文化を生み出し、文化のようすは大きく変わった。
<東京書籍>平安時代半ばの貴族たちは、唐風の文化をふまえながらも、日本の風土や生活、日本人の感情に合った文化を生み出していきました。これを国風文化といい、摂関政治のころに最も栄えました。
<教育出版>9世紀の終わりごろ、唐がおとろえると、朝廷は遣唐使を取りやめました。このころから、貴族は、中国の文化をもとにしながら、日本の風土や生活にそった文化を発達させました(国風文化)。
 
中国文化の強い影響を受けながらとか、日本の風土や習慣「にも」合わせたと書いている教科書はありません。菅原道真の名前を削ったのが、うっかりミスではなく、かなり意図的であることが分かります。何より、自由社版だけが国風文化を太字(ゴチック体)にしていません。重要な用語として子供たちに教える気がないのです。
 
次は鎌倉文化。

<自由社版>鎌倉時代には、華美を押さえて洗練を好む宋の文化に影響され、簡素ななかにたくましさがあふれる寺院建築がもてはやされた。屋根や軒のささえに力強さをたたえる東大寺の南大門や京都・蓮華王院の三十三間堂は、その気風を今日に伝える代表的な例である、(p72~73)
<扶桑社版>(なし)
 
「押さえて」は「抑えて」の誤記です。「宋の文化に影響され」として、南大門と三十三間堂を同列に扱っていますが、南大門は宋の影響を受けた「大仏様」(だいぶつよう)という様式ですが、三十三間堂は「和様」(わよう)です。対比させるならともかく、「宋の文化に影響され」と一緒くたにするとは、どういう了見でしょう。だから素人は駄目なんです。ここで一句、
 
自由社版 そんなに支那が 好きですか
 
決定版は自由社版の市販本『日本人の歴史教科書』の表紙です。

読者の皆さんは、これを見て日本の文化を感じますか?
こんな仏像、日本で見たことありますか?
 
次回はこの「手」の驚くべき正体を詳しく報告します。
お楽しみに。
 
(つづく)

連載一覧
★安重根を取り上げ志士と称える自由社版教科書-扶桑社版からの改悪<上>
★自由社版教科書で菅原道真も乃木希典も消えた-扶桑社版からの改悪<中>
★特攻隊を「自殺攻撃」と貶める自由社版教科書-扶桑社版からの改悪<下>
★進化論から始まり部落史を詳述する自由社版教科書-扶桑社版からの改悪<4>
★自由社版 そんなに支那が 好きですか-扶桑社版からの改悪<5>
★スクープ!『日本人の歴史教科書』表紙はタイのガラクタ-扶桑社版からの改悪<6>
★「ポツダム宣言様ありがとう」の自由社版教科書-扶桑社版からの改悪<7>
★悪党のくせに(笑)悪党を書かない自由社版教科書-扶桑社版からの改悪<8>
★藤岡信勝会長、独禁法に違反してませんか?-扶桑社版からの改悪<9>
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