木工挽物という仕事

基本的には時代遅れの仕事
正反対の位置にいるブログから発信してみます
でもブログも先端じゃなくなりましたね

中島みゆき by ファイト 

2009-05-09 15:33:50 | Weblog
子供の頃だったかもう少し大人になってからだったか
「夫婦善哉(みょうとぜんざい)」という番組があった
今の人には分からんかもしれんけど 素人の夫婦が出てきて それもある程度年齢の行った夫婦が多かったように思う
そのおとうちゃんの悪癖 例えば浮気だとかギャンブルだとか それをかあちゃんが司会の蝶々さんに言いつけて
彼女に叱ってもらうって感じのものだった
当時はいくら男が悪くたって女房が我慢して夫婦は続いていた(ことが多かった)
その愚痴を蝶々さんに聞いてもらって旦那に説教をしてもらう
旦那は頭を下げて「もう決していたしません」と口にする
  女は溜飲を下げる



まだ子供だったのかなぁ・・
僕はそれを見て「よかったね おとうさんいい人になって」
もうこれであのおとうさんはまっすぐな道を歩いてみんなが幸せになるんだろうな  
 そう思っていた

でも 特別番組っぽく切りのいいところで特集がある
かつて出場した夫婦が出てきてその後を話す
頑張ってるとうちゃんもいるんだけど まだまだかあちゃんが泣いてる夫婦もそれより多くいたような気がする

あんなに約束したのに守らんかったのか・・・子供だった僕は不思議でしょうがなかった
テレビに出て約束したら全部全部悪い癖は直るんだと信じてたのに。。





涙を流して謝る男・・・それを信用しようと努力する女
最近はそういう構図をよく耳にする
この前の話じゃないけど 人間はまちがう生き物だ
一度の過ちに気付いてその後誰にも後ろ指を指されない人間になる人もいる
でもそうじゃない人もいる
そこでもう一度同じ間違いをしちゃいかんだろ
もししてしまったらその人は許されるべきじゃない


でも世の中にはその人を許すひとがいる
それは特別な感情で包んだ人だけなんだ
例えば親子そして・・夫婦だったらわからんでもない


許すんなら覚悟して許せ
 そう言いたいね  ・・・ね


中島みゆき #12「ファイト」〜闘え私![最高のエールソング]【HD】

 (29.1.20 貼り付け)












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「おまえと生きる」ふきのとう

2009-05-07 18:23:12 | Weblog
何もいらない おまえがいれば
 そばにいてくれ 話がしたい


  遥か遠い 幼い頃
  どんな少女でした?

  同じような時代の中
  生きて巡り会えた

  そして・・・



前に陣内の離婚話を書いた記事に僕はこの曲のことを最後に少し書いた
結婚する数か月前だったか 最後のコンサートをした
勿論個人のコンサートではないが、結婚することを念頭にもうバンドから足を洗うつもりで臨んだもの
だから結構力が入っていた

それまでは自分が作った歌以外はそういうところで歌ったことがなかったが
その時の心情にきっちりと当てはまったという点で
今更僕が作るまでないような気にさせてくれたものだった



 人には優しく 自分に厳しく
 できることならそうありたいね



色んな言葉が好きだったからこの曲を弾こうと思ったし
一生懸命練習もした
そしてなかなかうまくやれたと自分でも思っていた
色んな人からそう言われたけど 歌った相手からは何も言われてなかったような気がするな


・・・それでいいんだろう
実際僕はそうできなかったのだから

でもこの曲を裏切ってはいない という確信は・・・やっぱりある





僕の住んでる所だけ、強い雨が降っている





「おまえと生きる」ふきのとう


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月日がたてば・・

2009-05-06 22:46:33 | 息子嫁のイラスト


これはテレビとデッキ 遺影じゃないよ







誰にも渡さんニャミ

 




☆。.:*:・’゜★゜’・:*:.。☆。.:*:・’゜★゜’・:*:.。☆。.:*:・’゜★゜’・:*:.。☆。.:*:









ちょっとだけ聡太に慣れたニャミ



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Que sera sera

2009-05-05 20:18:21 | Weblog
あと一日で休みも終わりかぁ
長い休みはこのくらいが寂しいな
休み中はなあんも心配することもなかったし・・
ううっ い・いや、心配事がないんじゃなくて心配をしなかっただけだ
心配すべきものは山ほどあるからね
この所あんまり喜びを感じることがないんで
ネコと変わってもらいたいような日々の連続だった
そのなかでもちょいちょいと笑うこともできたのは
ひとえに僕の努力ではなく周りの変化だけだ

でも人ってなんでこんなに先のことでくよくよしたり自分に文句ばっかり言うんだろう
昔は一日一日を必死で生きていた
まだ僕が生まれる9年前は戦争の真っ最中でそれが終わって日々の食べ物に苦労する時代がやってきた
ポタ(母親)も仏壇屋の娘で街中で育ち田舎の親戚がない
うちにある着物なんかを風呂敷に包んで買い出しに出かけたらしい
知らない農家を訪ねて着物と食べ物を交換してもらう
そうしないと明日明後日の食べ物がない
そんなぎりぎりの生活を経験してきた

でも今の僕はどうだ
これを読んでてくれる人は多分僕よりも恵まれてるんじゃないか
あさってどころか・・
2・3年先まで生きられる基盤を持ってる
今からなにも生産しないとしてもだ
そんな恵まれてることを忘れてしまってるというか
生まれながらに豊かな環境の中でそういう切羽詰まった状況を知らないで生きてきた
すべての人がだというつもりはないけど・・



自分にプレッシャーをかけ過ぎてないかな
心に病を持ってる人は特にそうだ
そんなに優等生のまま生きることはない
もっと楽に
もっと自由に

ゆったりと生きてゆきたい
 そう思わん?

ああ~~ぁ あと一日かぁ(笑)




Que sera sera


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僕は昔

2009-05-04 21:57:38 | タイムマシン
僕は昔少年だった
隣には妹がいたし
後ろにはお兄ちゃんたちが涼んでいた


50年後 そして誰もいなくなった


角度が違ってた (゜_。)ズコ



ついでにkuminさんが紹介してくれた鶴舞公園プチ案内

 色付きはクリック有効

バラなんて柄でもないけど 今たくさん咲いてるよ

奏楽堂 音楽のイヴェントを時々やってる



3月6日の日記で貼り付けた曲「名古屋はええよ!やっとかめ」に入ってる鶴舞公園はこんなとこです
生まれて初めてのデート 美穂ちゃんとしたんだ
なあんもできんくてただただ園内を歩いて・・・ふられた

もっと前 小学生の時 お祭りの夜
みんなで夜繰り出した
2B弾をアベックに投げつけて逃げたなぁ~

いっぺん遊びにいりゃ
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お休みだから考えてみた 償い

2009-05-03 20:24:20 | Weblog

  一生懸命生きてるのになんで自分は報われないんだろう

さだまさしの噺歌集CDのなかにそんなフレーズが出てくる
そして歌のなかで もっともっと頑張ってるという人の存在を知らせば
もしかしたら報われない自分を許すことができるのかもしれない
そのために歌う・・・と


「償い」という有名な曲がある
この曲は初めからそんなに人に知られていたわけじゃない
2001年にあった三軒茶屋の喧嘩殺人の加害者の少年二人に
翌年の裁判で裁判長が本当の反省が足りないとみた彼らにこの曲を聞きなさい
と言ったことが報道されて一気に人に知られるようになった
  知らない人のために・・




償い 「主 文 被告人両名を懲役3年以上5年以下に処する。」



さだの知り合いは被害者の奥さんの方だった
その人はお茶お花の先生をしてて ご主人を事故で亡くした後なんとか自分で生きるめども立って
加害者の手紙を読む苦しさから逃れたいこともあって
初めてもうお金を送ってくることをやめてほしいと手紙を書いたという

でも・・それでもお金は送られてきたという




その状況によく似た実話を僕も聞いたことがある
うちのお客さんだった人で小さな仏具店を経営してた人
そこの息子が加害者になった

一車線の道路に横断歩道があった
対向車線は渋滞
彼はその横断歩道に意識が行ってなかった
はっと気づいたときに渋滞の車の間から飛び出した
横断歩道上の小さな女の子を・・・
双子のうちの一人のその女の子は逝ってしまった

彼は保険には入っていたから 毎月お金を送ることはなかったようだが
毎月命日にその女の子の仏壇にお花を供えに行っていたそうだ
毎月毎月顔を出すお兄ちゃんに何も知らないもうひとりの女の子が懐いてゆく
ついに相手のおかあさんが
「鬼頭君、 もういいんだよ
 毎月 毎月 来てくれなくても」
そう言われたんです
ってその彼のお母さんから聞いた
僕もまだ若い時、人の話に涙することなんかほとんどなかったのに もらい泣きしてしまった覚えがある


  謝罪すること 

  許すこと

こんなに辛い結果が伴っていれば どちらも並大抵なことじゃない
はたして自分にできるのか

人間の価値っていったいどこにあるのか
地位や名誉だけでなく 世間の誰もその名前さえ知らない人の中にそういう価値を密かに持っている人がいる

間違う生き物人間
その時どんな行動を起こせるか
そこでその価値は決まる

 忘れたくないもんだね


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お休み突入

2009-05-02 21:03:15 | 息子嫁のイラスト
今日も午前だけは仕事してきました
これで我が家もGW入りです
と言ってもどこかへ行くという計画はまるでなし
娘は今夜は母親の所へ行く予定

今年はどうなんだろう
このインフルエンザ騒ぎの中 海外旅行を計画されてる方がまたたくさんおられるんでしょう
難しいね
行くな とも言えないし
とはいえ 行けば必ず少しは人の世話になる
検査を受けて帰国することになるということはそれだけ人の手を煩わせることになるのだ
でも長いこと楽しみにしていた海外旅行をあきらめるのは苦渋の決断となるはず
それでもその苦渋の決断をされる人もいると聞く
たとえ自分がかからなくても同じ飛行機の誰かがかかるかその可能性があれば帰国後何日が拘束される可能性もある
できれば今回はやめておいた方がみんなのためなんだけどなぁ
とやんわり僕は言ってるんだけどはっきり言えば自分も含めてみんなのために今年は国内旅行へ方向転換をお願いしたいものです
いまさら言っても遅いか
そして行けない僻みに聞こえちゃうかな?


うちでは ニャミと娘のバトル
どっちも楽しんでるように見えるんですがね







たのし~~い おやすみを~~~~



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チャンバラ好き

2009-05-01 22:50:53 | タイムマシン
テレビでは久しぶりに「木枯し紋次郎」をやってるな
江口洋介じゃソフト過ぎる気がしないでもないけど・・
オリジナルの紋次郎の時ももう大人だったけど
実は子供の頃僕は時代劇が大好きだった

毎月28日になると大須みょうごんさんという縁日があった
その日が日曜でもウィークデイでもほとんど必ず夜になると家族で出かけた
まだお爺さんが現役の職人 津島の百姓の長男だった祖父はそれが嫌で家を飛び出して東京で木工所に勤めたらしい
里心がついたのかどうか知らないけどやがてこっちへ帰って名古屋の木工所へ勤める
そこでおばあさんと一緒になって今の自宅の所で仕事を始めた
長男を戦争で亡くし次男だった親父がこの家を継いだ
そして僕が生まれて・・
この家の地盤が固まり始めて少し余裕らしきものが出来始めた頃だったんだろう
その日は多分僕だけでなく家族の皆が楽しみにしたひとときだったんじゃないだろうか

そこへ行くには大須万松寺通りというところを通る
今でも立派なアーケードがある通りだが僕の子供の頃にもすでにそれはあった
入り口近くにおもちゃ屋があった 今でもある(笑)
行きにちらっと覗いて帰りに買ってもらう

必ずと言っていいほど時代劇グッズを手にして帰った
勿論一番印象に残ってるのは剣だ 刀だ

家の中には着物用のひもがいつも自由に手にできた
そのひもをして刀をさして 二刀流でさして
僕は家じゅうを闊歩していた

今でも覚えているがどうしても欲しくて欲しくて憧れていたのにどこにも売ってなかったものがある
それが  三度笠
もう渡世人の必需品なのにどこのおもちゃ屋にも売ってないんだ
ましてやこんなもの売ってたら飛び付いただろうな


というわけでいつも僕はお櫃(ひつ)のふたをかぶって
妄想の中の悪者たちをぶった切る毎日を送っていたのだった



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