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木工挽物という仕事

基本的には時代遅れの仕事
正反対の位置にいるブログから発信してみます
でもブログも先端じゃなくなりましたね

90歳

2021-11-17 01:04:28 | ひとりごと
1931年昭和6年11月17日生まれの母は今日満90歳になった。
僕はいつも母の歳父の歳、妹の歳、子供たちの歳はまず忘れたことはない。
人生相談などであなたのお母様のお歳はおいくつ? などと聞かれて即答できない人をなんと親不孝な人か とよく思ったものだ。
でももうそれを責めることはできない。だって11月11日、父親の命日をすっかり忘れていた。
手を合わせることもしていない。

母は仏壇屋の娘として誕生した。
昔だから苦しい生活には違いなかったのかもしれないが、年に2本仏壇が売れれば食って行ける時代だったらしいからそれほどそっちの苦労はしなかったのかもしれない。
ただし戦後の食糧難の時は田舎に親戚を持たない故かなり食べるものには困窮したようだ。
いつも聞かされたのは 弟の洋一郎は買い出しの時に警官の検査の直前に駅の雑踏に紛れて素早く逃げて没収をされずに済んだ。
子供の頃からよく聞かされたものだ。
その洋一郎おじさんは一子をもうけたのだが若くして亡くなった。
兄の久雄さんも30代だったかに亡くなってる。
戦争を生き延びても戦争で壊した体はそう簡単には治ることがなかったのだろう。
それでも弟の冨士雄さんと妹の静子さんは健在だ。

若い時は体が弱かった母は今の家に嫁いできてから健康になったという。
旧姓より嫁ぎ先の名字が良かったのだろう。
僕の子供時代の記憶の中で母が寝てるのを見たことがない。
50代の頃一度消化器系統の病気で入院、60代の頃には甲状腺の癌だったのかな?摘出手術を受けた。
その後は体はピンピンです。
いやいや7、8年前に食べれなくなって一度痩せたことがあった。
何とか持ち直してもらいたくて金曜食事会を2人で始めてそれも良かったのか元気になった。
今も元気で逆に僕が追い越さないように注意してる。

木工所で埃まみれになって働いて育ててもらった。
あまり料理上手ではなかったが、昼の20分前くらいになると台所へ飛んでいってみんなの昼食を作っていた。
僕ら家族と職人さんたちの分まで作ってた。
昨日の話は子供が母親を選んで生まれてくる ってのだったけどそこまでの記憶はない。
でももしそういうことがあるなら僕は人を見る目があった と言えるだろう。
ありがとう感謝しています。
コメント (12)
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