木工挽物という仕事

基本的には時代遅れの仕事
正反対の位置にいるブログから発信してみます
でもブログも先端じゃなくなりましたね

わがまま

2008-07-23 23:37:32 | Weblog
僕たちのような仕事してる人間にとってこれは愚痴になってしまうんだけど・・・
使ってる素材は 木 まさしく自然の贈り物です
自然だからいろんな表情を持つ
鉄とかアルミとか金属を思うと素人から見ればいつも同じ顔をして鎮座している
でも木というものはどんな素人から見ても同じ表情は決して見せてくれない
例えば太鼓のバチを作る
100本作れば100本のそれぞれ違うバチが出来る
極端に言えば100種類のものができる
・・・でもそれを全部製品として出荷できるかというとそうではない
例えば 一か所黒いゴマのような箇所があると製品として受け取ってもらえない
お客さんに買ってもらえない・・
確かに自分がその立場に立てば分からない話ではない
自分でもきれいなのと一ヶ所黒い部分が見えるものがあったらきれいなのを手に取るだろう
この辺は民族的な違いもあるということだ
一昔前の中国の製品はそういうことを度外視した
日本の業者がクレームを付けると「使えるんだからいいじゃないか」ときたそうだ
これは作る側から言えばもっともな話だが使う側から言えばちょっとちょっと という話だ
もっとも中国人というより世界の大多数の人もどっちかといえば使う方も割合作る側にやさしかったようだ
ただその中で日本の製品はクレームから育ったいい製品を提供し続けて今日のもの作り帝国の礎を築いたというわけ。


それはわかる
でも作る側のわがままという言葉を少し横に置いて考え直してみると
その一つの汚れと判断された一部分によって世に出ずに廃棄されていった用途としては十分使える「資源」も
おそらく膨大な量になってるに違いない
人間の場合、他の人にない黒子とかあってもそれはよく魅力になったりもする
ひとつくらいの木のその表情の変化に対して少しだけでいいから鷹揚に構えてやってくれないかな~~~
資源を大切に使うという意味でも ・・・というのは
やっぱり作る側のわがままかなぁ(笑)  と思っちゃうわけです

じつはそこまで許してくれちゃうともう少し安い品物が出来たりもするんですよね
現実性は乏しいけど。。。
コメント (4)
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