スウェーデン生活+その後

2010-2013年スウェーデンに在住し帰国。雑記、鳥・植物の写真
*海外情報はその当時のもの。
*禁無断転載

スペイン旅行その41 モンジュイック城

2011-11-13 21:40:34 | 旅行(スペイン・バルセロナ2011)
かくてモンジュイック城に到着である。元は1640年、スペイン王位継承戦争中に建造された要塞が始まりというから、随分古いものである。ガイドによれば、内部は軍事博物館になっているらしい。城の外にも写真の様に大砲がいくつも残されている。ただ最も正しい使い方は、自分がやった様に「晴れた日に登って景色を眺める」であると思う。恐らくバルセロナで最高のビューポイントであろう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

スペイン旅行その40 バルセロナ市内交通

2011-11-13 21:07:38 | 旅行(スペイン・バルセロナ2011)
市場を見終わった後に向かうのはモンジュイック城(Castell de Montjuic)である。城に着くまでの市内交通について少し。最初に乗るのは地下鉄である。かなり頻繁に来るので、移動には良いかもしれない。ただ駅の構内には段差が多い上にエレベーターも完全に装備されているとは言い難く、体の不自由な人やベビーカーを持った人にはあまり良いとは言えない。また職場のスペイン人の同僚に言わせると、地下鉄内部が特にスリが多いそうである。次に乗り換えるのが下左写真のフニ・クラ(登山電車)で、地下鉄3号線のパラ・レル(Paral・lel)駅から改札口なしで乗り換えることが出来る。最後に使うのがゴンドラで、フニ・クラの終点を出たところに駅がある。ただしこれについては別の切符を買わなくてはならない。確か一人9ユーロか何かで、結構高い。景色は良いのだが。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

スペイン旅行その39 サン・ジュセップ市場

2011-11-13 18:45:02 | 旅行(スペイン・バルセロナ2011)
とりあえず腹が減ったので食べてみた。魚介類を売っているらしきレストランが市場にある。入ってみた。オープンテラスなのだが、席について最初に言われたのは「荷物を足の間に置いて、置き引きをされない様に気をつけよ」という事であった。地下鉄でも日本語で「スリはあなたの荷物を狙っています。気をつけて下さい」と放送がかかっており、余程被害が大きいようである。
レストランはやはり美味い。シンプルな調理だが最高である。こんなエビはスウェーデンでは久しくお目にかかっていなかった。最後から2枚目は恐らくマテ貝。最後は蛸であるが、赤い粉はパプリカか何からしく、全く辛くはない。何を食べても美味かった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

スペイン旅行その38 サン・ジュセップ市場

2011-11-13 17:39:22 | 旅行(スペイン・バルセロナ2011)
バルセロナに戻れば昼過ぎである。何か食べるものを探した方が良さそうだ。エスパーニャ広場から地下鉄3号線に乗り、サン・ジュセップ市場(Mercat de Sant Josep)を目指す。駅を出ればランブラス通り(Las Ramblas)である。瀟洒な通りで、花屋が通り沿いに並ぶ。通りの右も左も高級店である。どこに市場があるのだろう?と思って見てみると、少し通りから奥まったところに市場が見えてきた。昼過ぎなのに、物凄い人出である。
下に市場の写真を並べてみる。ある意味スペインで最も面白い観光名所かも知れない。左から6枚目は野うさぎと野鳥。7枚目は臓物である。最後から2枚目は魚のすり身を挙げたものを串刺しにしたもの。ピンチョという名で売られていた。先日聞いた事は正しかった様だ。
ピンチョ
活気があるのは良いのだが、スリなどには気をつけた方が良さそうだ。スリにこそ会わなかったが、物乞いの数は多い。中にはずっと横に付いて歩いてくる物乞いもいて、ちょっと困る。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

スペイン旅行その37 コロニア・グエル街歩き

2011-11-13 16:30:21 | 旅行(スペイン・バルセロナ2011)
最後、フラフラとコロニア・グエルの町を歩き回ってみる。町そのものも全てモデルニスモの建築である(ただしガウディが関与したのは教会のみ)。19世紀末の名建築の数々が見られる。ただし中に住んでいる人々は一般の人々であり、プロパンガス?か何かを搬入するトラックも見かけた。
ガイドブックによると上写真と下の左から2枚はオルダル邸、左から3枚目から5枚目まではエスピナル邸で、いずれもジョアン・ルピオー・イ・ベイルベー(Joan Rubió i Bellver)の作とある。何れも繊細なレンガの模様が際立っている。最後から2枚目は広場に立つグエルの像。最後は教区の家とあり、フランセスク・バレンゲー・イ・ベイルベイー(Francesc Berenguer i Bellvehi)の作とある。静かな町であり、ぼんやりと歩き回るには適した場所だと思う。

さて、周囲の干渉が一切なく仕事に没頭できた筈のガウディなのに、どうして教会堂の建設を途中で止めてしまったのであろうか?現在でもその明確な理由は明らかではない。ただ、1909年に発生した以下の事件が大きく関わっていた様である。
Wikipedia「悲劇の一週間」
もともとモロッコでの軍事作戦に伴う徴兵に端を発した暴動であったが、やがて反教会運動になり、教会や神学校、さらには富裕層の家などが襲撃される事態になった。この情勢ではグエルはコロニア・グエル計画への出資を一回中断せざるを得なかった。何より、当時の人々が教会というものをどう見ていたかを端的に示している事件であったと言えよう。さらにガウディ自身も健康に異常を生じ、静養を余儀なくされたりもした。彼が何を考えて判断したのたかは定かではないが、最終的に彼は全ての仕事から手を引き、サグラダファミリアの建設の仕事一つだけに人生の全てを捧げて行くのである。
この手の「兵どもが夢の跡」的な遺跡を見せられると、ちょっと感慨にふけってしまう。日本人だからであろうか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

スペイン旅行その36 コロニア・グエル教会堂

2011-11-13 15:50:13 | 旅行(スペイン・バルセロナ2011)
一通り見たところで、観光案内所に戻ってみる。案内所には教会堂についてもう少し突っ込んだ説明が残されている。この教会が何故最高傑作と呼ばれるかと言うと、ガウディが構想、設計段階から一切外部からの干渉を受けることなく作れた教会とされている事に由来する。
この建築において有名なのが上に掲げた写真である。何をしているかと言うと、放物線を多用した曲線を作り出すため、紐を天井からさかさまに吊り下げているのである。「逆さ吊り実験」「逆さ吊り構造模型」などと呼ばれている。紐のあちこちにくっついているのは空気銃の弾丸を詰めたものである。最終的にこれを紙で包み、それを写真に撮り、その上でデッサンをしたという。19世紀末と言えばコンピューターも何もない時代である。よくこれだけ創意工夫をしたものだと感心する。
下写真はいずれも観光案内所のもの。一番左は恐らく最終完成予想図。中央は観光案内所の2階にある復元された逆さ吊り模型。最後はその模型の下にある鏡で、完成予定図を想像することが出来る。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

スペイン旅行その35 コロニア・グエル教会堂

2011-11-13 09:09:14 | 旅行(スペイン・バルセロナ2011)
最初、教会内部の撮影は諦めていた。教会の入り口にカメラの上に斜め線が入ったマークがついていたのだ。しかし中に職員の人が座っている。思い切って聞いて見る。写真を撮って駄目、というのは全ての写真が駄目なのか、それともフラッシュをたくなという意味なのか、どちらなのか?。。。答は後者。フラッシュをたかないなら良い、という事であった。そこで安心して写真を撮ってみる。上写真はステンドグラスの内側である。
下一番左は礼拝堂の正面。ちなみに中央の祭壇はガウディが仕事から手を引いた後に作られたものである。3枚目はキリスト礼拝堂で、この周囲だけが白い漆喰塗りになっている。4枚目は聖水器と呼ばれるものである。貝殻はフィリピン・ルソン島から運ばれた大シャコガイで、これを独特のデザインの鉄の器具で支えている。最後はステンドグラスを開いたところ。下の鎖を引っ張ると、写真の様に蝶が羽を広げた様に開く。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

スペイン旅行その34 コロニア・グエル教会堂

2011-11-13 08:59:44 | 旅行(スペイン・バルセロナ2011)
足跡を辿ると観光案内所に着く。案内所でチケットを買い、その後教えて貰った教会堂に着いた。緑の中、静かな場所である。いるのは椅子に腰かけた係員一人だけ。静かな場所である。
ガウディの最高傑作ということであるが、実際は未完成のままで終わった教会である。
コロニア・グエル
この当時は、都市の発展と同時に貧富の差も拡大し、労働紛争が各地で発生してきていた。実際、グエルも工場長の一人を労働紛争で殺害されている。彼はここに労働者を隔離して、理想的な労働環境を作ろうと考えたのであった。工場に住宅を隣接して建て、そこに教会を始めとした文化施設も一式揃え、貧しい農村の人々を迎え入れようとしたのである。ガウディも特に晩年は熱心なカトリック教徒であり、これに協力して中心の教会堂の建設を請け負うのである。
結局は未完成に終わった教会ではあるが、完成した部分だけでも十分美しい。下に外からの写真を並べてみる。左から2枚目はステンドグラスの外見。3枚目はポーチ下層部で、周囲から1段下がった場所である。最後から3枚目の写真の右下には、有名な聖具室の換気グリルのデザインが見える。最後から2枚目には魚のレリーフが見えるが、魚はキリスト、あるいはキリスト者の象徴である。階段で2階部分に登る事も出来る。2階には何もないが、最後の写真の様に街並みを一望できる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

スペイン旅行その33 コロニア・グエル

2011-11-13 08:49:54 | 旅行(スペイン・バルセロナ2011)
一晩寝て次の日は、朝から綺麗に晴れてくれた。この日は同じくカタルーニャ鉄道に乗り、バルセロナ近郊のコロニア・グエル(Colònia Güell)を目指してみる。昨日と同じくカタルーニャ鉄道(今度はR5線ではなくS4線またはS8、S33線)に乗り、20分程度。駅名がそのままコロニア・グエルになっているのですぐに分かる。ここにガウディの最晩年の最高傑作があるという。
駅は無人駅で、写真の通り駅の周辺には誰もいない。どうしたものか?と思ったが、駅を出てみるとすぐに分かった。下一番左の写真の様に、青い足跡が駅の出口から点々と続いているのである。これに沿って歩けばよいのだ。
周囲は完全に田舎町で、どこかで鶏の鳴く声が聞こえる。11月だが、まだ周囲は青々としており、最後の写真の様な背の高い(人よりも余裕で高い)猫じゃらしの様な草が大量に生えている。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする