皮膚呼吸しか知らない蛙

アスペルガー症候群当事者が、2次障害に溺れることもありながら社会に適応していく道のりを綴っていきます。

可能性

2012-01-28 21:14:49 | かえるの泳ぎ方

反省部屋で、すんごいムボーなことを、ものすごーく抽象的に 要求  アドバイス  され続けることに少々疲れながら、うーーん確かに一理あると悶々としています。

結構無責任な発言だよなあ。
それを実現するための、具体的な方法の一つも提示できない。できないですよね。当人そういう世界知らないんですもん。


でもね。

それ、数十年前から頭の片隅にはあったんですよね。
尊敬してやまない数人の方が、それぞれ異なる時期にワタシに対して下さった言葉。
それを紬合わせると、それは“アリ”だと思う。

可能性を潰しているのも自分だよな。

時を重ねるたびに、逃げ道を作ろうとしている自分自身があることも自覚しているし、

何かを深めるにつれ、益々断言したり、断定したり、考えや行いに絶対的なものはないと思うと共に、どこかで決断し、線引きし、そこで何かを疎かにしたりしている。


色んなムズカシーことや自分の醜い部分をひっくるめて、そういうのスパッと脱いでみて、何がしたいか?っていうのを素っ裸で感じた、その素朴なモノが、自分が歩み続ける道なんだろうなあ。


生きるということに、何か特殊な才能なんていらない。
というか、過去、今生きていること自体、才能でもあり、そこに適応してきたということでもあるんだろう。

生活するということも、そういうことなんだろうな。


そういうことの延長線上に、何一つ同じとは言えない“抽象的社会”に適応しているのかしていないのかわからない程に浸透する状態ってのがあるような、ないような。


ほんとバカだなー、って笑えるくらいもう一度愚直に進んでみようか。

可能性は自分で決めちゃあ駄目だよな。

 

あ、カウンターってのを久々に見て、アクセス数にびっくり。
こんな超無駄無駄ブログにお越し下さった皆様に、ただ感謝。


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2 コメント

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Unknown (ぴーまん)
2012-02-03 23:34:04
可能性は誰もが決めれないモノなのだなぁ、と実感しているこの頃です(苦笑)。
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放置すみません (pluto)
2012-03-16 20:03:54
>ぴーまんさん
こんばんは。
過信や卑下はしない、と付け加えると、より現実味が増すなあ。
と思う今日この頃です。
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