最近つくづくそう思います。
私が生きてきた恐怖や不安の世界は私の内面が描いた世界であって、客観的にはそうでないとも捉えられる。
自分が思っているほど酷い状況ではなくても、私の内面がすさんでいるとそのように捉えてしまう。
要は私自身の捉え方次第で世界は変わると言うことを実感しています。
私は環境因で主に恐怖に支配されてきました。
それは実際にある恐怖なのですが、恐れるものがなくなった世界で . . . 本文を読む
自分を取り巻く環境はやっぱり変わらない。
自分のことを理解して欲しいという前に、周囲のことを理解する姿勢を示して自分自身ができる努力をしないと。
「ありのまま」という言葉ではやっていけない世界があるということ。 . . . 本文を読む
どう生きていくにしても、この表題の件はクリアしていきたい。
何をどう考えてもこれは絶対条件になる。
基本的に「人生は楽しんでなんぼ」なのだから、
人を笑わせることは重要なこと。
それには自分が笑っていないと。
心から楽しめる小さな事を積み重ねていきたい。
これからはそういう選択をしていきたい。
今日のNHK大河「花燃ゆ」をみていて思ったのですが、
井上真央さん演じる . . . 本文を読む
リアルでもネットでも本音が出なくなってきた。
そういうことがたまらなく辛いのですが、人生ってそういう物かも知れませんって取り繕っている自分が居ます。
感情をフラットにするという選択が、私の生活の多くに平穏を与える一方、らしさというものが消えたような気もします。
最近趣味が一つできました。
一人カラオケです。
腹の底から思いっきり声を出すとすっきりします。
2時間目一杯歌って1ドリンク付 . . . 本文を読む
まだ40年しか年齢を重ねていないのですが、その40年を10年ごとに区切ると30歳から40歳が最も苦悩した10年でした。
簡単な言葉で表しますと、現実的な問題に直面し続けてその事を思考によって乗り越えようとして挫折して、状態が悪くなったところで薬により強制的に思考停止状態に陥らせて凌ぎ、再び現実的な問題に直面する。
私は「発達障害」という言葉を与えられた時、「全ての問題は自分にある」と解釈しまし . . . 本文を読む
私は7年前に発達障害の診断を受けました。
「発達障害カテ」では二次障害と言われている「気分障害」との付き合いは15年を超えました。
幼少期、小青年期の類似症状を抱えた時期を含むと、人生の半分以上は「気分障害」とつき合っています。
発達障害は社会性の障害と言われていることもあるそうですが、その概念を突き詰めていく程に自責の念が強くなってきます。
私は数年前に発達障害支援センターで講演をさせて . . . 本文を読む
何か出来事が起こったとき、ヒトはその刺激を入力し感覚を感情に変換する。
感情への変換方法は経験則に基づいており、年齢を重ねるに連れより固定されていく傾向を示す。
凝り固まった思考や感情では発達を促すことは難しい。
自分の持っている固定観念や思考回路を客観的に見直す事は非常に困難で、それを崩す作業は自己肯定感を欠いたり、自我が曖昧になったり、様々な厄介なことも起こりえますが、それを乗り越えた時 . . . 本文を読む
今日のことを思いだそう。
この思いを上手に操縦できるようになると、きっともっと暮らしやすくなる。
ー歩でも、半歩でも。
それしかとりえがないと思わず、
そんな取り柄があってよかった。
天秤のように、青竹のように。 . . . 本文を読む
閉じた系の中で深く掘り下げたところで、その系から抜け出ることはありません。
変化するための要素は知っているはず。
それを行い続けることだと思います。
そういう意味でプラシーボ効果は助けになるけれど、あまり傾かないように。
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4日+1日おいての1日、まるで動けず。
それに対してどう、と言うことはありません。
もっと本気でがんばらないと。
自分を責めてただ潰れることも、短絡的な衝動でしかありません。
小さなことで悩んでいる自分自身も嫌ですが、そこから安易に逃げようとする自分は、もっと厭だと言うことに直視したいと思います。
ここでも言いたいことが言えなくなってきました。
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題名に書いたことなんかは、生きていたらよく起こるんだろうなあ。
そのたびに絶望とか、何かのせいだー、なんてしていたら、それこそ生きてはいけないと言えばいいのか、どうなのか。
よけいにしんどいというのはそうなのかも知れない。
不条理とか、理不尽とかって、成長の過程でいくらでも体験してきている。
その昇華方法で悶絶したって、そりゃあその時の自分が受け入れられる方法でしかないのだから。
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状況や事象は、「抽象的にはある一刹那においては一定」ではあるだろうが、
入力も解釈も出力も・・・
自分自身で具現化している。そしてそれは、当然変化する。
・自分は自分である(孤独というものを知るでもいいかな?)。
・十人十色は万物に適応可能である。
というものを前提条件に位置づけると、なるほど、と見えてくるものは多いよなあ。
同じ言葉でも、ワタシが変わると当然変わる(アタリマエか)
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