最近つくづくそう思います。
私が生きてきた恐怖や不安の世界は私の内面が描いた世界であって、客観的にはそうでないとも捉えられる。
自分が思っているほど酷い状況ではなくても、私の内面がすさんでいるとそのように捉えてしまう。
要は私自身の捉え方次第で世界は変わると言うことを実感しています。
私は環境因で主に恐怖に支配されてきました。
それは実際にある恐怖なのですが、恐れるものがなくなった世界でも実態のない恐怖にさいなまれていたことを痛感します。
私は戦場に行ったことはありませんが、チキンな私は戦場から帰ってきてPTSDを発症なさった方に近い状態を長く続けていたのでしょう。
今の私にとって最大の恐怖は、飢餓と疫病です。
ユネスコなどが支援している国の子供達でしたら上記の問題は起こりえますが、成人として日本で生きている私にとっては「貧困」と「疾病」というのが現実的なレベルです。
「貧困」に関しては、少しずつですが継続して働けるようになってきました。
「疾病」に関しても、フィジカルの強化とともにメンタルの安定化を図っています。
この世界はそれほど恐れる必要もないことを少しずつ理解できてきました。
それ以上に私が恐れるがあまり、私のアクションに周囲が反応して悪循環を起こしていることも何となく解ってきています。
私は私の人生を楽しみたい。
この課題に、生きている限り一歩一歩挑戦していきたい。
日本でも、東京の都会の真ん中で、餓死したというニュースが以前ありましたね。「貧困」は、日本でもあるものが足りないと起りえるものかもしれません。
しかし、社会福祉制度の恩恵にあずかり、親兄弟と仲良くやれば、だいたいは、「貧困」は解決できるのが日本でしょう。
そうですね、仰る通り恐怖感が被害妄想を産んで、悪循環するのでしょうね。おおらかに、楽観的に生きましょうよ。
以上、ながながと失礼しました。
はじめまして。よろしくお願いします。
ありましたねそういうニュースが。
私は今更ながらで恥ずかしい限りですが、あるものへの有り難みを感じられるようになってきました。
社会福祉制度と親族、仰るとおりですね。
おおらかに、楽観的に生きておられる方はまぶしいです。