もって生まれたものもさることながら、二次障害とこちら方面で呼ばれているヤツを物心ついた頃から併せ持っていることも絡んで、押さえておくとスムーズに進むんだろう、って要所の感所がズレていたりする。
ワタシの場合、以前は24時間緊張状態という有様だったりした。その状態自体かなり不健康極まりない生き方なのだが、当時はそうせざるを得なかったという事情もあったりする(ワタシが認知の歪みカテゴリで書いていること . . . 本文を読む
ヒトが何かの行為をするということは、どこかの誰かと接点を持つということ。
ある大先生のお話をお聞きして、今更ながらびっくりしたのだが、ヒトが行為の選択をする際、選択に影響を与える要素の殆どは、自己利益と道徳的判断で説明づけられるらしい。
自分にとって損か得か、という概念、ワタシの中には希薄だったりする。まあ、世間知らずとか、甘ちゃんとか、自分の人生設計をきちんと考えられないお子ちゃま、とか言われる . . . 本文を読む
今現在、ワタシが自己の感覚を全て開放することはできない。
ずっと以前にはアディクションとある程度直結している部分が多々あったが、幾分年齢を重ねてきたおかげか、欲求に対する抑制に関しては、稚拙ながらある程度は制御できたりする。
感情を凍結させているトキは感覚はある程度単なる情報の山積として処理することが可能であることは、経験上少しだけ理解出来るようになっていたりする。
ヒトという生き物は、感覚を自 . . . 本文を読む
バットにボールが当たる感じというのはキモチイイ。空振りというのはヒジョーにエネルギーを消耗するし、腰を痛めたりなんかする。
会話においても、こりゃヒットだろ、と思うトキは気持ち良かったりする。
ワタシなんぞはあまりの空振りの多さに、球が当たる感触がスッカスカに抜けていたりする。実はまずまずのヒットらしいことがあっても、本人に感触がまるでないので、バッターボックスに仁王立ち、レフトゴロなんてことに . . . 本文を読む
パソコンを修理に出して数カ月、帰って来たかと思えば治ってなかったなんてことがあったりして、改めて自分自身の生活の一部をコンピューターに依存している事を感じるとともに、それが存在しなくても成立する世界を覗けたり、こうして携帯から繋ぐ事を覚えたり、それも世界のほんのごく一部だな、と感じる。
ヒトが意識を意識せざるを得なくなって一世紀。無意識の領域が年々狭くなっていたりする。
個体に到達する情報刺激 . . . 本文を読む