皮膚呼吸しか知らない蛙

アスペルガー症候群当事者が、2次障害に溺れることもありながら社会に適応していく道のりを綴っていきます。

石橋に鉄筋コンクリートで耐震補強をして疲れ果てる

2009-05-22 23:26:56 | 認知の歪み

ワタシが初期配備のものを後付で増幅してしまったスキルというか自己防衛規制です(環境影響力も大)。

ヒトから教わることって、やっぱり絶大だなぁと改めて思う。すんごい遠回しに言われてきたことを繋ぎ合わせていくと、なるほどヒトの言ってくれていることに納得してしまっています。
(“字義通り”という言葉の意味がどうにも腑に落ちなかったのですが、浅いような深いような、“深読みしなけりゃうまくいく”の意味ともマッチしており、書き残しておきます)


ワタシの昔からの癖なんだろうと思いますが、大変厄介な傾向を持っています。
職場で指摘を受け、今頃自分自身で気付き、ちょっぴり絶望なんかしています。

どうやらワタシは何か物事を行う際に、いつも鬼のように予習をしているらしい。
今の状態としては、教える系仕事場において上司の方のやり方のポイントを教えて頂きました。
その方はノウハウなども熟知しておられ、様々な経験からその考えに至ったのだろうと思うのですが、“仕事の前に何も準備しない”そうです。
といっても端から観察していると、当然準備はされていますし要所や用意するものもきちんと事前に用意されています。
何より素晴らしく冷静だったりします。融通が利くとか余裕があるとか言うんでしょうね。

一方のワタシときたら、あれも用意しなきゃ、あー、あれもだ。
あんなことになったらこんなこともしなきゃいけない。
こんなこと言われちったらどうすんだよ。
ていうか、そもそもの情報不足できちんと事前準備出来ないではないか。
や・やばい・・・
と実は前日の時点で絶望していたりします。
それでもって、本番では体力的にも精神的にも摩耗しており見事にずっこける(ワタシ的ずっこけ意識と客観的観察者のずっこけ感はだいぶんずれているらしい)。

様々な要素が結合しているのですが、そういうときのワタシの頭の中の世界は“不安と恐怖・・・99%”
勝手に気持ち悪くなったりしています。
頭の中のシミュレーション結果の中に“失敗例”が発見されると警報が発生したりします。
その非常事態はワタシ自身が計測した最大継続時間でなんと2年間。断続的には自覚というものが形成された時期から現在まで続いています。
毎日脳が“EMERGENCY状態”。


臨床心理士さんにはその長周期非常事態宣言を“暴走”と伝えているのですが、どうやら“プチ暴走”が存在し、“プチ暴走”の連鎖がトンデモナイ混沌の世界を勝手に脳内で構築し、自滅しているパターンを描いていることが確認されました(って気付くの遅いよ自分)。周囲にもいいイメージは与えないので二次的にワタシに返ってきますが・・・


少し以前にやっていた仕事は、クリエイティブとか何とか言われる部類に入っていたりなんかして、仕事の出来に際限が無いようなものが多かったのですが、どこまでやれば良いのか自分でも理解出来ずに寝る間も惜しんで仕事していたのですが、もともとワタシに才能がなく、出来映えも自分的に“いま いち さん”くらいのものなのが恥ずかしくて恥ずかしくて、ヒトには見せられないで来ました(一応顧客は金額と納期と出来映えの相対評価からそれほど不満があるというものでもないのかどうか、クレームを受けたことがないのは救いです)。

これに関しては実は子ども時代に“褒められた経験が一回もない”という残念な過去もリンクしていたりすると予測しています。
成人してからあるところで絵を描いたときプロの方に褒めてもらったことが一回あったのですが、褒められるという行為を受けたことが無かったのでどういう反応をして良いかわからず、ムスッとしてました(たぶん)。
それでもってその絵が気に喰わなかったことから破り捨てちゃって今頃埋立地の土壌の一部だと思います。
小学校時代に自分なりに会心の力作の絵を描いたことがあったのですが、先生に“何コレ?”とポイッと捨てられた経験があったりします。そこからワタシの絵は他人の要求する絵になって行きました(自慢たらしくてすみません)。


話の本線がずれたのですが、その前の仕事は文章を書くような仕事をしていたのですが、これまた際限がなかったりします。専門知識の習得に膨大な時間を要するのですが、まわりの方の多くは“ヒトに聞く”という最も効率的な方法をとっていただろう(だろうというのは昨日気付いたw)と想像するのですが、ワタシは夜中の社内で専門書を片っ端から読みあさっていました。
ワタシにとっては自己の不安から逃れる最良の方法で知的好奇心を燻る素材と思っていた行為なのですが(ヒトがけっこう怖いというのも前提条件にあります)、その何百冊の情報の詰まった脳みそで書いた文章は、ワタシの実像とはほど遠いモノに仕上がっていたのかも知れません。そんな訳でやってることはめちゃくちゃでもクビになることは無かったかわりに、身体がボロボロになりました。


ワタシ、実はカウンセリングというものを受ける前に、毎回医学専門書とか心理学専門書とかを何冊か予習で読んで何年か受けていました。もうほんと強迫的というのがやっぱりピッタリくるんでしょうね。臨床心理士さんはほんとワタシみたいなのによく付き合ってくれてるなあ、と申し訳なく思っています。だって毎回すんごい言葉を選んで話をしてくれているのがヒシヒシと伝わってくるし、そもそもワタシの感度センサーが常人離れしてると言われてしまっている有様ですから・・・神経すり減らしてしまいましてゴメンナサイ。でもワタシも度々絶望に意識を失いながら(勝手に)闘っていました。風車と闘うドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャの様に。


さて元に戻るのですが、“講義の前になにも準備しない”と言って下さった方の真意は、ワタシが先読みしてあれこれ悩みすぎなことがちと心配、と言って下さってるのだろうとさっき思いました。
なんて言うんでしょうか、ここ何年か考えてきたことなんですが“無心”の状態というものを持つ必要がワタシにはあるな、と思っていたりします。
時の流れに身を任せる。
目の前にあるものをありのままに“視る”“見(ケン)”

人生の達人たちは、自分という容器の中に余白を有し、その時、その場、そのヒトに応じて容器の形を変形させているんですね。大聖堂のステンドグラスの一枚の色ガラスは各々色も形も異なるが、無数が繋がり合って一つの絵を、一つのストーリーを形成している。
そして差し込む日差しの強度や輝度、照度によりその色は各々が各々の組成に応じて変化する。

ワタシの脳内は、そういうモノが日常的に世界を構築し“ふつう”のヒトが感じない世界を体感しているような気がしている(“ふつう”の感覚をスルーしまくっている可能性大なので、特別とかではなく異質なんでしょう)にも関わらず、対人関係においてはまさしく窒息しそうなくらいに窮屈な存在に見えるのだろう。
事実ワタシ自身、毎日チアノーゼだったりする。
ものすごく余計なところで気を使い、終止表情は変わらず、勝手にテンパッている。
そりゃあ、周りのヒト的には逆にものすごーく気を使うわな。
ほんと申し訳ない(というかそれをいうのもまた気を使わせるのでどうすりゃいいんだ、これは)。

幸いここでもクビになるほど手に負えない訳ではないらしい。
とにかく肩の力を抜いて、能面みたいな(ワタシ個人は能面は日本人の繊細な顔の表情を的確に表現した日本文化の一つの集大成だと思っているのだが、ここで言われるのは“千と千尋の神隠しのカオナシ”みたいなの.....ああ、そういやむかし“カオナシ”って言われた...orz)顔してるのにテンパッたら他者視点的に挙動不審になるは、生まれたての子鹿のように頼りなさげ100%だわ、そりゃあ問題だろう。

テンパる原因の2大要素は別にも存在するのだが、とにかく石橋を叩くどころか、この石橋大丈夫か?力学的にやばいだろ。地震がきたらどうする?M8.0だと○○と××は必要だろう。不意打ちに土石流なんてきたもんなら、こういう対策も必要だよな。
なんて言ってるうちに、イカツイ要塞みたいなのを勝手に建造して本番前に燃え尽きていたりする。公園の跨げるくらいの小川に明石海峡大橋級の吊り橋を建造しようと企んでいたりする訳である。ただ渡るのが目的なのに・・・

我ながらバカ丸出しであったりする。


まずは沈下橋的発想を試してみよう。大雨がくりゃ川に沈んじゃえばいいじゃん。
ワタシの脳みそは厄介である。そして視るヒトが視ればお見通しということだ。

ああ、問題は他にも複合してるけど、これをまず課題にしてみよう。
もうちっとスマートに生きられそうな気がする。


この記事にはアスペルガー症候群とワタシの持つ二次障害の要素が結構散りばめられているような気がします。



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8 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
耐震診断はERS-耐震構造研究所- (耐震診断はERS-耐震構造研究所-)
2009-05-25 13:14:42
当研究所は建築構造設計・耐震診断を通じて安全な街づくりに貢献します。
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耐震診断 (pluto)
2009-05-25 19:07:10
>耐震構造研究所さん
こんばんは。
構造設計・耐震診断は日本では大変だと思います。素晴らしい研究ができますように。
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EMERGENCY状態 (はるぼん)
2009-05-25 19:41:33
昨日は完全にその状態でした。
予測できない事が起きるとなんてもろいんでしょう・・・。
私は石橋を叩いてわたらずに、はじめからある橋を信じずに、自力で橋をかけるか泳ぐか、軽くわたれる先まで歩くか・・・
と言うタイプなのだと思います。
それは、パターン解析がとろすぎるからだと思います。そのくせ、臆病だから・・・
結果、ドツボにはまる。。。(笑
(あ、ちょうどコメントいただいていたみたい。うれしいです。)
こうやって、人の力を借りて乗り切ること今までほとんど経験がないのです。
やっと、人間になれたか???(笑
plutoさんにも、感謝です。
私に考える力と自分の感性を信じること教えてもらった感じがします。


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これがパニックなんでしょうか? (pluto)
2009-05-26 16:58:00
>はるぼんさん
こんばんは。
ああ、ワタシも泳いで渡ってるときありそうです。
基本的に臆病なのでどーってことないこと(本人的には生きるか死ぬかの瀬戸際)で絶望しているみたいです。
ワタシもヒトの力を借りる経験値がなさすぎます。自己解決しか選択肢を知らなかったんですね、ワタシの場合。今少しずつ勉強中です。
こちらこそ感謝しています。
あ、大学時代「はやく人間になりたい」というようなテーマの論文を執筆してました(笑
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感心。。。 (くすのき)
2009-05-26 23:48:36
いつも文章がお上手だな~って感心していたのですが
お仕事でも文章を書いておられたのですね。
絵も描いておられたのですか。
ブログ村のお写真の龍の絵を見てきっと絵画がお好きな方なんだろうな~と
思っておりました。
(あれはどなたの作品でしょう?北斎でしょうか??)

『石橋に鉄筋コンクリートで耐震補強をして疲れ果てる』
まさにそうですよね~。
上手いこと表現されるな~とまたまた感心。

私は石橋は誰かが渡るのを確認したら深く考えもせず
渡ってしまうんでしょう。


今回の記事では主人とplutoさんが重なります。
主人は自分の事だけじゃなく私がすることも不安で不安で仕方が無いようですよ。

パソコンでネットすることになったときもブログをはじめたときも
携帯電話を持ったときも オタオタしておりました。
携帯にいたっては「悪への扉」のように言われました。
家庭崩壊の危機!って感じで。。。(;^_^A


今日もソルトキャンドルを頂いたので火を灯しておりましたら
「火事になったら。。。」と不安そうでした。
火を消した後も「そこから火がでるかもしれない」って。

>頭の中の世界は“不安と恐怖・・・99%”
そんな感じでした( ´艸`)

でもそういうところがまた可愛いのですがね~。
(あ、失礼いたしました[m(__)m])


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びびりなんですよ (pluto)
2009-05-27 20:54:46
>くすのきさん
こんばんは。
龍の絵は小泉淳作画伯(日本画)の平成14年の作品です。
この絵のあるとある場所がワタシの隠れ家だったりします。

いろいろ考えたんですけど、ワタシが不安な場面が多いんですよね。昔表現した言葉では「地雷原で育ち踏んだ経験のある子どもは、地雷がないと言われても怯えながら歩く」

可愛いと思って貰える旦那様は幸せ者ですね。
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ありがとうございます。 (くすのき)
2009-06-06 19:57:00
小泉淳作画伯の作品なのですね。
やはり天井画でしたか~。
素敵です!!
ねっころがって ゆっくり じっくり観て見たいです。
「石橋に鉄筋コンクリートで耐震補強をして疲れ果てる」
について主人とゆっくり話してみました。
主人は、石橋に耐震補強をして さらに手榴弾を投げてみて「あ、壊れた。渡れなくなっちゃったよ」っていうタイプだそうです~。

>「地雷原で育ち踏んだ経験のある子どもは、地雷がないと言われても怯えながら歩く」

これも分かりやすい!
そうですよね。
これに関しては主人より息子に当てはまります。
怖い思いをするとその場所に関すること全てに
警戒心が出てしまうんですよ。

plutoさんのブログは、本当に心の中を分かりやすく表してくださっているのでいつも勉強になります。

いつも思うのですが私の感覚ではplutoさんは
とっても素敵ですよ?
お話しててもきっと楽しいと思うんですが(*^▽^*)


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あ、場所も知ってるみたいですね (pluto)
2009-06-07 00:32:58
>くすのきさん
こんばんは。
意外とヒトの少ない場所ですので、寝転がってじっくり観られますよ。
旦那さんは手榴弾を投げますかあ。大変だなあと思います。

子どもは何かと地雷が多いと思うんですね。
警戒心や防衛態勢を取らなくてもいいところが多くなるといいですね。

くすのきさんが社交的なんですよ。
羨ましい限りです。
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