皮膚呼吸しか知らない蛙

アスペルガー症候群当事者が、2次障害に溺れることもありながら社会に適応していく道のりを綴っていきます。

北風と太陽

2009-01-27 16:07:12 | アスペルガー症候群

北風さんと太陽さんは、おんなじ目的を持っていたりするらしい。

ヒトのコートを脱がせようと各々作戦を練っている。

北風さんは、自分の特技を生かしてコートをはぎ取ろうとする

ヒトは、その風に飛ばされまいと返ってコートに執着する(寒いのやだし)。


この出来事は、太陽さんにとっては有り難かったりする。

そもそも北風さんのような存在がいなければ、コートなんて必要なかったりする。

太陽さんが幅をきかせている世界は、常夏だったりするものである。


太陽さんは、自分の特技を生かしてコートを脱がそうとする

ヒトは、欲求に正直だったりするもんで、暑いのやだからコートを脱いだりする。


なるほど、太陽さんのほうが“いいやりかた”をしているみたいに見える。



でもちょっと考えてみると、大して違いはなかったりする。

どちらも、ヒトがコートを着たいか脱ぎたいか、“そのヒトの気持ち”を考えてなかったりする。

そこにあるのは、ただ“どちらの方法が正しいか”という自己満足だけだったりする。


そういう意味でも、似たもの同士だったりする。

 

こういうことは、往々にして起こっているらしい。


太陽さんが幅をきかせている世界では、
子どもを車に寝かせておいたら、大問題になってしまう。
早明浦ダムの貯水率は常に0%になり、トイレの水も流せなかったりする。

北風さんが幅をきかせている世界では、
500円の傘は役立たずだったりする。
スカートをはいていたら、常に“マリリン・モンローの七年目の浮気”的世界だったりする。


これは、自然だったりするから、“しゃあないなあ”で済まされることだったりするわけだが、
ヒトがやってしまうと、“傲慢というもの”に見えたりするらしい。


北風さんも太陽さんもお互いの存在で成り立っていたりする。

ヒトの事情とは関係のない世界で


ヒトにはヒトの事情があったりする。

そういうことを考えることは、なかなかムズカシイらしい。

なので“ふつう”というのがあったりする。

ふつう”という領域で、ヒトに迷惑をかけなければ、“ふつう”という領域を踏み外してもいいらしい。

しかしそれはかなり難易度の高いテクニックだったりする。



ワタシのような凡人は、“ふつう”という着ぐるみ コートを被ることでさえヒーヒー言っていたりする。

そのヒーヒーを一生するのと、裸で“へんじん”と呼ばれ続けるのと、どちらが幸せだろうか?


選択肢が2つしかないと思ってしまう世界から、抜け出してしまってもいいような気がする。


抜け出した世界も、何一つ変わらない世界だったりすると思う。

相変わらず、ワタシに関係なく、北風さんと太陽さんはそこにいたりする。


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2 コメント

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はじめまして (kan)
2009-07-14 09:38:59
はじめまして!kanといいます。
大学で美術を学んでいます。

今、あなたのこの日記と殆ど同じ考えで作品を制作しています。
いろいろ、考えがまとまらず行き詰まっていたときにこの日記を読んで、なんだかとても気持ちの整理がつきました。
それが嬉しくてついコメントしてしまいました。

北風も太陽もお互いの存在のおかげで成り立っている。本当にそのとおりだと思います。

この日記に会えてよかったです。
ありがとうございました。
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はじめまして (pluto)
2009-07-14 20:53:34
>kanさん
こんばんは。
文章から何かを感じて下さるのはとても嬉しいです。
自分自身で納得のいく作品ができますように。
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