自分の中に沸き起こった感情は、まず表現してみることがいいと思います。
言葉や動作等々、どんな方法でも良いですし、一回外に出してみることは何かといいことが多いと思います。
利点の一つ目は、伝えること。
それを読みとることや伝えることこそがコミュニケーションですし、そういうことを繰り返して自己を主張したり、他者を理解したりすることの始まりになりますから。
発達というのは経験の蓄積に比例すると思います。経験の蓄積によって自分という芯の部分を形成しながら絶えず変化していくことでしょう。
人間の意思疎通は言葉に多くを依存していると思っていらっしゃる方が多いそうですが、言葉は意外なくらい曖昧な物です。
伝えたつもりでいても、実は伝わっていないことは多いです。特に日本語には曖昧な言葉が多いという点もあるそうです。
伝えたつもりで伝わっていないのは、感情的に結構しんどいですよね。
あきれたり、失望したり、イラっときたり、怒ったり。そういうこともあると思います。お肌によくないですね。
そういうことはどちらか一方が悪いわけでは無いと思います。
伝えることが目的なのですから、伝達方法をお互いに摺り合わせた方が良いかも知れませんね。それもしんどい時は勝手な解釈で消化するのも一つの手だと思います。
その時の感情は、情報伝達の副次的産物でしかありませんから。
人間って、一人一人、文化、風習、習慣などが異なる個体なんですよね。
脳って意外なくらい自分勝手にカテゴライズしてしまっています。自分が慣れ親しみ、馴染んだ感覚や感情こそが普通であると思ってしまう生物なのかも知れないですね。
全く知らない国の人なら許容できても、いつも近くにいる旦那だったら同じことでも許容できない。
そういう生き物ですし、それが自然なんだと思います。
いずれにしても感情を伝えあうには、感情を表現しないと始まりませんね。
二つ目は、自分の楽を知ること
何かの事象が起こったとき、人間って内部で感情の振り子みたいな物がある方向に振れるみたいです。
振れる方向や振れ方は人それぞれですし、ここでは自分の中でどの様に振れるか?ということに注視してみます。
その振り子が楽の方に振れる事象は、今の自分にとって快適な事象ですし、それが継続して同じく振れることは自分に向いた快適さを知る指針になると思います。
これは、起こった事象に対する一時的反応ですが、応用するとそれに対する自分の行動にもあてはめられると思います。
自分がどういった態度や言動、行動を起こすと楽になるか。
自分が選択する時の、ひとつの目安になります。
三つ目は、ある感情を超えた先に別の感情が芽生えることを知ること
感情を全開に表現することは必ずしも良いというわけではない、と言うことを知ることもあると思います。
言い換えると目先の感情に流されなかった先に別の感情が産まれることを知ることは大きいということです。
こういうことを経験できるようになると、感情を表現するだけでなく、感情自体を操ることも少しずつできるようになってくると思います。
自分で使いこなせるようになると、それは遙かに快適です。
最後に、自分と他者と身を置く環境での楽を知ること
先の三つを使って、自己・他者・環境を繋げることで、楽が増幅したり相殺したりすると思います。
どういう場で、どの様な人と、どんな機会に、何を、どうしたら楽か。
そういうことを繰り返していく事で、自分がその周りの方が、よりニュートラルな状態で生活すると言うことに繋がると思います。
そして出来た世界は、「自分らしい世界」になっているのでは無いでしょうか。
読んで下さってありがとうございます。
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