いやー、桜の季節に間に合いました。
今年はきっちりやり終えたところで、半分燃えたくらいの小火程度で済みました。
さて、一段落したところで、何から書こうかと考えたのだが、現状の自分のことをやっぱり書こう、と初心に戻る。
ワタシ、自分で言うのもなんだが、ものすごーく『自分の世界』が狭い。
誰に言われるでもなく、自覚できる程『狭い』。
いや、もうこれは開き直っても、何をしても、もう手の施しようがないほどの狭さなので、そのまま自分の持ち駒で勝負している。あ、勝負というと、なんか挑戦しているみたいだが、そんな積極的な感じでもなく、ただ等身大の自分というかなんというか、もうそのままで生活しているわけで、周囲の皆々様に大変お世話になっているわけである。
そんなこんなで、それでもそれなりに成り立っている、というのが現状であり、今居る立ち位置を有り難くも感じ、それ以上でもそれ以下でもない自分であることを毎日こなしている『つもり』である。
さて、世間は4月とやらに入ったらしく、昨年度の〆と、新たな今年度に向けて動き出していたりする。
ワタシ、実は8ヶ月ほど前から、『昔取った杵柄』的職種として、とあるところにお世話になっていたりする。
その8ヶ月前を振り返ると、『出る時は出る引きこもり』だったわけで、言ってみれば半分寝たきり(外で)、職業人としては『使い物』にはならないような状態ではあっただろう。
何だかんだ言いながら、超“まにあっく”な職種なことや、周りの方々、声をかけてくれたヒト、等モロモロの条件に恵まれ、今日まで『それなりに』継続して生活を送ってこられた訳で、ワタシ個人の考え方、体力、適応力、精神力、慣れ、感etc、様々な面で個人的に感じるいい方向に向かっている様な気がする。
で、この度契約更改をして頂けた訳で、ヒト様の評価とかははっきし言ってよく分からないが、とりあえず今後ともワタシを雇って貰えるらしい。今までとはちょっと待遇もいいらしい。
らしい、というのはいまいち実感がないわけなのでが、まあ『居ないよりはマシ』と言う程度かな?、と思っていたりするわけだが、とにかく“窓際”でも、“窓の外”でも、“屋外”でも、なんでもいいのだが、関連しているところにおいて、ワタシの存在は『良し』とされたわけで、ワタシ自身の社会基盤も維持された訳である。
あ、ワタシはどちらかと言うまでもなく『バリバリ出来るヒト』とか『役立つヒト』とかいうようなタイプではないだろう。そういうのはヒト様が『評価してくれる』モノなのかもしれないが、そういう意味においても、ある一定の線は維持出来ていると解釈してもいいのかも知れない。
ワタシ個人としては、そういうのに無頓着だし、よく分からないので、ヒト様にお任せしている。と言っているのは、何も自分自身がそういう方面で『努力を惜しんでいる』とかいう訳ではなく、ワタシはワタシなりに考え、行動している訳で、それに対して評価とか認めるとかいう線引きをする他人の尺度に関しては、他人に任せているというだけで、“努力”という言葉を使うなら、してもいないことはないし、木偶であることを通していると思っている。
それにしても、今年度も戦力として見込んでくれている訳であるから、ワタシとしては『有り難い限り』である。
この8ヶ月、ワタシ自身が言うのも筋違いかも知れないが、ワタシというモノを意識的に変化させて来られたような気がする。
考えにしろ、態度にしろ、対処にしろ。
一番大きなところとして、ワタシの奏でる旋律と、ワタシが踊るステップを意図的に変化させることを心がけてきた、というのは大きな前進なのかなー、と思っていたりする。
ワタシは、『変化する』のは自分自身である、と思っている。
世間や他者、環境や社会を変化させようと意気込むのではなく、ワタシ自身の視点、考え、感覚、対処、行動、を変化させることが、ひいてはワタシが描く『世界』を変革させる唯一の方法ではないのかな?、とかなり意識できるようになった、とでも言うのだろうか。
とりあえず、ズンドコ状態からは抜けたような気がする。
ワタシはこれからも『自分が変化し続ける』ことを意識していきたい。
変わらないコトも大切だとは思うが、ワタシ自身が意思を持って自分を変えていくことを意識したいと思う。
こんばんは。
ありがとうございます。
けーざいてきな安定は、心身の安定に直結するみたいです。