道草あつめ

日常思いついた由無し事を、気ままに拾い集めています。

「そうだ、彼岸、行こう」

2010-06-24 23:35:47 | 言葉
電通に言われるまでもなく、キャッチフレーズは重要なものである。(そういえば、電通自体の広告はあまり見かけない。)
毛沢東が数億もの人間を十数年に渡って煽動し続けるという空前絶後の偉業をなしたのも、彼の天才的なまでのフレーズ力に拠るところが大きい。
「你死我活」「造反有理」「人多力量大」「不爬長城非常漢」等々。簡潔でリズムも良く、しかも意味は極めて明瞭で憶えやすい。
かつて白話運動の提唱者胡適は、毛沢東の文章について、「白話を完成させるのは彼である」と述べたが、その評は実に正しかった。胡適自身の白話文学は見るに耐えないお粗末なものであるが、毛沢東の文章は芸術的なまでに完成された白話である。



ところで、日本で最も有名な仏教経典といえば般若心経で、真宗・日蓮宗を除けば、ほとんどの宗派で用いられている。
この経典は大般若経(オソロシク長い)のエッセンスを取り出して短くまとめたもので、非常に短いのにも関わらず効果抜群であるというのが最大のセールスポイントである。中でもその末尾にある呪文は、それを唱えるだけでもご利益があるというのだから、エッセンス中のエッセンスと謂えよう。
しかし、この呪文、漢訳では音写するのみで訳出されていない。
「羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶」
というのも、原文がサンスクリット文法の規則から外れているため、玄奘も確信を持てる翻訳を行えなかったからであろう。
「gate gate paragate parasamgate bodhi svaha」
(中村元は試みに「往ける者よ、往ける者よ、彼岸に往ける者よ、彼岸に全く往ける者よ、さとりよ、幸あれ」と訳している。)
文法的に正確でなかったために訳出されず、東アジアの一般人には意味を理解できない音写であったために、むしろ「よく分からないけれどありがたい言葉」として歓迎されて広まったという側面もあるだろう。

この呪文について、サンスクリット及びパーリ語に詳しい先生に意味を訊いてみた。
「般若心経の"ぎゃーてー"って、サンスクリットでは、どんな意味なんですか?」
「"ガテー"というのは、恐らく命令形で、"行こう"という意味でしょう。」
「じゃあ、"はら"は?」
「"パーラー"は"彼岸"。」
「ということは、"羯諦 羯諦 波羅羯諦"というのは、"行こう、行こう、彼岸へ行こう"という感じですか? 何だかすごく簡単で、軽快ですねぇ。」
「そうそう、"ゴーゴー、彼岸へゴー"って感じ。」
「軽っ!!」

(以下、脳内BGM

「"はらそうぎゃーてー"の"そう"は?」
「"みんなで"という意味だよ。」
「じゃあ、"波羅僧羯諦"は"みんなでGO、彼岸へゴー"みたいな感じですか?」
「そうだねぇ、"Let's go to the HIGAN"みたいな?」
「うわ、さいてー。じゃあ、最後の"ぼーじーそわかー"は?」
「"ボーディ"は"悟り"、"スヴァーハー"は"幸あれ"だよ。」
「ってことは、"Have a Happy SATORI"?」
「You're Right!」
「さいてー」


○訳出
「羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶」
⇒「ゴーゴー、彼岸へゴー! みんなでゴー! ハッピー悟り!!」

○結論
般若心経の末尾にある陀羅尼は、思想的な内容は全く無く、経典全体のエッセンスというよりは、宣伝用キャッチフレーズ。語呂よく軽快な言葉で、多くの一般的インド人を大乗仏教へ勧誘したものと想像される。

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