道草あつめ

日常思いついた由無し事を、気ままに拾い集めています。

繰り返す

2009-08-07 00:02:47 | 音楽
バッハのフーガやパッサカリアを弾いていると、よく思う。
自分は単純な人間なのではなかろうか、と。

一つの旋律が繰り返し登場する、
あるいは同じ低音がひたすら繰り返される、
私の好きな曲は、大抵、繰り返しがある。
そして、繰り返されるのは、シンプルな旋律である。

自分が弾く曲に限らない。聴く曲も、同様。
例えば、陳腐な例だが、パッヘルベルのカノン
カノンだから、3本の主旋律が追いかけっこをするのは当然だが、
伴奏も、2小節ごとに同じ組み合わせを繰り返す。



また、マラン・マレーなんかは分かりやすい。
彼の場合、「パッサカリア」よりも「パリの聖ジュヌヴィエーヴ・デュ・モン教会の鐘」の方が、露骨に繰り返しの連続。



人間の嗜好というのは、ある程度は、繰り返しによって形成される部分があるのではないかと思う。

あまりに単調に繰り返し過ぎたらうんざりするし、
そもそもつまらないものは、わずかでも繰り返されるとうんざりする。
2年前、nanacoカード導入当初のセブンイレブンでバイトしていて、
一日中「ナナコで買お買おセブンイレブン」の宣伝をエンドレスで聞いていたら、
気が変になるかと思った。


しかし、良い繰り返しというのは、非常に効果的。
何度も何度も聴くうちに、味わいが出てくる。

そして、それだけでなく、
繰り返しを聴き続けることによって、
頭の中で自動的にその旋律が再生され、
自らが音楽の一部になるかのように思えてくる。

恐らく、聴き手の脳内再生機能をうまく使ったのが、
バッハの「シャコンヌ」ではないかと思う。
本当は、途中で繰り返しの旋律が抜けている部分があるが、
それを聴き手の脳内再生が補って、
シャコンヌという形式を完成させている。

ブゾーニのピアノ編曲版は、
実音を補って、楽譜上で完全なシャコンヌ形式にしているが、
それによって、却ってバッハの趣向を損ねているのではないか、
という話を聞いたことがある。

となると、やはり、単純な形式美だけではない何かが、繰り返しにあるような気がする。

「丸の内ビルヂング」から「丸の内ビルディング」に変わってしばらく経つが

2009-08-06 01:20:49 | 言葉
「ビルヂング」という言葉も根強い。
日本ビルヂング協会連合会

そして、「ビルデング」というのもある。
日本空港ビルデング株式会社


私個人としては、分かれば何でも良いと思う。

漢字の音読みと同じで、
原語の発音と全く関係ないものにはしないけれど、
どうしても、日本人的な発音になるのだから。

ただ、「ロミ男とズリエット」なんて言われると分からないし、
「スィーディーラジカセ」というのも分かりづらい。
「ディジタル」というのは最近よく見かけるが、何となく衒学的。

「論語」は「ろんご」ではなくて、本当は「りんぎょ」が原語の音韻体系に忠実なのだが(実際、江戸時代の仮名書き本では「りんぎょ」というものがある)、
日本語としては、やはり「ろんご」だろう。
また、「輪廻転生」を「ろんかいてんせい」では意味が通じない。

しかし、ネイティブ(ネイチブ?)の人達からすれば、
「ズリエット」だろうと「りんぎょ」だろうと関係ない。
日本人が勝手に読み慣わしているに過ぎない。


「みぞうゆう」と言って物議を醸した人がいたけれど、
私は「みぞうゆう」でも良いと思う。
あれを「みぞう」と読むようになった理由を知っている人が、
果たしてどれだけいることだろう。


そういえば、ふと思い出した。
高校の時、英語教師が、
「DVD」を「ディーブイデー」と言っていて、
みんなで笑ったのだった。

「農民ぽい」

2009-08-05 20:26:51 | 言葉
知人が中国に行った時、
日本の名字の話をしたらしい。

すると、それを聞いていた中国人が一言。

「日本人の姓って、農民っぽいよね」


なるほど。


川村とか山田とか松村とか田中とか。

字面だけ見たら、確かにそうとも謂える。



農民っぽくない名字といえば、
西とか東儀とか司馬とか武者小路などの類だろうか。

政策討論番組

2009-08-04 00:06:48 | 政事
政治家同士が討論する番組って、それ自体は必要なことだし、聴いていて面白いけれど、
ヒートアップすると、それぞれが言いたいことをしゃべり続けて、
言葉がかぶさって、よくわからなくなる。
こうなると、議論もかみ合わない。

田原君なんかはよく頑張って仕切っているけれど(ただし、こいつも言いたい放題言う)、
深夜のなんかは、とにかくヒドイ。
いい年した大人が、
「人が喋っている時は、話をよく聞く」
というマナーを守れない。

テレビ番組は、時間が限られているから仕方ない、とも言えるけれど。


討論番組は、司会にもっと権限を持たせるべきだと思う。
司会の判断で、イエローカードを出せる。
「言葉をかぶせたからイエローカード」とか、
「司会が制したのに喋り続けたからイエローカード」とか。
それで、イエローカード○枚でレッドカード退場、累積○枚で次回出場停止みたいなルールにする。

それで自民党や民主党の人間がいなくなったら、議論がつまらなくなってしまうから、
レッドカードでの退場者にも、補欠との交代を認めてもいいけれど。


とにかく、他の人間よりでかい声で喋り続けた者勝ち、という現状はやめて欲しい。

効率

2009-08-03 23:55:47 | 精神文化
一週間、羽田空港国際線ターミナルでバイトをした。
雇用元は日本政府観光局で、
「中国人っぽい人がいたら話しかけて、
 日本でどこに行ったかその他について調査せよ」
というミッション。
年3回、各回4日間実施される。

想像の通り、搭乗手続き待ちの人々に話しかける我々の姿は、
かなり胡散臭い。
そして、私は、
パンダが太極拳してるTシャツやら、
フィリピン大学のTシャツやら、
「米麦豆愛」とだけ書かれたTシャツやら、
更に胡散臭さをアップさせる服装。

この調査の成果は、多分こういうものに反映されるのだろうが、
元々が火曜日~金曜日の昼間の便のみに対象を限定している上に、
調査員の胡散臭さによって、かなりのバイアスがかかってしまっている気がする。

つまり、私は、調査結果に余計なバイアスをかけていたのだろう。

実際、よく断られたし、協力してくれた人にも「何に使うの?」としばしば訊かれた。



ところで、調査を行う場所は搭乗待合室、つまり出国ゲートの向こう側。
我々は従業員専用口から入るのだけれど、
旅客同様、当然安全チェックが入る。

ある日、
胡散臭い格好をした私は何事もなく通過したのだが、
同行した観光局の職員の荷物がX線検査に引っかかった。

「ちょっと鞄の中身を見せて頂いてよろしいでしょうか」
「どうぞどうぞ。空けてよく見て下さい」

空港の検査員、鞄の中のものと、X線の映像を見比べて、
どれが原因で引っかかったのかを調べている。
しかし、鞄の中を隅々まで見ても、何が悪かったのかよくわからない。
それでも、何人かで相談しながら調べ続ける。
「これかなー。しかし、ちょっと違うなー。これかなー。これも違うなー」
「ホッチキスの針は入っていないしなー」
「携帯のストラップも問題ない形だしなー」

・・・というか、人間が隅々まで調べて、危険物が何も見つからなければ、良いんじゃないかなぁ。
機械なんて、あくまでも効率のためのものなんだから。
人間がしっかりチェックして問題なければ、機械がぶーぶー言っててもいいじゃん、
と思う。

そりゃあ、
ゴルゴみたいに、鞄が二重底で、そこに凶器を隠している、
みたいな可能性もあるから、機械が必要なのかもしれないけれど、
それだったら、中身を全部出して、鞄だけX線にかけてみればいい。


少なくとも、中国の空港だったら、
人間がチェックして大丈夫と判断したら、通してしまう。
機械のために効率が落ちたら、本末転倒。
これぞ、いーかげん人治国家の真髄。
マニュアルを無視することには、弊害も多いけれど。


日本は、生真面目なんだなぁ、と思う。