道草あつめ

日常思いついた由無し事を、気ままに拾い集めています。

正月

2011-01-03 11:50:31 | 旬事
 中国・韓国・ヴェトナムといった、他の漢字圏(&旧漢字圏)の国では旧暦で正月を祝うのだが、日本だけがグレゴリオ暦である。旧暦では「孟春之月」を「正月」とするので、まさしく「迎春」であり、春の到来を祝う行事なのだが、グレゴリオ暦の「1月1日」には全くその意味が無い。尤も、旧暦の「1月1日」も、月の運行に基づいて設けられる日に過ぎず、太陽の運行に基づいて設けられる二十四節気の「立春」とは若干ずれているのだから、一概に旧暦正月のみを正しいとするわけにもいかない。

 五経の一つ『春秋』は紀元前8世紀から紀元前5世紀のことを記した歴史書であるが、その最初の記事は「元年春王正月」という、時間を指定する六文字のみで、その時に起こった事件は何も書かれていない。これについて『春秋公羊伝』では、以下のように注釈する。

 元年者何,君之始年也。春者何,歳之始也。王者孰謂,謂文王也。曷爲先言王而後言正月,王正月也。何言乎王正月,大一統也。 (「元年」とは何のことか、それは君主の最初の年のことである。「春」とは何のことか、一年の始まりである。「王」とは誰のことか、(周王朝の開祖)文王のことである。何故(経文では)先に「王」と言ってその後に「正月」と言っているのか、それは王の(設定する)正月だからである。何故「王の正月」と言うのか、それは一統を尊ぶからである。)

 ここで謂う「一統」とは、王者が人間のみならず鳥獣草木に至る全てのものを統べるという意味で解釈される。ここで「正月」を「“王の”正月」と言うのが「一統を大(たふと)ぶ」ことであると云うのは、つまり、一年の始まりである正月を正しく設定することにより、あらゆる生命サイクルの端緒を正すという発想が示されているのだ。そして、ここには、天地人を統べる王の正当性・正統性という思想が込められている。
 このために、中国の歴代帝王は暦に非常にこだわった。正しい暦を頒布することが、自らの王者としての任務であると同時に、王者たる証明であった。そして、王朝が変わる度に、甚だしい時は同一王朝内でも皇帝が代わる度に、改暦がなされた。改暦によって、自らが新しい帝王であることを天地人に知らしめようとしたのである。
 改暦のことを、「改正朔(正朔を改む)」と謂う。「正朔」とは、「正月朔日」即ち一月一日のことである。一月一日を正しく設定することこそ、一年という生命活動の一サイクルを正しく始めさせることであり、王者の証だったのだ。そして、「正朔」の二字は、「正統」(中華を支配する王朝の正統性)の同義語ともされた。
 「1月1日」には、このように壮大な意味があったのである。

 では、古代中国の暦法は、何を以って正確としたのか。
 まず、年単位で誤差を出さないこと。これはグレゴリオ暦と同じ発想である。それから、毎月の第一日(「朔日」)は必ず新月であること。これはイスラム暦と同じ発想、と言えるだろうか。この2つを両立させるように一年・一ヶ月の日数を決め、閏を設定した。これが大前提であり、太陽太陰暦と呼ばれる所以である。
 時代が下れば観測・計算は精密となり、他にも、閏月と二十四節気との関係、大の月が三連続しないこと、木星を始めとする諸惑星の周期、更には歳差、等々、様々な要素を組み込んで複雑に発展して行った。こうした試行錯誤・改良、時に政治的意図に基づく改変を経て、完成されて行ったのが、現在我々の謂う所の「旧暦」である。太陽周期のみを問題にしたグレゴリオ暦のように簡明ではなく、実用の点では劣るかもしれないが、精確さでは決して劣るものではない。

 とはいえ、冒頭で述べたように、旧暦の「1月1日」も、太陽の位置から考えれば必ずしも「春の始まり(=一年の始まり)」とは言えず、毎年の「1月1日」に太陽が必ず同じ位置となる新暦との優劣は決められない。結局は考え方の相違であり、伝統文化が違うということに過ぎない。故に、正月を新暦で祝うのは間違っている、と主張する意図は無い。古代中華の聖人・帝王の意図にはそぐわないが、「“2011年1月1日”を喜ぶ」というのは分かり易く、これは大変良いことだろう。
 ただ、私が見ていて「これは違う」と思うのは、単純に新暦で一ヶ月ずらした日に旧暦の行事を行うこと。所謂「月遅れ」。例えば、七夕は、日本では一般的には新暦7月7日、中国では旧暦7月7日に行われるが、仙台の七夕祭りは新暦8月7日。旧暦で計算し直して申請・宣伝・施設予約その他をするのが面倒な気持ちは分かるが、このようなことをされると、「旧暦は新暦の一ヶ月遅れ」という誤った安易な考え方が普及しかねない。
 上述の通り、旧暦の発想は新暦とは全く異なるものであり、新暦をちょうど一ヶ月ずらせば旧暦になる、というようなものではない。伝統行事だから伝統に従って旧暦7月7日に行うか、雨が降ろうが槍が降ろうが潔く新暦7月7日にセッティングするかして欲しいものだ。

祭典の季節

2010-10-31 10:52:05 | 旬事
 つい先日、笹駅(「塚」ではなく「」)で下車した時に、ショッピングモールを歩いていて驚いた。もう例の飾りつけが行われている。   

 あまりはっきりとは主張していないが、この消費欲を煽る「赤・白・緑」の組み合わせは、紛れも無く12月の例の祭祀を目指したものである。まだ二ヶ月も早い。しかし、それどころか、聞くところによると、9月中旬からこうした飾りつけを行っているところもあるらしい。日本人のフライング具合が伺える。
 そもそも、飾りつけを行う多くの者にとって、キリスト教はあまり関係ない。故に、待降節にも入っていないうちから飾りつけを始めるのである。しかし、宗教と全く関係しないわけではない。これらの行事は、我々日本人のほとんどが信仰する宗教に基づく祭祀なのである。この宗教を、「資本主義市場経済」と謂う。
 「資本主義市場経済」とは、大まかに言えば、個々人のほぼ自由な生産・販売と購入・消費によって経済がうまく回る、という信仰である。多くの国で、前世紀からこの宗教を国教に据え、いくつかの紆余曲折を経ながらも、何とか信仰を保って来た。近年では、建前としては別の宗教を国教としながらも、「社会主義市場経済」という「マリア観音」の如きカムフラージュを用いて、実質上は「資本主義市場経済」へ移行している国もある。

 しかし、キリスト教が「神の恩恵」を前提としているのと同様に、この信仰にも一つの前提がある。それは、「市場規模が拡大し続ける」ということである。
 この宗教では、既存産業の生産効率化と市場規模拡大とが均衡を保つ必要があり、特に者が後者を大きく上回った場合、強烈なデフレと膨大な数の失業者が生まれ、この宗教システムは崩壊の螺旋階段を一気に転がり落ちることになる。飽和した状態の市場に於いて、生産の効率化は従業員の削減につながり、従業員の削減はそのまま市場の縮小となり、市場が縮小すれば従業員を減らすことになる。
 これが生産技術・システムの進歩によって多くの産業で起これば、雇用者たちが資本を蓄積しながら資本主義が破壊されるという矛盾した結末に到るのだ。

 幾度かの危機はあったが、幸いにしてこの宗教が今まで残っているのには、いくつかの原因がある。
 まず、その早期には、市場を拡大する余地が多く残されていたこと。当時、西洋諸国にとっての所謂「未開の地」に市場を求めることによって、その確保のために熾烈な植民地獲得競争を引き起こしながらも、資本主義をうまく育てることができたのである。
 第二に、その中期には、従業員への賃金拡充と手厚い保障によって、購買力・購買意欲のある中間層を育てたこと。これは自動車産業を代表とし、フォード社がこれによって発展し、GM社がこれによって破産に到ったのは、今昔の時代差をよく示す事例である。
 第三に、その後期には、「社会主義」という異教との宗教戦争が続いたことである。互いの欠陥を指摘し合いながら、相手の全体主義に対抗するために自らも全体主義色を強め、それによって社会全体で自由と統制のバランスを確保しようとしたことが、資本主義市場経済教陣営にとってうまく機能した。また、宗教論争を通じて、自らの宗教を盲信するのではなく、ある程度の懐疑心を以って信仰を見直すことができたのも、プラスであったと考えられる。
 そして、全期間を通じて、快楽の開発が普段に行われ続けていることも大きい。新しい快楽を開発することは新しい需要を生み、そこに市場拡大が生まれる。最近の事例で言えば、インターネット産業がその代表格であろう。インターネットが無かった時代でも人間は特に問題なく生きていけたのだが、今ではこれが無いと非常に不便・不快を感じるようになっている。ここに大きな需要が生じ、雇用が生じ、市場規模を拡大したのである。

 これからどのようになっていくのかは分からない。ただ、日本国内について言えば、じわりじわりと市場縮小の闇が迫って来ているのは確かであろう。余程大きな創造・変革がない限り、ほとんどの産業分野に於いては限られたパイの中を食い合う時代に入って来ている。特に百貨店・スーパー・コンビニのようなマルチな小売店は、人口縮小や非正規雇用増加などによる中間層の購買力低下による影響をもろに受ける。
 この閉塞感の中で、何とかして「神頼み」ならぬ「市場拡大頼み」を行うのが、どの宗教にも共通する「祭祀の開催」である。かつて旱魃の度に雨乞いを行ったように、かつて疫病が大流行した時に教会に通いつめたように、資本主義市場経済教でも「神」にはすがらないが「市場拡大」にすがって、多くの祭祀を催す。
 以前から「クリスマス」「お歳暮」「正月」といった祭祀はあったが、近年ではそれらのキャンペーン規模を拡大すると共に、「ハロウィン」「節分」「バレンタイン」といった新たな祭祀を加え、「節分の日は恵方巻」と言った具合に何とか消費を煽ろうとする。
 年々クリスマスの飾りつけが早くなるのも、苦しい現状から何とか逃れるべく、資本主義市場経済教の祭祀を充実させ、それによって「市場拡大」の恩恵を得ようとする努力なのである。

 10月も末になり、オレンジと黒で飾り付ける祭祀をあちこちで見かける。11月は今のところ特に何も無いが(そのうち新嘗祭に絡めて何かキャンペーンが生まれるかもしれない)、資本主義市場経済教の年間行事中最大の祭典である例の祭祀のために、街中で電球や赤白の装飾を見ることになるだろう。
 苦しい時の祭祀頼みは昔も今も変わらない。昔の信仰心厚き人は寺院や教会で祈りを捧げたものだが、今の信仰心厚き人はデパートやレストランで商戦を盛り上げる。一見すると軽薄になったようだが、社会システムの根幹たる宗教を維持するという点では、本質的には変わらない。信ずる者に幸あれ。


残暑の夜長に

2010-08-19 23:39:45 | 旬事
立秋過ぎても猛暑が続くある日、社長から俳句が送られてきた。
  八月の金魚の口は閉まらない
(あまりに暑いために、普段バカみたいにパクパクしている金魚が、ついに「パ」の字で止まってしまったということであるが、これは、実は、社長本人が口を開けっ放しでダレていることをも指しているのであろう。)

そこで、不肖の秘書もお返しに一句。
  あついよう
  あたまがゆだる
  あせまみれ
(「パ」の字で止まっている社長に対抗して、「あああ」と頭韻。)


続いて、社長、詠みて曰く。
  紫陽花も向日葵もだれるよんべかな

秘書返して曰く。
  向日葵が地中の太陽追いかける

(社長の句は読んで字の如し。秘書の句は、だれてうつむく向日葵は、実は夕方から引き続いて太陽の方角を追いかけているが故である、の意。社長の評:「マグマ級にあつくるしい」)


社長、ついに暑さのあまり、季語の蝉に八つ当たり。
  ジリジリとやかましいわい蝉の声
(ここまでくると、俳句というよりは、日常会話。そういえば、かつてNHK教育で「アリス探偵局」というアニメを放送していたが、そこに出てくる「八代目松尾ノ芭蕉」という少年、全てのセリフが五七五だった。)

そこで、秘書は初代松尾芭蕉を本歌取り。
  閑かにせい鬱陶しいわい蝉の声


社長続いて蚊を詠みて曰く。
  またひとつ
  かみやがったな
  こんちくしょう

秘書曰く。
  耳元は
  ささやく声でも
  やかましい

(社長の句は優れている。秘書の句は力不足。)



ここで〆に川柳を一句。

  駄かの
  句へみ
  ばり会
  かにの
  り詠
   ん
   で
   も

オソマツサマでした。


杏の花の咲く頃は

2010-03-19 12:07:04 | 旬事
近くの通りに立ち並ぶ杏が、今年も咲いている。
梅や桜はもとより、同じ時期に咲く木蓮や雪柳よりも地味ながら、
私はこれを見ると春が半ばに差し掛かったことを感じる。

日本の春の象徴といえば何といっても桜だが、
桜一つで3ヶ月間を代表するわけではあるまい。
(2月から咲いている河津桜なんてのもあるけれど)



私にとって、春の到来は、梅である。
厳しい寒さが続く合間、少しそれがやわらぐ日があると、
どこからともなく生温い香りが漂ってくる。
花を見ても特段何も感じないが、
この生温い香りに、春の訪れを感じる。


そして、上記のように、今この時期に目にして、
もう冬に引き返すことなく、春が進んでいることを知るのが、
杏の花である。

太く直線的な枝にびっしりくっついて咲き、各樹ごとに咲き方がまちまちで、遠目ではたいして興趣が感じられないのだが、よくよく一つ一つの花を見れば、まぁ綺麗なものではある。
かつて梨の花について「なほさりともやうあらむと、せめて見れば、花びらの端に、をかしきにほひこそ、心もとなうつきためれ」なんて言った人もいたけれど、杏の花もこれに近い。

杏が咲き出すと、そろそろ外で飲み会をすることもできるようになる。
何も桜の時期まで待つ必要はない。
暖かくて、花が咲いていて、そこに酒飲みがいれば、
花見の成立条件は満たしている。
もっとも、酒を飲むのに本来口実など要らないのだが、
そこで花や歳時記を使うのが、東洋文化の雅と謂えよう。


では、桜というのは、何なのだろうか。
寒桜や河津桜のように寒い時期にさりげなく咲くものもあるが、
ソメイヨシノや八重桜のように華やかに咲く類を眺めると、
私は春の爛熟を感じる。

辺り一面ピンク色の中で、人々が異様な盛り上がりを見せる。
ある一つのものが完全に熟し切り、終焉に差し掛かる際の趣がある。
盛り上がってはいるのだが、そのまま盛り上がり続ける雰囲気でもなく、
どこか終わりを見据えたような、妙な寂しさを覚える。

実際には、桜が散った後も、春は少しだけ続く。
しかし、徐々に、夏の健康的な緑の新鮮な気配が、
爛熟し切った春を押しやって行く。


日本は四季の移り変わりがはっきりしている、と言われるが、
春一つの中でも、その移り変わりが楽しめる。



ところで、この時期に中国北方を旅行すると、また一味違う。
梅も桃も杏も桜も海棠も、同時に咲いている。
厳しい冬が去って、一気に百花斉放の本格的な春になる。
故に、中国で梅を見ても杏を見ても桜を見ても、
あまり特別な感慨は覚えない。

しかし、中国にも、日本の桜に相当する花があるという。
それが、牡丹である。

「落尽残紅始吐芳(残紅落ち尽くして始めて芳を吐く)」

他の花々が散った後、春の最後の最後に堂々と咲く。
まさに真打登場といったところだろう。

牡丹の季節は四月中旬。
さすがにこの時期に中国に行くわけにはいかないのだが、
一度、見に行きたいものである。

あけまして……

2008-01-03 01:47:14 | 旬事
……という台詞にもいい加減あきました頃でしょうか。

先日、クリスマスの直前に友人と飲んでいた時に、「正月」について言葉が及んだ。
彼曰く:「正月の生ぬるい空気がいやだ。寒空の中で茶を飲んでいる精神を大事にしたい」
私:「あ、"ふゆはつとめて"ね」
彼:「そうそう、枕草子」

しかし、これは高校の時から思っていたことだが、新暦で正月を祝うというのは、伝統行事の一連の文脈からするとおかしい。
「迎春」「賀春」という言葉の通り、旧暦の一月一日は春を迎える日、立春であった。
春に生命が生まれ、夏に発展し、秋に枯れ落ち、冬に耐え忍んで力を蓄え、再び生命が芽吹く季節が到来したことを祝うのが正月行事だったのである。
節分の豆撒きだって、本来は年末に積もり積もった邪気を祓い、家をきれいにして新たな年(=次の生命サイクル)を迎えるためのものである。
それを、生命循環の意識から切り離して形式だけバラバラに残したのだから、行事や言葉の意味が文脈を持たないものになってしまっている。

大学に入って中国人と知り合って感心したのは、中国では建国記念日やメーデーは新暦で日付を決めるが、正月・端午・七夕など伝統行事は旧暦で行っている。
これでこそ、「迎春」が意味を持つし、織姫と彦星も初秋の晴れた日に逢えるというものであろう。


と、いつも文句ばかり言っているが、かくいう私も、実は新暦正月のこの時期は結構好きである。
春を迎えるというめでたさこそないが、街は静かで、道行く人は楽しげで、そして空気が澄んでいる。工場やトラックが休んでいるためであろうか。元旦の空はいつも高い。

もちろん、田舎に行けば、空気は常にきれいだし、正月のこの時期は雪が降るから、むしろ空はいつもより低い。
しかし、東京で、いつも見慣れた街で、いつもと違う景色を見るというのが爽快なのだ。この爽快さは、大掃除で家のガラス窓を全て拭き終わった時の感覚にも似ている。
そんな時、少し悔しいが、「ああ、年が明けたな」と思ってしまう。

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  元日 王安石
爆竹声中一歳除 春風送暖入屠蘇
千門万戸瞳瞳日 総把新桃換旧符

爆竹の声で年が明け 暖気がふわりと屠蘇をかすめる
無数の門戸に朝日が差し込み 家々全てが符を換える

第74回日本ダービー

2007-05-29 00:51:17 | 旬事
今年も去年と同じく、学園祭の翌日に日本ダービーを見に行った。

今回は、フジビュースタンドがオープンしたのが何よりの目玉。
ここ1年以上ずっと工事をしていて、去年はその工事をしている土方の人たちとも知り合ったりしたが、
今年の4月21日、ついにグランドオープンしたのである。
すでに一ヶ月前のことではあるが、これは府中市民として見ておかなければなるまい。
そう思って、何個か別の誘いを断って、競馬場へ向かった。

府中本町側から競馬場に接近すると、見える見える、
巨大なスタンドが、ぬっ、と姿を現した。
大きいと聞いてはいたが、かなりの迫力である。
そして、入場料を払って中に入ると、ファンファーレの音と、人々の熱気。
これぞ、まさに競馬場に来た、という感覚である。

ダービーの発走まで2時間ほど余裕があったので、競馬場の中を探検。
とにかくフジビュースタンドが高い。
6階まで登ってみたが、府中の街並みが遠くまで見渡せる。
そして、飲食施設も拡充して、ろんたんなど、様々な店が出ている。
http://www.jra.go.jp/facilities/race/tokyo/foods.html
色々あって迷ったが、ハロンボウで激辛カレーを食す。
まぁ、可もなく不可もなく、という味であったが、
皿は底が深い構造で、持ち運びやすく、早く食べやすくなっている点に、
なんとなく競馬場らしさを感じた。


さて、今年はレースもしっかり見ようと思い、まずはパドックから。
かなり上からちらっと見ただけだが、3番の馬が何となく興奮しているのが分かった。
掲示板を見ると、馬名は「ウォッカ」、なかなか魅力的な名前である。

そして、発走時間近くになったので、スタンドへ。
さすが大きくしただけあって、去年より格段に見やすくなっている。
スクリーンに皇太子殿下やら安部首相夫妻やらが映し出されたが、
それは正直、馬を見たい身としては、どうでも良い。
オペラ歌手の中鉢氏が君が代を歌い、馬たちもゲート・イン。
そして、発走。

速い速い。テレビやスクリーンで見てもそれほど速いは感じられないが、
直に見ると、やはり速い。
馬たちが一体となって、目の前を通り過ぎ、あっという間に点のようになってしまう。
私は最近の競馬事情をチェックしているわけではないので、
レース展開自体はあまり分からない。
しかし、この、馬の走る速さは、面白い。

そうこうしているうちに、馬群が一周して戻って来た。
先頭に逃げる馬が2頭。その後ろから1頭、ぐんぐん伸びて来る。
伸びて伸びて、ついに抜き去り、
3馬身差でゴール。
――強い。
私の目の前にいたおじさんは、興奮して、叫びながら隣の人に話していた。
「強い! ありゃつえーわ!
 いやー、えーもん見せてもろーたわ!
 このために夜行で名古屋から来た甲斐があったっちゅーもんや!!」

レース結果が発表された。
約60年ぶりに牝馬がダービーを制した。
その名も「ウォッカ」!
……あれれ。あの馬ではないか。。
牝馬だったのか。そして、こんなに強い馬だったのか。

聞くところによると、父タニノギムレットもダービー馬。
親子2代でのダービー制覇。
目の前にいるおじさんは、
「いやー、ええ娘やわー!
 ほんま、ええ娘を持ったわー!!」


直線での逆転劇、牝馬のダービー制覇、
そしてダービーのために名古屋から来たおじさん。
いろいろと面白いものを見た一日であった。

麻疹と学園祭

2007-05-28 23:59:26 | 旬事
土曜日、尺八を吹くことになったので、学園祭へ行った。
午前中は利き酒へ行き、午後は演奏会。
何ともない、普段通りの学園祭であった。

普段通りでなかったとすれば、最近大流行の麻疹。
先週本郷キャンパスでも10名ほどの発症者を出したということで、
委員会により、企画参加者が抗体を持つことの証明が義務付けられた。
そして、早稲田生は企画から締め出し。
入口にも、麻疹感染の恐れがある方は来場をご遠慮下さい、との看板。

しかし、企画参加者に証明を義務付けるとは言っても、
母子手帳が見つからない者は、予防接種を打ったことがあるという旨の誓約書で済み、
面倒だと思えば偽造も出来る代物。
まして、麻疹感染の恐れがある方は来場をご遠慮下さい、と言われても、
それでおとなしく帰る者はいないであろう。

――要するに、「対策をしてます」というアピールに過ぎないのである。
果たして、何事もなく終わるのか、あるいは。。。

あんぱんの日

2007-04-05 13:48:30 | 旬事
「4月4日は"あんぱんの日"」
そう言って、コンビニにあんぱんがずらりと並んでいた。

最近、競争過多のコンビニでは、
なにかにつけてイベント化して商品を売ろうとする。
結果的には他のコンビニも追従するからイタチごっこなのだが。

話が逸れたが、4月4日は「あんぱんの日」らしい。
木村屋の初代安兵衛があんぱんを明治天皇に献上したのが由来である。
その、パンという西洋の素材を用いて、日本独自のものを生み出した趣向は、
明治の精神を代表するものとも言える。
そういう意味では、「あんぱんの日」というのも、なかなかたいそうなものである。

パンで餡を包むということが、
何故それほど「日本化」としての意味を持ち得るのであろうか。
「餡を使ったから」というだけで「日本化」といえるものであろうか。
日本の食材を使うだけで「日本化」なのであれば、
カレーパンを「インド化」とも言えるハズである。

おそらく、餡という食材に加えて、
「包む」ということがミソなのではないだろうか。
すなわち、西洋ではパンの食べ方において、
・塗る(ジャムやバター)
・のせる(ハムなど)
・はさむ(サンドイッチ・ハンバーガーの類)
といったヴァリエーションがあったが、
包むというのはそれほどなかったのではないだろうか。
もちろん、チーズやゴマ入りのパンはあるが、
それは生地に「混ぜ込む」のであって、
あんぱんなどのように「包む」わけではない。
それを木村安兵衛は、酒饅頭をヒントに、
「包む」スタイルのパンを発明したのである。
これは、パンの酒饅頭化であり、「日本化」と言える。

「塗る」「のせる」「はさむ」ではなく、
「包む」というスタイルを選択したことは、
物質的・技術的要素を取り入れつつも、
それを自前の思考様式・精神文化によって活用するしたということである。
すなわち、まさに漱石の言った「和魂洋才」である。


しかし、ここで問題となるのは、
「包む」ことが、「塗る」「のせる」「はさむ」の西洋的スタイルと異なり、
日本と西洋との違いを言うことはできる。
しかし、「包む」動作は、日本独自のものではない。
中国にも、まさに「包子」と呼ばれるもの、すなわち肉まんの類がある。
そして、中に餡を入れる点においても、まさにあんまんなるものがあるのだから、
パンの酒饅頭化は同時に「あんまん化」とも言え、
日本独自の文化形態とは言いがたい。
中国だけでなく、韓国にも中華まんのようなものがあるらしいのだから、
もはや、日本の特徴というよりは、東アジアの特徴というべきであろう。

思うに、あんぱんとは、
パンを「東洋化」あるいは「東アジア化」したものではないだろうか。
すなわち、「西洋と日本」ではなく、「西洋と東洋」という対比の構図である。

パンの形状をそのままに異物を追加して個性を保つ「塗る・のせる・はさむ」、
パンの形状を変化させ異物を内に含んで調和する「包む」、
安易な比較であるが、西洋と東洋の精神文明的差異というのは、
案外、パンや酒饅頭から論じることができるのかもしれない。