道草あつめ

日常思いついた由無し事を、気ままに拾い集めています。

共通の話題

2010-06-25 01:52:20 | 社会一般
イギリスでは放送法で、「国家の団結を図るため」に、地上波でスポーツのメジャーな大会を全て放送しているらしい。当然、サッカーのワールドカップは全て放送される。

スポーツの国際大会というのが「国家の団結」につながるというのは、まぁ、その通りで、日本でも「日本は決勝トーナメントに進めるか」というような話題を新聞・雑誌でよく見かけ、ネット上でも様々なコメントがなされていて、大半は日本代表を応援している。
私のような非国民は例外として、多くの国民が「日本人として」ワールドカップを話題にするのであるから、なるほど「国家の団結」を促進する行事と謂えよう。


「民族自決」(こう書くと集団自殺みたい)だとか「ネーションステート」というのは近代西洋の生み出したフィクションで、現在も有効かというと少し怪しい。
小規模な団体であれば、利害の共有・目的達成のための協力によって結びつきが強まるが、国家規模で全ての構成員が帰属意識を強めるような利益配分というのは難しい。それこそ、「仮想敵国」でも設定して「危機」を喧伝しない限り、不可能であろう。

こういう状況下で機能するのが、「共通の話題」なのである。
共通の言語で、共通の話題を話すというのは、親近感が湧く。謂わば「内輪ネタ」を共有する「仲間」のような感覚となれ、そのような共感意識があれば、見知らぬ人同士でも飲み屋で仲良くなれる。

ワールドカップやオリンピックで盛り上がるというのは、こういう効果があるのだろう。
「日本人として」「日本代表を応援する」という視点を共有すれば、話も弾む。
Jリーグではこうはいかないのだろう。


同じような効用を持つものとして、「天皇家」というものがあるように思う。
その存続・廃止について様々な考え方はあるが、ともあれほとんどの日本人が知っている共通の話題と謂えよう。

彼らの存在意義というのは、伝統の継承者というよりも、むしろ話題の提供者という点にあるような気がする。生まれた時からアイドルで、幼稚園に行っても小学校に行っても新聞・週刊誌で報道される。プライバシーも職業選択の自由も何のその。かつて天皇は人の形をした神であったが、今は人の形をしたパンダ、ひたすら衆目を引くことに価値を見出されている存在である。
ネタにされている皇族は気の毒であるが、そういう家系に生まれてしまった以上、諦めてもらうしかない。おそらく、彼らのあの人格の良さは、諦念から来ているのであろう。

ともあれ、「象徴天皇制」とはよく言ったもので、彼らの存在は、我々が「日本人として」語る内輪ネタを用意し、それによって「国家の団結」を図っているものと謂える。
東京オリンピック開会式に由来する体育の日は第二月曜日に改めても、
昭和の日・文化の日・建国記念日・勤労感謝の日といった天皇絡みの祝日を旧来のままに留めたのも、そういう配慮であろうか(例外は海の日のみ)。



そういえば、私は、天皇と皇太子の名前を憶えていない。
つくづく非国民に育ったものである。

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