――夏は夜。
ご存知、清少納言女史の名文句である。続いて、月に蛍に雨まで、夏の夜を演出するものを挙げている。
現代でも、花火に怪談に盆踊り、夏の風物詩と言えばやはり夜のものが多い。
今も昔も、夏は夜、なのである。
私も夏の夜は好きである。
昼間のような照りつける暑さはないが、じわじわとうだるような暑さ。
暗闇がエネルギーを持ってゆらゆらと揺れ、異界との境が曖昧になる。何か異形のものが物陰で跋扈していそうな気配がする。
そんな危うい雰囲気の中で、外を出歩く気分というのは、実に楽しい。わくわくして来て、いくらでも歩けそうである。
しかし、夏の夕暮れというのも、夜とはまた違った良さがある。
何やら美しく、寂しげで、人をして感傷的な気分にさせる。
それは「秋は夕暮れ」と同じものかもしれないが、少しだけ違う。
頭の中に漠然としたイメージはあるのだが、言葉にしがたいものである。
思うにそれは、幼い時の原体験ではないだろうか。
夏休み、一日中外で遊びまわった後、日が落ちて、まもなく家に帰らなければならない時。
今日もまた一日が終わり、楽しい夏の終わりが近づいて来ることを実感する時。
あるいは、子ども心に、いつか今の友人たちと遊び回る日々も終わるということを思う時。
そんな時に見るのが、夕暮れであった。
何かの終わりが刻々とせまる、その寂しさが、夕暮れに伴う原体験として記憶に残り、今でも私を感傷的な気分にさせるのではないだろうか。
平安時代に夏休みはなかっただろうし、貴族の子女は外で一日中遊び回ることもなかったであろう。
清少納言には、この寂しさは分からない。
ご存知、清少納言女史の名文句である。続いて、月に蛍に雨まで、夏の夜を演出するものを挙げている。
現代でも、花火に怪談に盆踊り、夏の風物詩と言えばやはり夜のものが多い。
今も昔も、夏は夜、なのである。
私も夏の夜は好きである。
昼間のような照りつける暑さはないが、じわじわとうだるような暑さ。
暗闇がエネルギーを持ってゆらゆらと揺れ、異界との境が曖昧になる。何か異形のものが物陰で跋扈していそうな気配がする。
そんな危うい雰囲気の中で、外を出歩く気分というのは、実に楽しい。わくわくして来て、いくらでも歩けそうである。
しかし、夏の夕暮れというのも、夜とはまた違った良さがある。
何やら美しく、寂しげで、人をして感傷的な気分にさせる。
それは「秋は夕暮れ」と同じものかもしれないが、少しだけ違う。
頭の中に漠然としたイメージはあるのだが、言葉にしがたいものである。
思うにそれは、幼い時の原体験ではないだろうか。
夏休み、一日中外で遊びまわった後、日が落ちて、まもなく家に帰らなければならない時。
今日もまた一日が終わり、楽しい夏の終わりが近づいて来ることを実感する時。
あるいは、子ども心に、いつか今の友人たちと遊び回る日々も終わるということを思う時。
そんな時に見るのが、夕暮れであった。
何かの終わりが刻々とせまる、その寂しさが、夕暮れに伴う原体験として記憶に残り、今でも私を感傷的な気分にさせるのではないだろうか。
平安時代に夏休みはなかっただろうし、貴族の子女は外で一日中遊び回ることもなかったであろう。
清少納言には、この寂しさは分からない。