今まで、奈良には行ったことがなかった。大阪や京都に比べ、多少行きにくいところという話を聞いていたからである。
しかし、実際に行ってみると、案外簡単、京都から一時間で到着。
行ってみて、まず分かったのが、鹿の多さである。
奈良公園の芝生の上ならまだしも、道路にまで出張って煎餅をねだる鹿が多いこと多いこと、鹿に取り囲まれ、ついに叫びながら鹿せんべいを地面に放り出す子供もいた。
東大寺の参道も例外に非ず、かの仁王像を有する南大門も鹿のたまり場、運慶快慶の傑作の足元には糞が散らばる始末である。
のどかと言えば誠にのどか。しかしまた、「過ぎたるは猶お及ばざるが如し」とも言える。
もちろん、大仏も見た。
鎌倉の大仏を見た時は、写真のイメージに較べてあまりに小さいのに驚いたが、ここ奈良東大寺の大仏は、あまりにイメージ通りなので、また吃驚した。
建物の中であるため、教科書等の写真と同じような角度でしか見られないためであろうか。
その他、奈良公園では様々な寺社を見て回ったが、いずれもかなり広い。
勝手な空想ではあるが、都が80年程で奈良を去り、二度と戻って来なかったのは、この盆地の中にこれほど大きな寺社を立て過ぎてしまったためではないだろうか。
面積を広大に取って都市計画を制限するとともに、寺社の勢力も豊かになり、政治の運営が面倒になるであろう。
もっとも、そのおかげで奈良は政争や戦乱から一歩遠いところにあり、昔のものを今に留めることが京都より多いのかもしれない。
しかし、実際に行ってみると、案外簡単、京都から一時間で到着。
行ってみて、まず分かったのが、鹿の多さである。
奈良公園の芝生の上ならまだしも、道路にまで出張って煎餅をねだる鹿が多いこと多いこと、鹿に取り囲まれ、ついに叫びながら鹿せんべいを地面に放り出す子供もいた。
東大寺の参道も例外に非ず、かの仁王像を有する南大門も鹿のたまり場、運慶快慶の傑作の足元には糞が散らばる始末である。
のどかと言えば誠にのどか。しかしまた、「過ぎたるは猶お及ばざるが如し」とも言える。
もちろん、大仏も見た。
鎌倉の大仏を見た時は、写真のイメージに較べてあまりに小さいのに驚いたが、ここ奈良東大寺の大仏は、あまりにイメージ通りなので、また吃驚した。
建物の中であるため、教科書等の写真と同じような角度でしか見られないためであろうか。
その他、奈良公園では様々な寺社を見て回ったが、いずれもかなり広い。
勝手な空想ではあるが、都が80年程で奈良を去り、二度と戻って来なかったのは、この盆地の中にこれほど大きな寺社を立て過ぎてしまったためではないだろうか。
面積を広大に取って都市計画を制限するとともに、寺社の勢力も豊かになり、政治の運営が面倒になるであろう。
もっとも、そのおかげで奈良は政争や戦乱から一歩遠いところにあり、昔のものを今に留めることが京都より多いのかもしれない。