道草あつめ

日常思いついた由無し事を、気ままに拾い集めています。

「能く游ぐ者の教ふベきは、水を軽んずればなり」

2010-09-01 22:34:02 | 世間話
歓喜のダイブでおぼれた2人を救助しようと水死 琵琶湖(朝日新聞) - goo ニュース

まさか、ボート部員が泳げない訳はあるまい。
先にダイブした2人が溺れ、救助しようとした1人が溺れたのだから、
溺れて然るべき状況であったはずなのだが、この記事からは全く分からない。

あるいは、入賞のみならず、酒にも酔っていたのであろうか。
1984年、ちょうど私が生まれた年に、東大山中湖事件があったが、
夜に酔っ払った状態でボートを漕ぎ出したことが原因だったという。

いずれにせよ、救いようのない大惨事である。

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この記事を読んでいて、『列子』黄帝篇にある寓話を思い出した。

孔子の高弟顔回が、「舟を漕ぐことは、学習で身につくものですか」と渡し守に尋ねたところ、渡し守はこのように答えた。
「可。能游者可也,善游者數能(できる。泳げる者には漕ぐことを教えられるし、泳ぎが上手い者なら何回か練習すればすぐできるようになる)」

顔回はにわかには理解できず、孔子にこの意味について尋ねた。
すると、孔子は、このように説明した。
「能游者可也,輕水也。善游者之數能也,忘水也(泳げる者には漕ぐことを教えられるというのは、水を恐れないからである。泳ぎが上手い者なら何回か練習すればすぐできるようになるというのは、水のことを忘れるからである)」
「彼視淵若陵,視舟之覆猶其車卻也(泳ぎの上手い者にとって、淵は丘と変わりがないし、舟がひっくり返ることなど、車が後ろに戻ってしまうことと大差ない)」

舟を漕げるようになるための条件として、「水を軽んず(水を恐れない)」や「水を忘る(水のことを忘れる)」といったことが挙げられている。つまり、水に対する恐怖心を取り払わなければ、舟を漕げるようにはならない、というのが『列子』の主張なのである。
(なお、蛇足ながら、『荘子』や『列子』など道家系の文献に登場する孔子の言動は、道家が自らの都合の良いように創作したものに過ぎない、と考えるのが普通である。)

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先日琵琶湖で溺れてしまった彼らは、舟を漕げるのだから、少なくとも「能く泳ぐ者(泳げる者)」であり、もしかすると「善く泳ぐ者(泳ぎが上手い者)」であったのかもしれない。
それでも溺れてしまったのは、「水を軽ん」じた、もしくは「水を忘」れたためであろう。

『列子』の本義とは外れるが、奇しくも言葉尻は一致する。

くれぐれも、水への恐怖心を失ってはならない。

人間観察

2010-06-06 17:44:03 | 世間話
昨日、新宿駅構内で、松葉杖をついて歩いている女性を見た。
松葉杖をついていること自体は珍しくもないのだが、それにしても苦しそうな歩き方をしている。
よくよく見ると、高いヒールを履いている。そういえば、服装も何となくおしゃれ着だ。
運動靴にしようよ、と思いつつ、そのこだわりには圧倒される。


夜、高いビルから見下ろすと、街中には無数の光が灯っている。住宅の生活の明かり、オフィスの残業の明かり、車の移動の明かり。上から見ると無機質で、それを「ゴミのようだ」と言う人もいるらしい。
しかし、光の数だけ人生があるのだと思うと感慨深い。そして、その中に一つとして同じ人生はなく、多種多様な生き様があるのだと思うと興味深い。



コンビニのアルバイトという、いつでも辞められる気楽な接客業を細々と続けて来たが(がっちり長時間勤務しないのは、出世しないための処世術でもある)、このバイトが面白いのは、数々の出会いがあることである。
出会いというのは人間に限らず、店内に鼠が潜んでいたり、軒先にツバメが雛を産んでいたり、本棚の後ろには蜘蛛がいる。今日も掃除をしていたら、芥子粒のような黒いものが動いていて、何かと思ったら、カマキリ。数ミリにも満たない大きさなのに、もう斧をかざしているのだからおかしい。(もっとおかしいのは、店内に蜘蛛やカマキリが生息できるほどの虫がいることだが。今日もダンゴムシが数匹死んでいた。)

しかし、やはり面白いのは、人間である。以下、我が細長いバイト経歴の中で出会った数々のお客さんをリストアップ。


○キンちゃん
いつも帽子かぶって、のしのし歩いている、恰幅のいいおじさん。「お弁当温めますか?」と訊くと、「おう、ヤキ入れてくれ」と返答。
「今年は地震起こるかもな。地震起きる時は、火星の向こうからピピっと電波が来るんだよ」「最近東京で地震が起きないのは、他所の地方に圧力を逃がしているからだよ。地方でちょっとずつ地震を起こしているから、東京で大地震が起きないんだ」等々、不思議な発言が多い。
ちょっと前まで宇宙人の話にハマっていて、「地球人は○○星系から流刑されて来たんだよ。ちょっと戦闘的過ぎるんでさ」「アメリカ軍はもう宇宙人とコンタクト取ってるよ。宇宙人の中でも友好的なのとね。でも、宇宙人にも悪い奴がいて、そういうのが地球人を誘拐するんだ」という話をしていた。
最近のブームはスピリチュアル。霊界が多層構造になっていることや、守護霊が人間を導いたり見放したりすることの仕組み、霊魂の生きる目的、等について解説する。何冊か本も貸してくれた。
たまに公園の池で、鴨に餌をやっているのを見かける。

○ケンちゃん
昼間はいつも俯いていておとなしい。が、夜、アルコールが入った状態で来店すると大暴れする爺さん。「おれはぁぁああ、きたぁじまぁのぉぉサブちゃんとは兄弟(友人の場合も)でぇぇぇ」と言って、おでんの前で朝まで熱唱していたこともある。当時は店員も特に深夜勤務の人はハチャメチャだったので、拍手・アンコールして乗せまくっていた。
数年前、パタッと元気がなくなる。どうも、奥さんが病気で入院して、手術が必要という状態だったらしい。昼も夜も俯いたままで、皆心配していた。
最近はまた復活し、夕方勤務の店員に絡んでいるらしい。しかし、今の店員は普通の人が多いので、ケンちゃんは不完全燃焼。

○中村さん
杖をつきながらたくさん買い物をしていくお婆さん。「ちょっとごめんよ、これも買うよ」「なんだいこりゃ、ふうん、そういうのかい。じゃあ買うよ」と、よく喋る。一時期はくじ引きにハマっていて、「どうせ大したもんは当たらないだろうけどさ」と言いながら、一回数百円のくじを何回も何回もひいて、「ああ、これはもうあるよ」「これもあるなぁ」と言って、景品を全部店員にくれることもあった。
最近ちょっと足腰が弱くなって来たような気がする。

○畳屋さん
いつもコーヒーとポークフランクを買っていくおじさん。最近はポークフランクではなくコロッケがブーム。
以前勤務していたバイトM嬢の大ファンで、当時17歳だったM嬢にラブレターを渡したこともある。年配のバイトIさんに本気で相談をしていたとか。結局フラれたが、連絡先を交換し合って仲良くなり、「おう、○○○(M嬢の名前)、今度飲みに行こうぜ」と言って、焼肉に連れて行ったりしていたらしい。
(なお、M嬢は、仕事が早く、接客態度が落ち着いて話も上手だったためたか、実年齢よりも上に見られることが多かった。容姿も愛想も良かったために、私の知る限りでは3,4回、勤務中に(パンの陳列棚の前等で)お客さんから告白されていた(全員年上)。断り文句が「私、まだ17歳なんですけど」から始まるのはおかしかったが、結構時間をかけて丁寧に断っていたのは偉い。告白したことで仲が悪くなった人はいない。)
M嬢が別の店に移った後も、「なんだよぉ、今日は男だけかよ」と言いつつ、相変わらず買い物に来る。

○雀荘のおじさん
夜勤明けに自転車をこぎながらやってくる、いつも笑顔のおじさん。私が中国語を勉強していたと知って以降、雀荘の客から教わったあやしげな俗語の様々を披露してくれる。
やはりM嬢のファンで、告白までには至らなかったが、M嬢移籍後はあまり来なくなった。3月にM嬢と会った時に話をしたら、「雀荘のおじさん、最近、うちの店に来るんですよ。“やぁ、お姉さんのいるこっちの店に来ることにしたよ”と言ってました。」「ええっ、自転車でも結構遠いんじゃないの?!」「そうなんですけど、毎日来ますよ。」
――M嬢おそるべし。

○リンダさん
背が小さくて、頭のてっぺんから声を出してしゃべる、フィリピン人のおばさん。買ったものを店内で飲み食いするが、行儀は決して悪くない。Iさんと仲良し。
何年か前に、「彼女いるの?」と私に訊いて来て、「いない」と応えたら、「じゃあ、私の娘を紹介するよ。きれいだよ」と言う。そして、その写真の入ったメモリーを取り出して、コピー機で印刷しようとしたが、うまくいかずに断念。次に会った時にはうまいこと忘れてくれていた。

○電話する人
最近よく来る女性。恐らく大学生。毎回、電話をしながら現れ、電話をしながら支払いを済ませ、電話をしながら去っていく。
初めて会った時は、電話で話す言葉がふにゃふにゃしていてまるで聞き取れず、外国人かと思ったのだが、私に「○番のタバコ下さい」という発音は完全に日本人。それからレジを打ちながら電話の会話をよくよく聴くと、やはり日本語。かなり不思議。私が先方だったら、聞き間違い必至。

○トイレットペーパーを盗る人
眼鏡をかけた小柄なお姉さん。この人がトイレに入ると、トイレットペーパーが大量になくなる。そして、おにぎりを1,2個買っただけで、箸を5膳も6膳も要求する。
あまりにそれが続くので、私は策を講じて、この人が来店した瞬間にトイレに入って残りの本数を数え、この人がトイレを使った後にすぐまたトイレに入って確認するようにした。また、「お箸5膳下さい」と言われても、「おにぎり食べるのにお箸を使われるんですね」「はい」「2膳では足りませんか」と値切るようにした。
すると、トイレットペーパー紛失はなくなり、お箸も3膳で落ち着き(まだ多いが)、やがて来なくなった。セコイように思われるが、エスカレートする前に止めるのが筋であろう。
なお、別人だが類似のケースが、両替魔人。100円のガムを買って1万円を出すのだが、買った後にも店を出ず、また100円のガムを持ってきて1万円を出し、それを一回の来店で4回も5回も繰り返す。これはトイレットペーパーを盗るのとは違って犯罪ではないが、しかしコンビニは銀行ではないのだし、釣銭がなくなったら営業に差し障る。そこで、やはりこれも私が接客した時に、「先程お釣りとしてお返しした小銭の中からお支払い願えますか」と言ったところ、「いや、それでも一万円札で」と言って押し切られたが、以後来なくなった。

○130円置いてく人
いつも早足でやってきて、スポーツ新聞を取って、店員がレジにいようといまいと、他の客のレジを打っている最中でも、130円ちょうどを「新聞」と言って、ドンと置いていく短気なおじさん。
しかし、130円が無く、お釣りが必要な時は、ちゃんと列に並んで待つから偉い。

○テリブル
怒るために来店しているのではないか、と思うくらい、よく怒り出す爺さん。店に入っては怒り、品物が無ければ怒り、自分の要求が伝わらなければ怒り(しかも聞き取りづらい)、話しても怒り、話さなくても怒る。
しかし、自分が失敗をすると、小さくなって慌てて出て行く。先日もレジを済ませて品物を渡すと、「ちょっと! 箸入れろっつっただろうが!!」「入れましたよ」「……あ、そ。。」

○中南海のおじさん
平日は仕事着で仲間達と、休日は私服で一人で、毎日必ず来るおじさん。性格は極めて温厚。休日は大量に買い物をしていくが、必ずレシートをチェックして、「あれ、これ、タバコの代金入ってないよ」と誤りを指摘してくれる、ありがたいお客さん。
以前は中南海の5mgを買っていたが、店が5mgを扱わなくなっても不満一つ言わず、以後は中南海の1mgかフロンティアを買うようになった。そこは不満を言うべきなのではないか、と私は思う。

○発泡酒のおじさん
いつも麒麟の淡麗を買って、店先で飲んでいく爺さん。家で飲むのは肩身が狭いらしく、冬の早朝でも必ず店先で飲んでいく。3時間の間に3回飲みに来たこともある。
家が近いのか、コンビニ以外でもよく道端で出会う。この時期は、パジャマで自転車を漕いでいることが多い。


その他まだまだいるし、店員の中にも面白い人がいるのだが、だいぶ長くなったので、ここまで。

しかし、競艇場前のファミマと掛け持ちしているバイトI君の話によると、うちのコンビニは客層が良く、店員もまともな方と言う。ファミマの方ではガラの悪い客が多く、よく店員と喧嘩になるらしい(I君はそれが楽しみで向こうのバイトをしているとか)。そして、喧嘩がヒートアップすると、最後は店長が現れて事態を収拾する。店長というのは、見た目からして恐ろしい、極道なんじゃないかという様子の人らしい。


人間というのは、よくもここまでヴァリエーションがあるものだと、つくづく思う。

四月一日雑記

2010-04-02 00:54:52 | 世間話
小学生の頃、この日が来る度に、

「今日はウソをつくぞ」

というウソをついていた。

最近はウソばっかりついているから、もう4月1日くらいは本当のことだけを言うことにしているけれど。

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今日の昼は、ひでみちゃんのお使いで、国会図書館に行ってマイクロの閲覧&複写申込をして来た。

私はマイクロフィルムというのが非常に苦手で、手でくるくる回しているうちに、酔う。幼い頃はバスに乗る度に車酔いをしていて、しまいに「ゲボくん」という渾名までついていたが、最近は5時間10時間バスに乗っても平気。しかし、マイクロだけはいけない。今日もくるくるリールを回しているうちに吐きそうになって来た。
「うううううぅぅぅ」
しまいには、ライトを消してからリールを回し、お目当てのコマの辺りまで行ったところでライトを再点灯、というわけのわからないことをして凌いだ。


そんなこんなで、ひでみちゃんを恨みながらマイクロを回していたのだが、しかし、ひでみちゃんというのは上司として仕えるのには非常に良い人だと思う。彼の指示は非常に詳細で分かりやすい。「あー、○○やっといてよ」「やっといて、って、どうやっとけばいいんですか?」「いいんだよ、てきとーで」という極めて抽象的なメルヘンとは大違い(しかも、メルヘンは、こんないい加減な指示をしておいて、こっちが創意工夫のないいい加減な仕事をすると、「それじゃおもしろくないじゃなーい」とダメ押しをする)。ひでみちゃんの場合は、一挙一動に至るまで肌理細やか。

今回は、まず、「aaaaaaaaaaaaaaaaa」という謎のタイトルのメールが来て、「 『蘇苏文定公文集』(宋)蘇轍撰 存十八卷(存卷四至六,卷十至十五,卷二十,卷二十六,卷二十七,卷三十七,卷三十八,卷四十一至四十四, 後集存卷七至十三,卷十七至二十, 三集存卷六至十, 應詔集十二卷)宋孝宗時眉山刊本,十六冊」という文面。続いて「bbbbbbbbbbbbbb」というタイトルのメールが来て(題名を考えるのが面倒だったのだろうと思うけれど、あるいはウケ狙いかもしれない)、『蘇苏文定公文集』のマイクロフィルムを国会図書館に行って複写してくるように指令が書かれている。

しかし、この指令が非常に細かい。
まず、「マイクロを管理しているのは、図書課第一別室というところ」と言い、「国会の入り口は二階ですが、図書課第一別室は三階」と解説。
その指示の通りに図書課第一別室へ行って、メールを見ると「北平図書館のマイクロが見たいと言えば、冊子になった目録を教えてくれる」と書いてあるからその通りに言う。すると、図書館職員が「まずOPACで調べてみて下さい」と言うから、館内OPACで調べるが、ヒットしない。職員が調べてみても、やはりOPACでは見つからない。さすがひでみちゃん、OPAC未入力だから、冊子になった目録で探すしかないことまで知っているのだ。
資料が出てきたから、マイクロ酔いしながら、そのフィルムが「『蘇苏文定公文集』(宋)蘇轍撰 存十八卷(存卷四至六,卷十至十五,卷二十,卷二十六,卷二十七,卷三十七,卷三十八,卷四十一至四十四, 後集存卷七至十三,卷十七至二十, 三集存卷六至十, 應詔集十二卷)宋孝宗時眉山刊本,十六冊」であることを確認し(ひでみちゃんがこんなにも細かく卷数の詳細を送って来たせいで、マイクロ酔いしながら頑張らなければならなかったのだ)、複写申込をする。すると、職員の人が、「A4にしますか? A3にしますか?」と訊いてくる。うーん、と思いながらメールを見ると、「最も一般的な、A4コピー用紙への紙焼きで結構です。特に字が小さかったり不鮮明であったりという問題が無くて、より安価であるなら、B5でも結構です。(B5は無いかも)」とあるから、A4を選択。
そして、「業者、あるいは国会に代金を支払う場合、領収書の発行を要求して下さい」という指示があるので、領収書くらいくっついて来るだろう、と思いながらも、それを職員に言う。すると、「ああ、はい。代金精算後に領収書を発行するように手配しておきます」との返答。更に、「請求書・納品書に添付して、明細も送られてきます。領収書に、請求書・納品書・明細に共通の番号を記入してもらって、領収代金の内容が特定できるようにしてもらって下さい。(「但し、複写料金(No.××××)として。」といった感じ。)」とあるから、それもそのまま職員に見せると、「番号は書かれるはずだと思いますが、……少々お待ち下さい」と言って業者に電話。そして、電話の後に、「やはり指示しないと番号は書かないようですので、注意書きしておきます」と言う。
すごいすごい、ひでみちゃん。何も言わないと、領収書も来ないし、領収書が来ても複写番号が記されていない場合があることを、職員よりも熟知している。
最後に、複写完成後に受け取りに来るか郵送してもらうかという話になった時に、またメールを見ると、「出来上がったら、郵送をお願いします。業者あるいは国会から、郵送してくるので、書類だけを抜き取って支払い手続きをして頂いて、包装はそのままにしておいてもらえば、その箱をそのまま使って郵便で出して頂けます」という指示。もしや、と思って、職員に「ここで受け取りにした場合、複製はどんな入れ物に入っているのですか?」と訊くと「ビニール袋です」との返答。うむむ、これでは確かにそのまま郵送は不可能だ。ひでみちゃんはここまで知っているから、郵送を指示したのであろう。

とにかく、こんな感じで、私は一切脳味噌を使わずに、来たメールの言う通りにして、お使いが済んだ。全くこちらが迷う余地がない。ひでみちゃんおそるべし。
なんだか、全て彼の手の内で踊らされているような気さえしてくる。

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夜は、友人と、新宿のブックファーストへ、マンガを買いに行く。
残念ながらお目当てのマンガは売り切れていたが、その周辺をぶらぶらしていると、「Boys Loveコーナー」というのが堂々と掲げられている。そこで、その棚に行って、見本の冊子を立ち読み。あり得ないくらい顎の細い男たちが描かれている。むむむ、こういうのがウケるのか。
すると、後ろの方で何やら声がする。
「......so this is "BL", you know. Japanese girls like boys love 云々」

――ぷぷぷぷぷぷっっ

思わず、噴き出してしまった。
すると、流暢な英語で紅毛人たちにジャパニーズ☆カルチャーを解説していた青年が、「すいません! すいません!」と私に本気で謝って来た。

本気で謝られても――ますます笑える。

友人と二人で堪えられずに大笑いしながら、店から走り去った。

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もともと、面白いウソをつくのはそれほど上手ではないのだが、
特に最近は、ホントのことがあまりに面白すぎて、なかなか越えられない。

チンフェイ

2010-03-21 10:01:53 | 世間話
この動画
きちっと座って穏やかに話している玉三郎の隣の、
だらーっとした座り方で、だらんと足を伸ばしている、
カマキリみたいなのが、私の中国語の師チンフェイ。

久しぶりに見たけれど、相変わらず。
というか、メディア放送用に録画されていても、
全然普段と変化ないんだな。さすがは大物。

この人はもの凄く変人で、かなりフリーダム。
奥さんはフリーダムではないけれど、変人さでは負けていない。
先日、そんな二人の娘さんに会ったのだが、意外にも、普通の女子高校生という感じだった。時間が短かったから分からなかっただけで、本当は相当の変人という可能性もあるが、もしかすると、あそこまで変な両親を持つ子供は、案外普通になるものなのかもしれない。

この対談の記録が人民網にアップされていたけれど、
この写真だとチンフェイの足はちょっと行儀よくなっている。
というか、通訳の女の人がいなくなっとる。

寒い

2010-01-14 23:23:51 | 世間話
今朝の最低気温
都心:0.1度
府中:-5.2度

なぜこんなに差がついたのだろうか。

普段から府中は都心よりも気温が1度低い。
八王子まで行くと更に1度低いとか。

しかし、5度違うというのは、普通ではない。
どういう現象なのだろうか。

元日月食

2010-01-03 23:43:50 | 世間話
元日は月食だったらしい。なかなか珍しい一年の始まりである。

この話を古代中国人にしたら、どう反応するであろうか。
「いやー、君らから二千年後なんだけど、1月1日に月食があってさぁ」
「えっ、日食じゃなくて??」
「いや、月食。マジで」
「信じらんない! あんたらの使ってる暦、間違ってるよ。悪いことは言わない、すぐ改暦しなよ。我々のを使わせてやるから」
……といったところであろうか。


古代の暦法が何にこだわったかというと、
まず年単位で誤差を出さないこと。これはグレゴリオ暦と同じ発想である。漢代だと一年365.25日で計算する。
それからもう一つ、毎月の第一日は必ず新月であること。これは太陽太陰暦と呼ばれる所以である。
他にも、大の月が三連続しないようにとか、木星の周期だとか、まぁいろいろ面倒な要素を組み込んで、えらい複雑な処理を行っているが、
まずはとにかく上述の二つが重要である。

例えば、日食というのは、必ず新月の時に起こる。
つまり、暦が正確であれば、一ヶ月の第一日目(朔日)に起こる。
例えば、『春秋』莊公二十六年には、
「冬,十有二月,癸亥朔,日有食之(冬十二月、癸亥の日、朔日に、日食が起こった)」
と記録されている。これはノーマルなパターン。日食が起こった日の干支と、それが朔日(第一日)であることが明記されている。この例は『春秋』に数多く見られる。

ところが、アブノーマルな場合もあって、例えば隱公三年には、
「春,王二月,己巳,日有食之(春、周暦の二月、己巳の日に、日食が起こった)」
という記事があるが、「朔」と書かれていない。
これについて『穀梁伝』は、
「言日不言朔,食,晦日也(日の干支を記しながら、「朔」と記さなかったのは、日食が前月の月末(晦日)に起こったからである)」という。
また、『公羊伝』でも朔日を外した日食といい、漢代の公羊学者達は二日に起こったものと解釈する。
(なお、『左氏伝』はこれに注釈を施さない。別の僖公十五年「夏,五月,日有食之」という記事については、「不書朔與日,官失之也(「朔」と干支を書いていないのは、史官のミスだ)」とある。かなりドライに片付けている)

こういう話で議論になるのも、毎月の第一日目が必ず新月であることにこだわったからである。
「正朔(朔日を正しく設定する)」と言えば暦のことを指し、同時にその暦を発布する王朝の正統をも意味した。
つまり、日食が朔日ではなくて晦日や二日に起こってしまったら、政治の混乱、更には王朝自体の正統性にも関わる問題として意識されたのである。

故に、1月1日に月食が起こるというのは、最早論外、と言ったところであろうか。


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とまぁ、この類の話を史書から拾い出す作業を、この3日間ずっとしていた。
正月は勉強がはかどる。

しかし、ワードというソフトは、実に使いにくい。
スペルチェックだとか自動調整だとか、せんでよろしい。
しまいには、カーソルを動かすだけで表示がガタガタ揺れ出す始末。

私は、行間1pt,サイズ1ptの半角スペースまで駆使して位置を調整するアナログ人間なので、変に便利なことをされると困る。
一昔前、自動操縦機能をオンにしてるのを解除し忘れて、マニュアル操縦しようとして操縦桿を動かし、最終的に飛行機を落っことしたパイロットがいたが、なんとなく同情する。

しかも、今、ひたすら漢文を貼り付けてるだけなのに、
ワード氏はなぜか手紙と勘違いして、
「あいさつ文」機能を発動して、オートで「敬白」とか付け始める。


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そういえば、勉強の合間に、久しぶりにBonanzaをダウンロードして遊んでみた。

――強い。
こいつ、できんちゃんのワードと違って、かなりできる。

2年前に指した時は、3回に1回は勝てたし、
穴熊に組ませたら、まずこっちが勝った。

しかし、今は全然勝てない。
私の腕が衰えたのもあるだろうが、間違いなくこいつは強い。

エキセントリックなまやかしをしても、全く動じない。

しかも、学習機能がついているとの目下の噂。
――確かに、奇襲ばかりしていたら、最初に角道を開けてくれなくなった。

2009-11-24 18:57:59 | 世間話
回転寿司屋で、一緒に食事をしていた友人に、
突然、「いくらって何の卵?」と訊かれた。

「鮭でしょ」
「たらこは?」
「そりゃ、鱈でしょ」

「じゃあ、ウニは?」

「……」

一瞬、引っ掛け問題かと思ったが、至って真顔。
その人は日本生まれの日本育ち、間違いなく日本人。
しかも、ウニは好物という。


もっとも、私も人のことは言えない。
「カズノコは何の卵?」と訊かれた時、すぐに思い出せなかったのだから。


「最近悟ったことは何?」

2008-12-18 23:51:45 | 世間話
――と、うちの先生は毎回訊いて来る。

一週間に一個くらい悟ることがあるだろう、と。

そんなの、仏教学の先生に訊かれても困るが、
私は、構わず、いつもくだらない返答をする。




ところで、最近、一個悟ったことがある。
今まで何故気がつかなかったのか不思議なくらい当たり前のことだから、
正確には、悟り損なっていたことを悟った、と言うべきだろうか。

幼稚園や小学校低学年の頃、疑問に思っていたのは、
何故、横断歩道を渡る時は「右、左、右」なのか。
左を確認している間に車が来ているかもしれないからもう一度右を確認、と言われたって、
それならば、もう一度左を確認すべきではなかろうか。
交通安全教室にやって来た警察官も、
「右、左、右、左、右、左、右、左……」
と際限なく確認し続ける腹話術人形に対して、
「右、左、右、でいいんだよ」
と言っていたけれど、
理屈としては、腹話術人形の方が通っている。
ともあれ、小学校2年生くらいの時には、一種の形式として理解した。
別にどう確認したって良いのだけれども、
小さい子供には「よく確認して渡りなさい」と言うよりは、
「右、左、右」と言っておいた方が分かりやすくて良いだろう、と。
要するに一種の方便で、
別に「左、右」でも良いのだが、語呂とかリズムとかで形式的に「右、左、右」と定めたに過ぎないのではないか。

――しかし、これは、底の甘い考えであった。


つい最近、道路を横断しようとしていて、ふと気がついた。

横断しようとして足を踏み入れる車線に於いては、
車は右から来るものである、と。
(※中央線のない狭い道路や一方通行を除く)

つまり、「右、左、右」というのは、
最初に手前側の車線を確認し、次に反対側の車線を確認、
最後に念のため緊急性の高い手前側を再度確認するということである。
歩行者が渡り始める瞬間が、車にとって確認しにくく、一番危険である。
それに対して、道路の半ばを歩いている歩行者は、車側から容易に目視でき、危険性は比較的低い。
故に、渡り始めの事故を防止するために、歩行者は、右側をよく確認する必要があるのだ。

「右、左、右」とは、何と奥の深い教えであろう!


――って、今更気がついたのは、私だけか...





ところで、日本は左側通行だから、手前側の車線では右から車が来るけれど、
右側通行の国では逆のはず。

その場合、
「左、右、左」
と習うのかなぁ。



ちなみに、中国では、そんな悠長なことをしていたら、いつまで経っても道路を横断できない。
細心の注意を払いながら、勇気を出して一歩を踏み出し、
車をかわしながら進み、
時に道路の真ん中で立ち止まってやり過ごし、
シューティングゲームのように動くのだ。

「人多力量大」

2008-07-01 23:38:42 | 世間話
この間、先輩からコピーさせてもらった『四庫全書』文字データ版CD、さすが約三千五百部八万巻だけあって、検索かければ何でも出てくる。便利便利。

あれはもう2年以上前になるのか。南京の道端でCD売ってるおじさんの隠れ家に単身乗り込んで、壁ぎっしり海賊版という部屋の中で交渉して手に入れた『四庫全書』画像版CD153枚セット、
空港でひやひやしながら持ち帰ったものだった。
取り締まりが厳しくなっているというが、あのおじさんは元気だろうか。
いやいや、海賊版は永遠に不滅であろう。

画像版は、いちいち中国語優先に切り替えて再起動するという、よく分からん作業が必要で、その上、本文検索ができないという代物だったが、
この文字データ版は、多少入力ミスの危険性はあるものの、検索できるし、コピペできるし、非常に便利。
便利なものが手に入ると、以前の不便なものはお蔵入りするのが世の常で、CD153枚は、早くも本棚の裏側へ。


しかし、文字データのくせに、CD16枚というのはなかなか凄い。
約八億字である。八億字。
こんなのを打ち込んだというのだから、中国人はつくづく信じ難いことをする。仮に100人で作業したとしたら一人800万字、一日一万字入力とすれば約三年……と計算してみたら、それほど大したことではないようにも思われて来た。
いや、しかし、そもそも、古典文献の漢字入力を一日一万字ペースでできる人間を100人集め、3年間週5日出勤させるというのが、とんでもないことなのか。
しかし、中国なら可能だろう。何しろ母数は13億人なのだから。
ひょっとしたら、1000人くらい動員してたのかもしれない

真価の検証

2006-03-31 11:39:46 | 世間話
人と連絡先の交換をする時にたまに言われるのが、
「あ、ケータイ、docomoなんだ。お金持ちだね」
……不本意である。

そもそも、家族で最初に携帯電話を買ったのは母で、
友人が勤めているからという理由でdocomoにした。
その後、私や父が加入する時も、家族割引があるという理由でdocomoにした。
言ってみれば、考えなしにdocomoにしたのである。

また、親戚の多くが住んでいるので、たまに新潟の農村に行くが、
電波の都合から言っても、docomoは結果的に無難な選択であったと思う。

ただ、「不本意」というのは、「docomo=高い=金持ちの携帯」とされていることである。
以前気になって料金を比べてみたが、携帯電話大手三社でほとんど違いがないように思われた。

最近、asahi.comがこれについて特集を組んだ。
http://www.asahi.com/ad/clients/shinka/3/index.html

はっきり言って、docomoのための広告のようなものであるから、
主張をそのまま鵜呑みにはできないが、少なくともデータを改竄はしていないだろう。


結論から言えば、三社とも大体の料金はほぼ同じである
(もっとも、これを広告しなければいけないdocomoもどうかと思うが)。
パケット使い放題のサービスでdocomoは料金が高めであったが、
月々どれだけパケットを使うかをよく検証すれば、
むしろdocomoが安上がりになる選択肢すらあった。
(というより、私から言わせてもらえば、
 パケット使いまくる方が「金持ち」の所業であるのだが。。)

では、なぜ「docomoは高い」というイメージとなっているかと言えば、
おそらく、auの学割、vodafoneのLOVE定額に代表されるような、分かりやすい目玉商品がなく、
「お買い得」感が薄いからではないだろうか。
すなわち、イメージの問題である。

イメージ戦略でdocomoには落ち度があったのだ。
これは、商品自体の問題ではないにしろ、やはり重要な問題である。

「劇場政治」然り、「ホリエモンブーム」然り、良し悪しは問わないが、
最近は特にイメージというものの力が非常に強くなっているのは事実であろう。

こうした現状を踏まえての企業努力で、
docomoはまだまだ足りないところがあったのだと思う。


そして、このことは、莫大な情報の中で実際のことを自分の目で確かめず、
イメージだけで判断してしまいがちな、我々自身の問題でもあると思う。
消費者として、また、時に有権者として。

……もっとも、まったく同じような品質ばかりなら、イメージで選ぶしかなかろうが。。